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玉井希絵[イーリング トレイルファインダーズ]◎好きすぎる女子ラグビーの、未来のため。
1992年10月24日生まれの32歳。 三重県松阪市出身。日本代表キャップ16。(撮影/松本かおり)

玉井希絵[イーリング トレイルファインダーズ]◎好きすぎる女子ラグビーの、未来のため。

田村一博

 道なきところを歩いて、未来の物語を編む。
 2022年にニュージーランドで開催されたワールドカップ(以下、W杯)に日本代表として出場した玉井希絵はいま、プレミアシップ ウィメンズラグビー(英)を舞台に戦う『イーリング トレイルファインダーズ』でプロ選手としてプレーしている。

 2023-24シーズンから同クラブに所属し、現在2季目の途中。サクラフィフティーン時代はロックとしてプレーしていた32歳は、現チームではプロップでプレーしている。

 2022年のW杯前から、大会が終わったら次のステージに踏み出そうと考えていた。
 そんな中で大会の途中、サクラフィフティ―ンのチームメートとともにイングランド代表選手と話したのが渡英のきっかけになった。

 話の中で知ったのは、女子プレミアシップは実力的に世界一のリーグということ以外に、そこにはプロ選手だけでなく、出産を経てピッチに戻った選手もいれば、医師など、ひとりの人としてのキャリアを達成しながらボールを追っている選手が世界中から集まっていることだった。

「そんなリーグなら、体が動くうちに中に入り込んで、ラグビーの環境やリーグやクラブのシステムを見て、知り、日本の女子ラグビーに必要なことを見つけようと思ったんです」

 そうはいっても、こころざしがあれば願いが叶うわけでもない。最強FW選手たちがひしめくリーグに30歳の日本人が挑むのだ。現実は厳しかった。
 各クラブにダイレクトメールを送り、自分を売り込んだけれど色良い返事はこなかった。

2022年開催のワールドカップ時。サクラフィフティーン、三重パールズではLOでプレーした。(撮影/松本かおり)


 結果、サクラフィフティーンのレスリー・マッケンジー ヘッドコーチにつないでもらって縁が結ばれた。現在所属するトレイルファインダーズは、日本人が多く住むイーリングというロンドン郊外の街にある。所属チームが決まったことで、ようやくチャレンジを始められた。

 ただ、入団後は自分の力で道を切り拓くしかない。82キロだった体重を6キロ増やし、新しいポジション、プロップで日々自分を高めることを考えた。
 イングランドのFWたちは、噂に違わぬフィジカリティの強さを持っていた。

 その中で何を武器に戦うのか。
 そう考えて周囲のフロントローと自分を比較した時、パススキルと機動力では上回っていると分かったから、スクラムの強さを高めながら強みをアピールした。
 日本人選手でも戦える。「例えば、日本のスピードあるバックスの選手などはやれると思います。ただ、接点の強さに加え、こちらの選手はプレーする時の気迫がすごい。そこは見習うべき点だと思います」。

 1年目、プレータイムは長くなかったが、全22試合中14試合に出場した。チームは6位(全9チーム)。リーグ戦以外にカップ戦もある。日本より、はるかに多く試合経験を積める。

 今シーズンは2025年8月、9月にイングランドでW杯(女子)が開催されるためシーズンは昨年の10月に開幕して今年の3月に終わる(リーグ戦は1チーム16試合)。玉井は1月18日までの12試合中8試合に出た。

 三重県出身。松阪高校時代はバスケットボール部だった。
 ラグビーとの出会いはバスケ部での活動を終えた後の3年時。知人に勧められ、花園ラグビー場で開かれた女子ラグビーのトライアウトに参加。合格し、継続的にラグビーとの関わりを持つようになった。

 関西学院大に進学後は、同大学の学生クラブ、上ヶ原ラグビークラブに所属しながらキャンパスライフを楽しもうとしていたけれど、父の大学時代の友人が、のちに三重パールズのGMを務める齋藤久氏だったから楕円球色の強い人生となっていった。

 齋藤氏が「関学ラグビー部でやった方がええで」と言い、知人に電話を入れたことで、「本気でやるなら」と入部が決まる。
 たった一人の女子部員誕生の流れは、そんな感じだった。東芝ブレイブルーパス東京の德永祥尭は同期の一人だ。

 大学卒業後は三重に戻り、菰野中で英語の教員として教壇に立ちながら、所属していた大阪ラグビースクールレディースでプレーを続けた。
 そして2016年、三重パールズが誕生したことをきっかけに、新しいクラブのオリジナルメンバーの一人となった。

