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みんなの気持ち。<br>都立石神井高校[東京]
1970年の創部。学校は1940年3月に府立第十四中学校として設立された。(撮影/松本かおり)

みんなの気持ち。
都立石神井高校[東京]

田村一博

 決して明るいとは言えない照明灯の下、太腿や腕が鈍く光っていた。
 雨に濡れ、土や砂がまとわりつく。仲間と自分を鼓舞する声と荒い息づかいが、他の部活は誰もいないグラウンドに響いていた。

 9月27日、東京西部では午後6時前から雨が降り出した。西武新宿線・武蔵関駅から徒歩で約7分。北西の位置にある都立石神井高校ラグビー部の活動は、終了予定時間を過ぎても終わらなかった。

 練習を締めくくるはずだったフィットネストレーニングが1セット終了した。
 寝かせたタックルマシンを飛び越えてコンタクトして倒れ、すぐに起き上がり、スタート地点へ戻る。連続タックル。そしてボクシングのパンチング。いろいろなメニューを組み合わせた動きが、疲労の溜まった体をさらにいじめていた。

寝て、起きて、コンタクト。タフなメニューが繰り返されるトレーニングで練習が締めくくられた。(撮影/松本かおり)


 顧問の一人、佐藤圭介先生が「これで終わるか。まだやるか。どっちだ」と声を出すと、1年生の祥太の甲高い声が響いた。
 その「やりまーす」に続いて、「よっしゃー」だの「やるぞー」との叫び声が飛び交った。

 9月15日から始まった東京第一地区の花園予選。石神井は同日、日比谷に21-12と勝ち、翌週22日には豊多摩に35-21。都立校対決を2戦連続で制し、同地区8強に進出。10月20日、シード校の成城学園と戦う。

 東京第一地区の都立校で8強に残っているのは、他に青山だけ。チームの空気は熱くなっていて当然のはずだった。
 しかし豊多摩に勝った後の数日間、部を包む空気は重かった。

 事件が起こった。

広い校庭。きれいな夕焼け。やがて雨が降り出した。(撮影/松本かおり)


 この秋の予選2勝目を挙げた翌日、チームは茗溪学園(茨城)への遠征を組んでいた。浦和高校(埼玉)も含め、3校による切磋琢磨の場だった。
 茗溪学園は佐藤先生の母校。毎年恒例の同校訪問のスケジュールは、都予選日程の発表前に決まっていた。

 予選翌日。疲労が溜まっているのは承知の上だ。心身ともに、より強くなるために組んだスケジュールだった。
 自分たちに敗れ、悔し涙を流した相手チームのためにも。

 しかし遠征には、多くの2年生の姿がなかった。
 不参加の理由はコンディションが悪いとする者など、さまざま。本当は、遠い、疲れている、相手が強すぎる等だったようだ。
 結局18人のうち参加したのは僅か。せっかくの遠征も、結果は求めたようなものではなかった。

キャプテンの小栁光希。(撮影/松本かおり)


 そんな出来事を受けて、ミーティングが開かれたのが9月25日。その場で、それぞれの部員が思いを伝えあった。
 キャプテンの小栁光希(こうき)は、自分たちに負けた相手の思いも背負って戦うべきなのではないか、みんな、そう思っているのか、できることはすべてやろうと、涙ながらに思いを吐露した。

 異動前のこの3月まで豊多摩を指導していたもう一人の顧問、石川善司先生は、「私は前任校の立場で話しました」。
「豊多摩は、きみたちよりもっと努力していた、それで負けた。本当に悔しいと思っているよ、と」
 先生たちは、退部届を出したい者は出しなさい。そう伝えた。

 辞めたいと申し出る者は、当日も翌日もいなかった。
 9月27日は、騒動後におこなわれた、初めての本格的な練習だった。ゴール前の攻防を想定したアタック・ディフェンスに熱があった。予定していたより随分長くなった練習時間の間、多くの声が出ていた。
 雨が降りしきる中、チームに一体感が出てきた。

