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ウォーカー アレックス拓也[九州電力キューデンヴォルテクス]◎いまを生きる新主将。
1998年2月19日、シドニー生まれ。周南ラグビースクール/かしいヤングラガーズ→東福岡→法大→九州電力キューデンヴォルテクス。(撮影/松本かおり)

ウォーカー アレックス拓也[九州電力キューデンヴォルテクス]◎いまを生きる新主将。

田村一博

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 思い描いていた人生とまったく違う。だけどいま、とても幸せだ。
 ウォーカー アレックス拓也は、曲がりくねった人生を気に入っている。

 1998年2月19日生まれの26歳。九州電力キューデンヴォルテクスで2024-25年シーズンのキャプテンを務めることになった。

 同期入社の竹ノ内駿太(SH)が副将となり、ふたりでチームの先頭に立つと発表されたのは9月6日だった。チームスローガンは「BE TOUGHER」。もっとタフになる意志を伝えている。

 ウォーカーと竹ノ内は2歳違い(この12月で24歳)ながら同期入社。ふたりは2022年の4月、社員になった。
 しかし主将は、今年7月1日からプロ選手となった。

「3世代にわたってタメ口なんですよ」とウォーカーは笑う。
 PRの鎌田慎平は東福岡高校時代からの同期で同い年。同じ中学の1学年上だった SO古城隼人とは、先輩が浪人したこともあり、ヴォルテクスに加わった年は一緒になった。ともに、2020年からあらためてチームの一員となった。

 ちなみに、ウォーカーと古城は姪浜中の出身。ともに陸上短距離の部活に入っていた。
 その1学年下にはFB金堂眞也もいて、同じ部活だったそうだ。

 2歳下の竹ノ内と同期入社となったのは、法政大学卒業後のウォーカーに、目標を見失った時期があったからだ。
 大学時代を「燃え尽きた」と振り返る。卒業後の誘いも、いくつかのチームからあった。
 しかし、本人が選んだのは海外への道だった。

 父・ベンジャミンさんの伝手でウェールズに向かうことになっていた。クライストカレッジ・ブレコン校で寮監を務めることで話がまとまった。
「寮監をやりながら高校のコーチをやることになっていました。そして、いずれは現地のクラブでラグビーを続ける。そんな計画を立てていました」

 しかし、大学卒業のタイミングだった2020年の春、世界を新型コロナウイルスが襲う。地球規模の混乱期が訪れた。
 先方との連絡は途切れる。ウェールズ行きはなくなった。

 途方に暮れた。気持ちは切れた。スマホが友だちだった。
「正直、心も折れました。もういいか、という感じになった。当たり前ですが、ラグビーってキツイじゃないですか。いざラグビーをしない生活になったら、ラクだなと思い、そのままずるずる……となりました」

2023-2024シーズンは全12試合中9試合に出場。出場時はすべてNO8で先発。(撮影/松本かおり)

 何もせず、好きなものを食べていたら、大学卒業時に98キロだった体重は115キロに増えた。
「完全にニートでした。寝て、起きて、一日中スマホを触って、食べて、また寝る」
 自堕落な生活が続いた。

 そんな時だった。友だちは優しい。気にかけてくれた人がいた。
 かしいヤングラガーズ時代の仲間のお父さんが、「ちょっと家に来いよ」と誘ってくれた。
 2020年度からヴォルテクスの監督を務めた、赤間勝さんだった。

 少年時代から知っているウォーカーの状況を聞いて、「チームの通訳をやらないか」と声をかけてくれて新しい生活が始まった。
 佐川急便でアルバイトを始め、それを終えると香椎のグラウンドへ。練習に加わりながら、コーチの指示を通訳することになった。

「佐川急便では、キャナルシティという商業施設内で、台車に載せて荷物を届ける仕事をしていました。知り合いに会うこともありました。なんしょっと、福岡にいたんだ、と」

 2年目は所属する外国人選手の生活サポートなどもした。市役所に同行したり、引越しを手伝ったりもした。
 その一方で、選手登録は初年度からしていたので、試合への出場機会も得た。2020-21年シーズンは1試合に出場。2シーズン目には9試合に出場してチームの勝利に貢献した。

 どん底から這い上がった姿。そして、スタッフ兼選手としてチームを支えた2シーズンを評価され、2022年の春から社員となった。
 近年はプロ選手も増えたヴォルテクスではあるけれど、基本は社員選手を柱にしてきた伝統がある。ウォーカーは、その中でリーダーになれる存在と評価されたのだろう。提案を受け、入社試験を経てビジネスマンとなった。

 配属された法人営業の仕事も楽しかった。顧客の要望を聞いたり、情報交換での会話。生来の社交性が生きた。

「海外でラグビーをしたい。そればっかり考えていた自分にとっては、描いていたものと、まったく違う世界でした。本当ならいまここにいない、海外でラグビーをやっているはずなのに、仕事、仲間との時間、そして、このチームでのラグビーが、すごく自分に合っていました。ラグビーって、こんなに楽しかったっけ、と感じたほどです」

 そのチームラブの思いは周囲にも伝わるのだろう。すぐにリーダーを任され、昨季は共同主将のひとりになった。

 充実の日々。
 九州電力といえば大企業だ。社員選手として、ラグビー選手として、人生は長く、太く続く。しかし、ウォーカーはプロ選手になる道を選んだ。その理由を、「限界までやり切りたい、と思ったんです」と言う。

 プロ選手としてとことんやって、いつか海外でプレーしたい。その想いだけは、どれだけ現状が充実していようが胸の中にあった。
「26歳です。もっと自分のレベルを上げて、海外でもやれる力をつけられるように成長していくには、いまプロになるしかない、と決断しました」

8月末には入籍。新たなエナジー。(撮影/松本かおり)

「自分には拾ってもらった感謝の気持ちがある。その思いを返したいと、必死にやってきました。そのことも認めてもらい、プロになることも認めてもらえたと思います」
 プロになるだけなら、他チームでプレーする選択肢もあったかもしれないが、ヴォルテクスを出ることは考えられなかった。このチームで自分の力を伸ばすことに意味がある。

 身をもって社員選手の大変さは分かっているから、プロになった自分が周囲と同じ成長速度ではいけない。
「絶対に恥ずかしいことはできない」と気を引き締める。
 その思いがある中で、主将に就任した。間違いなく、誰よりも力を注いでチームの先頭に立つ。

 シドニー生まれ。3歳までそこで育った。母の出身地の山口に暮らし、6歳の時に周南ラグビースクールに通い始めた。小1、小4、そして高校2年時と、半年ずつシドニーで過ごしている。
 13歳の時に福岡へ移り住み、かしいヤングラガーズでプレーを続け、東福岡高校へ。花園での優勝、高校日本代表も経験した。法大時代は3年時にクライストチャーチ(NZ)にも行っている。

 他とは違う人生。「やるからにはやる」ラグビーマンの父と、「自分にも人にも厳しい」母の影響を受けてきた。
 自分自身は、将来海外でプレーしたい夢はあっても、「いま、に全力を使っていくタイプです。それをくり返して、目指しているレベルに近づく。それしかないと思います」と足元を見て歩を進める。

 一度は消えかけたラグビーの火は、やる気、本気、負けん気と、いろんな空気が吹き込んで、大きく燃え上がっている。

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