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あえて。こいつを操れたら一流だ。東芝ブレイブルーパス東京の眞野泰地は言った。
「あえて差し込まれる」
ラグビーなのだから万事において差し込まれたくはないだろうに。タックルの話である。新年5日。コベルコ神戸スティーラーズとの激しいバトルを32-26で制し、スタジアム内で記者に「あえて」の実相を明かした。
「相手の勢いをつかって倒す。勢いのある90に対して100でぶつかっても体の大きさで負けてしまう」
前提にサイズがある。ブレイブルーパスの背番号12の高さと重さは公式記録の表記で「172/88 」。大きくはない。というより小さい。そして同ポジションは本人の表現によれば「みんな外国人なんで」。かくして大の90に小の100で衝突しても不利との結論は導かれた。
「バインドをしっかりしておけば、体の大きな相手は自分の勢いで倒れる」
向こうのエネルギーを吸い寄せて半分引くみたいに倒し、みずからはすぐ上になる。すると速やかな退転は可能であり、ついでにターンオーバーを狙える。
「差し込まれてはいるけど、あえて差し込まれているというのか」
巨漢であっても「勢いのない」場合は「100で」ぶつかる。一瞬の判断で「それらを使い分ける」。公式戦で考えなくてよいように練習で考え抜く人の飾らぬ口調は明快だ。
2020年にブレイブルーパス入団後、しばらくヘッドインジュアリーに泣いた。簡単に記せば、ささやかな骨格と特大のハートの均衡を保てなかった。だから、自身にも言い聞かせるように述べる。
「体の小さな日本の選手には大事なスキル。FWやったら全部刺さってもいいと思うんですけど、バックスは勢いがついているので。やみくもに頭から突っ込むと選手生命がもたない」
あえて差し込まれ、別の機会には猛烈に突き刺さる。臨機応変、繰り出すタックルの質を制御する。そこには成功の条件が存在する。
すなわち、もともとハードな者がハードのみにあらずの効用に気づく。反対はうまく運ばない。主将として全国制覇を遂げる東海大学仰星高校ではフランカーを務めた。中学でSO、東海大学ではSО/CTBを担った。あいだの3年に体現した「バチバチ」は性に合っている。
実際、神戸戦に臨む覚悟は、まさに「バチバチの肉弾戦になる」。ボールを持てば「体を張って、ちょっとでも前へ出る。こんな体やけど前へ出られる。するとチームも乗ってくる」。そのとおりの攻守を続けた。
いつも、しっかりしたプレーをする。きょうもまた。そういうふうに生きているからですか?
「僕は、もう、しっかりやり切る(だけ)。とくに今日は体を張るところだけにフォーカスしました。開幕からの2試合はボールを動かすことも考えていたんですけど」
小よく大を制しうる。そんな使命を抱いている。
「リーグワンのレベルは高いなと試合のたびに思います。年々、強度は増している。そうであっても体の小さな大学生のCTBも輝ける場でないと。そのためにも僕は外国人に負けられない」
怪力のひしめくクラブにポジションを得る。それは「小の未来」という大義をともなう。みずからの心身は後進のためにもある。
眞野泰地で思い出すのは昨年5月19日のリーグワンのプレーオフ準決勝である。東京サントリーサンゴリアス戦の開始直前、突然、ベンチ入りを告げられた。午前中にメンバー外の負荷のかかる練習や自主的な筋力トレーニングを府中グラウンドですませ、応援のために秩父宮ラグビー場へ向かうと、同僚のセタ・タマニバルがウォームアップで負傷、繰り上がりのジャージィをまとった。
動揺するところなく前半なかばからの出番をまっとうする。このあたりのタフネスや一貫性が「コーチの宝」にして「選手のための選手」のゆえんなのである。
ぐらつく者の「あえて」は心もとない。しかし、堂々と道の真ん中を進むラグビー選手が「あえて」脇によけたら勝負における正解なのだ。
ここで伝説の人物に触れたい。デヴィッド・キャンピージ。1990年前後のワラビーズの際立つ才能である。11番や15番を背に光景を置き去りにするステップを駆使、視線とも上体の向きとも別の角度に幻惑のパスを放った。
91年10月。アイルランドはダブリンのホテルのエレベーター内。世界の顔とふたりになった。こちらは口元で笑って親愛の態度を示す。背が低いのに驚いた。175㎝の筆者と視線の高さがさして変わらない。芝の上ではうんと大きく映るのに。それが実力の証だった。
味の素スタジアムの取材ゾーンの眞野泰地もそうだ。「こんなに小さいんだ」。胸の奥で声が出た。キャンピージとの遭遇の図がよみがえった。