logo
南でも、種を蒔く。<br>日南振徳高校[宮崎]
左から監督の佐藤清文先生、佐々木勝(3年)、福田竜正(1年)、園田空輝(2年)、松山心(2年)、栗原拓己(3年/主将)。(撮影/松本かおり)

南でも、種を蒔く。
日南振徳高校[宮崎]

田村一博


 7月6日だった。
 豊田スタジアムが沸いた。
 日本ラグビー史上初のマオリ・オールブラックス戦勝利を、JAPAN XVが手にしたからだ(28-14)。

 宮崎のラグビー関係者、特に少年たちの多くは、その試合の中継を見て笑い、顔を覆い、最終的に歓喜しただろう。
 宮崎工業高校ラグビー部出身、叩き上げのプロップ、竹内柊平のその日のパフォーマンスは、とにかく忙しかった。

 前半34分に途中出場し、36分にはイエローカードの提示を受けた。しかし、後半13分にトライ。雄叫びをあげる。
 チームが勝利を掴む瞬間までピッチに立ち続けた。

 竹内は宮崎で強化合宿を続ける日本代表の中で、地元メディアやファンにもっとも注目されている存在だ。
 花園出場はない。しかし九州共立大に進学して着実に成長。NTTコミュニケーションズシャイニンズアークス東京ベイ浦安(現・浦安D-Rocks)で進化し、日本代表キャップを得た。

 そんなストーリーに惹きつけられる人は多い。
 花はいつ咲くか分からない。地道に努力し続けていれば、いつかその日は訪れる。
 宮崎の多くの子どもたちは、おらがヒーローの歩んだ道に勇気づけられる。

日本代表プロップ、竹内柊平が慕う佐藤清文(きよふみ)監督。宮崎県ラグビー協会では高校委員会の委員長を務める。(撮影/松本かおり)

 エディー・ジョーンズ体制で順調にキャリアを重ねている竹内。その人を少年時代から知り、成長の過程を深く知る人がいる。

 宮崎工業ラグビー部在籍時に指導にあたった佐藤清文先生は、竹内の高校時代の3年間を、グラウンドだけでなく、教室でも見続けた。
「当時から、とにかく元気でした。柊平がいると、場が明るくなる」
 学級委員長を3年間任せた。

 佐藤先生が赤白のジャージーを着た教え子を見て思う。
 人は、いつ大きな花を咲かせるか分からないなあ。
「ただの継続力とは違う。柊平には、努力を継続し続ける力がありました」

 一途な姿があったから、いつも誰かが見ていてくれる。引き上げてくれる。それぞれの場所で力を出し、階段を昇っていけた。
 結果、桜のエンブレムを胸につけることができた。

 現在26歳になった日本代表の少年時代の姿や成長の足取り、あるいは思い出。佐藤先生がそれを子どもたちに話すと、みんなの瞳がきらきら輝く。
「たまに本人が練習に来てくれます。高校生にいろんな話をすると、みんな真剣に聞いています」

 宮崎県立日南振徳高校。佐藤先生は現在、同校のラグビー部で監督を務めている。
 部員は5人。近くの日南高校から一人が加わり、6人で練習に取り組む日が多い。

 宮崎駅から南へ約80分。JR日南線に揺られていると、やがて飫肥(おび)駅に着く。日南振徳高校の最寄り駅だ。
 飫肥は1588年から約280年間、明治初期まで飫肥藩・伊東氏の城下町として栄えた地。武家屋敷が立ち並び、風情ある石垣が見られる町並みがいまも残る。その小京都を訪れる観光客は多い。

 飫肥駅から北西方向へ1.4キロほどの場所にある日南振徳高校は、飫肥藩の藩校だった振徳堂にちなんで名付けられた学校だ。
 日南市にあった3つの専門高校(日南振徳商業、日南工業、日南農林)が2009年にひとつになった。

宮崎県の木、フェニックス。もともと日南工業高校があった場所。(撮影/松本かおり)

キャプテン、憧れの人と話し、未来を変える。

 佐藤先生が同校に赴任したのは2021年の4月。9年間指導にあたった宮崎工業から、ラグビー部のない学校へやってきた。
 初年度に同好会から始め、2022年度から部へ。大会には合同チームで参加している。

 宮崎の高校ラグビーは、宮崎市以北の学校が強い。日南振徳は、県南で唯一のラグビー部がある学校となった。
 赴任先のあちこちでラグビー部を創ってきた佐藤先生が、南でも種を蒔き、若者たちの向上心を育んでいる。

 大会前以外は、月曜日と木曜日以外の週5回の練習。活動時間は16時30分から18時。終了時間を守らないと、宮崎市内から通学する者たちが18時22分発の電車に乗ることができない。
 それを逃すと、次の電車は19時38分発。宮崎駅に着くのは20時53分と遅くなる。

 しかし取材に訪れた日、仲間たちとの練習を終えてもレスリング場の一角でウエートトレーニングに励む栗原拓己主将の姿があった。

この日はレスリング場での練習。丁寧なボールリリースなどきめ細かな指導。(撮影/松本かおり)