 しばらくは教員をしながらパールズでの競技生活を続けた。しかし、ラグビーに集中するために教員を辞めた。クラブのサポートをしてくれている企業で働くことにした。
 結果、やがて日本代表に選出され、2019年に初キャップを獲得。また、同年からは自身の将来を見据えて株式会社パソナに入社した。仕事と競技生活を両立するハイブリッドキャリアを実践する一人となった。

2024年12月14日のダブルヘッダ―、エクセター戦の試合告知チラシ(左)には玉井の姿が大きくあった。この日は日本関連の催し物もあり、賑わった。右はチームのトレーディングカード。(撮影/松本かおり)



◆1000人を集める。


 自身がそんな道を歩んでいたから、イングランド代表選手が話した、「世界中から集まってきた選手たちが、それぞれの生き方をしている」という部分が自身のアンテナに触れた。

 現在は代表歴があるアスリートが取得できるインターナショナルスポーツマンビザで、プロ選手としてプレーしている。
 クラブの練習は月火木の16時30分から始まる。ジムワーク、スキル練習、ミーティング、全体練習を終えるのは21時過ぎ。土曜日はゲームデーだ。

 プレーヤーとしての充実を図る一方で、内部に入り込んでいろいろ学ぶ作戦も順調に進行中だ。

 2シーズン目に入る前、玉井は「1000人」という目標を立てた。
 ホームゲームに、日本人ファンをそれだけ集める。自分に、そんなハードルを設定した。

 クラブからマーケティンググループの一人としての任務を与えられたからだ。
 いま三刀流の生活を送っている。トレイルファインダーズの選手としてプレーし、クラブのマーケティング戦略の一翼も担う(週14時間)。そして、パソナのグローバルアスリート社員としての活動もあり、週1のミーティングに参加している。

 1000人集客は簡単ではない。2024年最後のホームゲーム(12月14日のエクセター戦)には72人の日本人ファンがスタジアムに足を運んでくれたが、今年に入って最初の試合、1月5日のハーレクインズ戦までに合計157人という状況だ。

 さまざまなアプローチをしている。クラブが望む日系企業とのコネクション作り。前述のエクセター戦は日本を前面に押し出したプロモーションをクラブもしてくれて、玉井自身のビジュアルが男子選手と同格の大きさでチラシに印刷された。

 そのチラシを近隣の学校や日系のお店に置かせてもらい、試合当日は『KYOTO COFFEE』という日本人経営のコーヒースタンドや、『Human Stretch』という日本のストレッチを広めている人たちにもスタジアムで出店してもらい日本色を強める演出を実現した。その日のために関係作りに励んだ。
 その活動は1000人の目標を達成するために今後も続けられ、その経験は玉井がやりたい未来へ結びつく。

 明確なイメージはまだないが、現役プレーヤーを終えた後は、日本の女子ラグビーに貢献したい気持ちは大きい。
「ラグビーのコーチングは私に向いていないのは、自分で分かっています。マネージメントに興味がある。貢献するには、国内リーグ創設について考えるのがいいのか、新たなチームを作ることを考えるべきか分かりません」
 ラグビー協会へ、という声が聞こえてくることもある。

YouTube『玉井希絵の女子ラグビーが好きすぎてさ?』では現地での挑戦や暮らしについて楽しく伝えている。(撮影/松本かおり)


 プレーヤー、そしてマーケティングに関わる者としてイングランドのラグビーの中で過ごしてみて思うのは、女子クラブが男子クラブの傘下に入ることはメリットしかないということだ。

 例えば設備、コーチングの共有から始まって、女子試合→男子試合のダブルヘッダーも少なくないから集客でもプラス面が大きい。
「プロモーションに使う試合告知の写真は、多くのクラブが男女同格にしています。そうなると、女子ラグビーへの見方も変わりますよね」
 男女の試合と試合の間をハッピーアワーに設定し、ファンに楽しい時間を過ごしてもらう工夫もする。

「リーグワンも、まずはいくつかのクラブが女子チームを持ってくれませんかね」と願う。
 女子ラグビーが盛んな場所で、さらにクラブの内部の人になってみて、いろんなアイデアが頭に浮かんでは消える。 
「経験してきたことをまだ言葉にできない。そう思うことがあります。ここでやってきたことを、具体的に何に活かすのか。もっと勉強しないといけないと感じています。知識と経験をつなぐ時間も必要かな」と考える。

 自分自身に厳しい目を向ける玉井ではあるが、単身で世界最高峰の女子リーグに飛び込み、プレーだけでなくクラブ運営に関わることで人生が豊かになっていると感じる。
 現在はカナダや南アフリカの代表経験者ら5人と一緒に暮らしている。フィールドの内でも外でも知見を深められる生活を気に入っている。