西武新宿線の武蔵関駅から約7分。文武二道を掲げる。(撮影/松本かおり)



◆敗れた相手の気持ちも背負って戦おうぜ。


 渦中の2年生の中で、宮本武(たける)、吉田晴紀(はるき)は、茗溪学園への遠征に参加した。
 宮本は、「(連戦となって)体はきつかったし、(強豪相手で)怖いな、とも思ったけど、やってみたい気持ちもありました」と話す。
「力の差はありましたが、それが分かった。課題を持ち帰ることができました」

 スタンドオフの宮本は、東大和市立五中時代からラグビーをしている。吉田は王子桜中のラグビー部だった。ポジションはプロップだ。

 吉田は、遠くて面倒とか、きついとか、相手との力の差を理由に欠席した同期に対し、「スケジュール的にきつかったのは分かる」としながらも、「僕たちに負けた相手の悔しさを分かっていない」と言った。

 これまで歩んできた道も違う。人それぞれ、考え方もいろいろあっていい。でも、せっかく力を合わせて戦っている。対戦校は体をぶつけ合ってくれた。お互いの気持ちを考えて行動して当たり前ではないのか。

 宮本も、自分は対戦した相手の思いも汲んで次に向かいたいと言った。そして、「無理にとは言いませんが」と前置きして、チームメートも同じように「背負っていってくれたら」と話した。

 そんな2人は、ミーティングを経て同期たちに変化があったように思った。
 宮本は、仲間と話しても気持ちの変化を感じた。「これを機会に心を入れ替え、しっかりやろうぜ、という感じです」。

 吉田はミーティング後初めての練習、雨の中で全員が声を出していたことに、「変わったと感じました」。
「いつもより声が出ていました。雰囲気も良かったと思います」
 次戦へ、本当の意味で一歩踏み出せた。

2年生の吉田晴紀(左)と宮本武。(撮影/松本かおり)


 石神井高校ラグビー部は1970年に創部した。
 元トップレフリーの2人、下井真介さん、川尻竜太郎さんは同校出身。1987年度に大学選手権と日本選手権を制した早大のWTB桑島靖明さんもラグビー部OB。サクラセブンズ経験者のバティヴァカロロアテザ優海、サクラフィフティーンの安尾琴乃もOGだ。

 花園への出場はない。しかし、「私たちの代に、初めて関東大会に出ました」と下井レフリーは言う。
 同レフリーは、1976年3月の卒業。早大ラグビー部でプレーを続けた同期、後輩もいたそうだ。

 6月に急逝したスズキスポーツの顧問で前社長だった鈴木次男さんも卒業生。高校時代は柔道部だった。
「その鈴木さんは、早大の選手たちを(指導のため)呼んでくれたり、当時の東伏見グラウンドで早大学院と試合をやれるようにしてくれたり、お世話になりました」

 中学まで野球をしていた下井レフリーは、高校入学後、大柄だった体格を見込まれてラグビーに勧誘され、入部した。
 当時もいまも、黙っていても人が集まってくるような部ではないから、積極的な勧誘、アプローチが部員集めの生命線となっている。

 現在の部員は3年生こそ4人と少ないが(マネージャーは5人いる)、2年生は18人(女子2人)、1年生が14人(それぞれマネージャー1人)と30人を超す部員数だ。2年生、1年生には、中学時代からの経験者も計8人いる。
 全員で円陣を作ると、大きな輪ができる人数だ。

 部員獲得に成功しているのは、1年生の担任である石川先生による声掛けと、3年生マネージャーたちの仕掛けが効いた。
 昨年からインスタグラムによる部のアピールの時期を入試合格発表時から始め、徹底的に楽しそうな写真を投稿。その作戦が成功した。

練習中、一人ひとり気持ちが入っていた。(撮影/松本かおり)