 栗原は3年生。兄が宮崎工業で佐藤先生の指導を受けていた縁で、自分も同じ環境に身を置こうと思った。毎日、長い時間をかけて電車で通学する。
 宮崎ラグビースクールの出身だ。

 同主将は卒業後、就職しようと考えていた。しかし、いまは九州共立大に進学し、ラグビーを続けるつもりだ。
 憧れの人、竹内がチームを訪れてくれた時、もっとやれるよ、大学でも続けたらいいと声をかけてくれたことで気持ちが変わった。

 連日のトレーニングで、この数か月の間に、ずいぶん腕が太くなり、胸板が厚くなった。
 年齢も学んだ学校も違う教え子同士が言葉を交わし、ひとりの少年の未来が変わった。佐藤先生は、それが嬉しい。

 ひとりの人間が成長していくさまを見るのは、教師冥利のひとつだろう。
 佐藤先生は、いろんな学校でラグビーの魅力を伝えてきた。
 部がなければ今回同様、人を集め、楕円球愛好家の集団を立ち上げる。置かれた環境に絶望せず、前を向き続ける人だ。

 現在52歳。県北部の延岡高校に学んだ。
 高校時代は野球部。本格的にラグビーを始めたのは国士舘大学に進学してからだ。

 ラグビーに傾倒したのは、高校時代に人気だった大学ラグビーを見て、明治・吉田義人、早稲田・堀越正己らの活躍に憧れたからだ。
 好きになったときに生まれるパワーの大きさは、身をもって知っている。

 当時強かった国士舘大学ラグビー部に飛び込めたのも、尻込みする気持ちより、好きになったラグビーをプレーしたい気持ちが上回ったからだ。
 足の速さには自信があった。4年時にはWTBとして活躍。練習はとても厳しかったが、「頑張ればなんとかなる」の精神を当時から持っていた。

 大学卒業後。故郷へ戻った。
 中学や高校、青少年自然の家などで非常勤講師を務めた後、教員採用試験に合格したのは5回目の挑戦の時だった。
 ラグビー部のなかった新任の都城西で創部。2校目の本庄高校では休部状態だった部の再活動を実現した。

初心者の1年生、福田竜正に基礎を教える部長の飯干俊侍先生。(撮影/松本かおり)

モールの組み方を学びに行ったら恥ずかしくなった。


 2012年に宮崎工業へ。やっとラグビー部のあるところで教壇に立てた。しかし、初練習の参加者は4人だった。
 その1年前まで30人近くいた部員が、指導者不在の1年間のうちにどんどん抜けていった結果だった。

 しかし、それまでの赴任先は部員ゼロだったのだから、へこたれることはなかった。
 在校生を誘い、中学生たちに「一緒にやろう」と声をかけた結果、部員は増えた。2年目に新しく加わった13人の中には竹内がいた。

 9年間の宮崎工業在任中、佐藤先生は教え子たちといろんな景色を見た。
 県の1年生大会で優勝。1年生セブンズでも県の頂点に立った。2019年3月には、10人制の九州大会で優勝した。

 指導最終年の2020年度は花園予選で4強。2021年2月の九州新人大会にも出場した。どちらも34年ぶりのことだった。
 九州新人大会では初戦で東福岡と対戦。0-105と敗れるも、大きな舞台で全国トップレベルのチームと戦ったことは勲章になった。

 華やかに見えるこの9年間も、決して右肩上がりで上昇したわけではない。
 竹内が3年時のチームは順調に実績を残し期待は大きかったものの、花園予選は初戦で敗退した。
 先を見ていたら、対戦相手の気迫にやられた。

 若き部員たちがラグビーや監督から学ぶことは多い。同じように、佐藤先生自身も、チームの足取りや選手の変化から得るものがたくさんある。
 つまずきからの気づき。失敗からの再出発。その繰り返しだ。

 宮崎工業に赴任してまもなくして、御所実業(奈良)へ学びに行ったことがある。
 自分たちと同じ公立高校ながら、あらちは全国トップレベル。伝統のモールの秘密などを学びたいと思った。

 実際に足を運んで恥ずかしくなった。
「ラグビーの技術を盗めたらいいな、と思っていったことが情けなかった。竹田(寛行)先生の指導は人間教育でした。その根本があるから強くなれるのだと気づきました」

 それ以来、自分の指導にも芯が通った。
 宮崎工業でも日南振徳でも部員に求めているのは、「挨拶。時間厳守。整理整頓。そして、自分のことは自分で」の4原則。これらを無意識のうちに遂行できる人間になろう。
 それが、ラグビーがうまくなるための第一歩。いつか分かるから。

 チームのみんなで決めたことをうっかり忘れてしまうのは、すぐ近くにボールがあるのに気づかないのと同じだぞ。
 もし本人が忘れそうになっているなら、チームメートが教えてあげないと。

 人間的成長の土台ができたなら、ラグビーの要素も積み重ねやすくなる。
 佐藤先生の信念は、「基礎を教えておけばあとで伸びる」。それは竹内のいまを見ても分かる。
「難しいことは教えないし、流行りのことはやりません」