 日本でプレーしているときは三重パールズで国内チャンピオンになること、日本代表に選ばれ、世界と伍すことに躍起になっていた。
 結果、W杯にも出場し、15人制日本代表キャップ16を積み重ねられたのだから幸せなラグビー人生だ。

◆純粋にラグビーを楽しめている。


 ただ、いまだって心が満たされる日々を生きている。サクラのエンブレムを胸につけ、自身の誇りと代表選手としての責任を背負ってプレーしていた時とは、ラグビーとの向き合い方は変わった。
 プレーへの真摯な取り組み方はいまも昔も変わらないけれど、ロンドンには、純粋にラグビーそのものと、その周辺を楽しめている自分がいる。

 世界各地から集まっている選手たちと触れ合っている。彼女たちの持っている情報量はとても多い。国際的な話題にあふれ、刺激がいっぱいある。そして、「誰も自分を知らないのが心地いい」とケラケラ笑う。

 2024年の11月。日本代表の欧州ツアーの途中、ロンドン郊外のテディントンという街にあるカフェで近況をいろいろ聞いた。
 居心地がいいというSNSの書き込みを見て入ったスターバックスは、こんなに騒がしいスタバがあるだろうか、というほどだった。

 日本では、どこか静かでないといけないような空間。しかし、そこはみんなが大きな声で話し、子どもの泣き声が響き、同伴の犬が吠えていた。
 そんな中で、玉井は異文化での生活のことを感情豊かに話した。そのお陰で、本当に居心地のいいスタバになった。

 自分がしている良い経験を独り占めにするのはもったいないと思うのだろう。自分が現在の居場所を離れるときには、ぜひ、日本の誰かにバトンタッチしたいと言った。
 そして、「将来的には、大学生がビザ関係なしにこのレベル(のラグビー)に挑戦できればいいですね」と続けた。
 日本の女子ラグビーの環境をより良くしていきたい気持ちにぶれはない。

 騒々しいカフェでは、いろんな話をした。自分が子どもたちにおこなっていた英語の授業は、本当に役立つものだったかな、と苦笑する場面もあった。

ランチに入ったレストランで。(撮影/松本かおり)


「机の上に鉛筆があります、を英語で書きましょうと、文法とかを教えながら2時間かけたりしていたわけです。でも、英語でコミュニケーションをとるのって、そういうことではない。非英語圏から来た選手たちが、文法なんか気にせず話し、周囲の選手たちの中にとけこむ。人との関係って、正しい文法で字を書くより、とにかく話し、意思を伝えることですよね。私の授業を受けていた人たちに謝りたい!」

 良い、悪いでなくて、異文化を持つ仲間たちと生活していると、自分たちがこれまで当たり前と思っていたことと違うことが、他にもいくらでもある。

「ラグビーは人生の一部でしかない、という考え方がありますよね。例えば、『次の試合のメンバーに選ばれなかったから遊びに行こう』という人は普通にいます。ホームでの試合なら見に行くけど、と」
 同じクラブでプレーしていて、優勝、勝利という同じゴールを見ていても、だ。
 そんな考えに最初は驚いていたけれど、いまは一人ひとり考えが違って当たり前だと思う。そして、そんな一人ひとりがピッチで気持ちをひとつにした時の強さも感じたことがあるとも言った。

 自分も試合に出なければ遊びに行こうとなるわけでも、日本の選手もそうなればいいのに、ということでもないけれど、日本とは違うことをあれこれ知ることができたのは財産だ。
 しかも自分はラグビーの中だけでなく、マーケティングの立場にいるからこそ、その周辺のこともいろいろ分かった。
「その経験を人生の中で、どう使っていくのか。じっくり考えようと思います。でも、もたもたしていたら機を逃します」とも言った。

 異国の地での生活を通して、「選手としても人間としても、自分に自信を持てた」という。
 ここはいいけど、あれがなあ。
 これまで、そんな表現で自分のことを評価されたことは何度もある。ファインダーズでは違う。コーチやチームメートは、いいところを躊躇なく言ってくれる。褒めてくれる。
「認めてくれるんです」

 人生で大切なことは日常の中にもある。幸せとは大手柄を残すことではなく、自分を認めてもらえること。
 居心地のいい、慣れ親しんだ場所を離れて気づいたことを、未来のために大きくしていきたい。好きすぎてたまらない女子ラグビーを、広く認められるものにする思いは強い。

現在はチームメートたちと5人暮らし。(撮影/松本かおり)


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