◆準備をやり切ったから、一歩前に出られた。


 キャプテンの小栁は西東京市で活動する、にしはらラグビースクールの出身。ひばりが丘の自宅から自転車で通学している。
 普段は穏やかも、前述のように、熱くなって涙も流す純情。ジャッカルが得意で、南アフリカ代表、静岡ブルーレヴズのクワッガ・スミスに憧れる。バックローでプレーしている。

 同主将は、都立校でラグビー部が強く、近所という理由で石神井進学を決めた。
 3年生は4人だけ。下級生が多い現状も、「2年生たちが3年生に遠慮することなく、主体的にプレーするのがチームの強み」と感じている。

 日比谷、豊多摩に勝った理由を、「準備をやり切ったことで、当日、相手より一歩前に出られた」と分析する。
 次戦も気持ちでは絶対に負けたくない。ごたごたとミーティングを経て、チームの空気が高まってきたことを喜ぶ。

 雨の中の練習で、最後まで甲高い声を響かせていた鈴木祥太は、まだ1年生。154センチ、60キロの小兵ながら、周囲を元気づけるムードメーカーだ。
 中学(松ノ木中)まではサッカー部だった。母親の勧めと仮入部の際に居心地の良さを感じ、楕円球を追うことにした。

ムードメーカーの1年生、鈴木祥太。(撮影/松本かおり)

 校庭の広さと、体育祭や文化祭に力を入れる校風に惹かれて石神井への進学を決めた。
 小柄なフッカーは、きつい時も声が出る理由を、「どうせやるんだから、モチベーションを上げてやった方がいいかな、と思って」。
 笑顔がかわいい。

 どこか憎めない部員たちが揃うチームを率いる佐藤先生と石川先生がコンビを組んで指導にあたるのは、八王子拓真に赴任していた時以来のことだ。
 当時は、定時制高校のラグビー部を、創部5年目で単独チームとして大会に出場できるように育てた。両先生とも、個性を束ねてエナジーを生み出すことに長けている。

 佐藤先生は、石神井高校を指導して6年目。最初の2年は、現在府中西高校を指導する野口友輔先生のサポートについていた。荒川工ラグビー部の指導経験もある。

 石川先生は天理大ラグビー部出身の英語教諭。八王子拓真の前には三鷹でも指導にあたった。
 豊多摩から今春石神井にやって来て、再び佐藤先生とタッグを組む。

 両先生は、いろんな個性や性格の部員たちが集う都立校ラグビー部での指導理念、指導の原点を「普及」とする。
 少しでも多くの若者たちに楕円球に触れてほしい。そしてラグビー部へ。入部したなら、私たちが練習メニューを工夫するから、ずっと続けよう。ゲーム性のあるメニューを考え、工夫する。

顧問の佐藤圭介先生(左)と石川善司先生。(撮影/松本かおり)


 大会前や期間中は追い込み練習もするけれど、普段は腹八分、「いや六分」(石川先生)を目指す。翌日もグラウンドに出たいと思ってもらうためだ。

 ラグビー愛が深まる者たちが増えたら、勝ちたいと思う部員も出てくる。そうなれば自然と練習の強度が上がる。自分たちで追い込めるようになる。指導者は、そのサポートのためにいる。
 ふたりの先生は、そう考えて毎日グラウンドに立つ。

 芽生えた興味や向上心をより太くするために必要なのは、待つことだ。
 一人ひとりの変化を待つ。変化する部員が増えるのを待つ。その数が増えて、集団が変わり始めたときが大人の出番。

 秋の気配が濃くなりつつある10月。今季好調な明学東村山との練習試合ではやられたものの、あらためて自分たちの強化ポイントが明確になった。
 本気集団となる時だ。

 10月20日、ベスト4を懸けて成城学園と戦う。相手のグラウンドで、前評判が高く、好選手の揃うチームへのチャレンジだ。
 キックオフから、グラウンドに響くのはキャプテンの雄叫びか、祥太の甲高い声か。
 全員でひとつになる準備は終えている。

校内のホワイトボードには応援メッセージがあった。(撮影/松本かおり)






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