 教え子たちの気持ちをつかむのは、部員の数に関係なく、しっかりと試合の中で役立つこと、勝利を手にするために必要なスキルや考え、コミュニケーションを伝えるからだ。
 日常の練習は5人、6人の日南振徳でも、それは貫かれる。練習中、先生のアドバイスは試合を想定していた。だから選手たちも必死に取り組む。

日本代表の竹内柊平からもらったラグパンを履いていた園田空輝。3番の姿勢を憧れの人に教わり、実践している。(撮影/松本かおり)

人数が少ないと、みんなのいいところ、ダメなところがよく分かる。


 決して恵まれた環境ではないのに、教え子の中から日本代表が育つ。指導者としては喜びであり、誇らしいだろう。
 しかし佐藤先生は「柊平が頑張り続けたから花が咲いた。本人、それがすべて」と表情を和らげる。
「頑張っていれば、誰にだってその可能性はある」と続ける。部員たちにも、取材者にも、必ずそう伝える。

 嬉しいのは、選手が主役とは言っていても、教え子たちが、自分が伝えたかったことを胸に生きてくれていると分かった時だ。
 例えば竹内は、大学を経て社会に出る際の面接時に、大切にしている言葉を『確乎不動』と答えたそうだ。

「宮工時代に応援幕を作った際、その言葉を入れたんです」
 気持ちをしっかり持ち、堂々と、決して揺れ動かない様を意味する。

 チームには、弱い相手には滅法強く、強い相手に怯む時期があった。
「それじゃいけない。相手は同じ高校生だぞ。自分たちがやってきたことを信じ切って戦えばやれる。そんな気持ちで戦おう、という思いを込めました」 

 その言葉、そのスピリットを、何年経っても覚えていてくれたことが嬉しかった。
 子どもたちが自分に向ける眼差しを見ると、いつも思う。生徒たちに発する言葉には、いつも意味を込めないと。責任を持って言葉を選ばないと。

栗原拓己主将。胸が分厚くなった。(撮影/松本かおり)

 栗原主将は、部活の日々を「めちゃくちゃ楽しい」と言って顔をくしゃくしゃにした。
 もっと仲間を増やしたいけれど、人数が少ないと、「お互いのいいところ、悪いところがよく見えます。なので、褒めあったり、注意しあってうまくなっていけます」とポジティブだ。

 幼稚園の時にラグビーを始めた。高校進学時、「ラグビー部を手伝ってくれ。一緒にやろう」と佐藤先生に声をかけられて電車通学を決めた。
 少人数なりの練習でなく、「高鍋、日向に勝てるようになるための練習を教えてくれる」のが嬉しい。

 憧れの竹内に「ラグビーを続けた方がいいよ」と声をかけられて、「やれるところまでやろう」という気持ちがわき上がった。
 ウエートトレーニングに熱心に取り組むのは、「(憧れの人の)期待に応えたい」からだ。

 日南高校に学び、授業を終えると振徳高校へやって来る髙橋伶旺(3年)は、他校の選手と日々を過ごしているうちに、人見知りだった自分が変わっていったと話す。
 小柄なSOの得意なプレーは低いタックル。小学校の時にやったタグラグビーで、このスポーツが好きになった。

 日南高校入学時、3年生部員が2人いた。しかし、いまは自分だけ。県大会前の朝礼などで、髙橋が大会に出ることをみんなの前で紹介してくれることがある。
 そんな時、他の生徒たちが「うちにラグビー部があったのかとザワついています」と話す表情が愉快そうだった。

近隣の日南高校から練習に参加する髙橋伶旺。ディフェンスが得意

 5月の宮崎県高校総体春季大会には、日南振徳、日南、都城、都城工業の合同Dチームとして参加した。結果は初戦で高鍋に0-95の敗戦。しかし誰も下を向かないのは、この仲間たちと、好きなラグビーをできる時間が楽しくてたまらないからだ。
 次は勝ちたいな。次に集まれるときまで、それぞれ頑張ろうぜ。一人ひとりの胸には、そんな気持ちがある。

 教え子たちの笑顔、汗、声。悔しそうな表情すら、それらは指導者のエナジーとなる。
 佐藤先生も、その瞬間があるから長く情熱的にグラウンドに立てる。

 ラグビーの空気が薄い県南にもっと楕円球の熱を伝えるためにも、まずは日南地区で1チームを組めるようにしたい。
 7人制、10人制、15人制と一歩ずつ階段を昇っていけたらいい。日南振徳高校単独でやっていけるようになる日も夢見ている。
 コツコツやっていたら、いつか花が開く。

 チームTシャツの胸には地区の名産品のひとつ、カツオがデザインされたエンブレムがある。
 背中には『STARS ONE』。いつも使っている星倉1丁目の河川敷グラウンドに集う者たちでワンチームとなって出ていこうぜ、の気持ちを込めている。

 海もあり、山も、川も。県南の豊かな自然の中にいると、いつもより空が広く感じる。
 なんでもできそうな気がする。いつか咲く大きな花が映えそうな青空がそこにある。

部のエンブレムにはカツオ。(撮影/松本かおり)
JR飫肥駅。風情がある



ALL ARTICLES
記事一覧はこちら