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辻崎由希乃[サクラセブンズ]◎道の途中が記憶の真ん中。
つじさき・ゆきの。1994年6月21日生まれ。福井県出身。ながとブルーエンジェルス所属。(撮影/松本かおり)

辻崎由希乃[サクラセブンズ]◎道の途中が記憶の真ん中。

田村一博


 思い出すだけで涙がこぼれそうになる。
 それだけ濃い時間を過ごしてきた。パリ五輪とそこへ続く道は、辻崎由希乃にとって一生ものの時間となった。

 8月27日から30日にかけて弘前(青森)で実施された女子セブンズ・デベロップメント・スコッドの合宿。辻崎の姿は、そこにあった。
 若いメンバーが揃う中、パリ五輪を経験した唯一の存在だった。

 7月の五輪の舞台を踏んだ選手たちは、長く、ハードな道を走り続けてきた。心身ともに疲れていて当然だ。
 新しく指揮官となった兼松由香ヘッドコーチはそんな配慮から、弘前合宿を経てアジアセブンズシリーズの韓国大会へと続く活動は、若手選手中心でおこなうことにした。

 その中にパリでプレーし、30歳になった辻崎がいる理由を、本人は「由香さん(兼松HC)から、(五輪は)バックアップメンバーだったので、合宿に来ないか、と声をかけてもらいました」と話した。

 アプローチを受け、「パリに行けなかった人たちも来ると聞いたので、そのメンバーともやりたいなと思い、参加しました」と決断した。

 五輪では大谷芽生がコンディションを崩した際、バックアップメンバーから繰り上がり、プールステージのフランス戦、ブラジル戦でプレーをした。

 短い時間だったけれど、目指していた場所に立てた。
 胸がいっぱいになっただろう。スタジアムには7万人に迫るファンが詰めかけていた。その光景を生涯忘れることはない。

 しかし大会が終わった後に辻崎の頭に浮かんだものは、満員のスタッド・ド・フランスばかりではなかった。
「2試合でチャンスをいただけて嬉しかった。その試合そのものの記憶も当然あるのですが、オリンピックを目指した3年間の方が、すごく、想い出として自分の中に残っていると感じたんです」

話している途中、自然と瞳が潤んだ。「緊張したら損、と思って楽しみました」とパリを思い出して、最後は笑顔になった。(撮影/松本かおり)

 福井出身。同県での国体開催(2018年)をきっかけに、バスケットボールからラグビーに転向した。24歳の時だった。
 2022年のアジアセブンズシリーズで初めてサクラセブンズでキャップ獲得。駆け足で成長を続け、バックアップながらパリ行きの切符を手にした。

 必死に走り続けた日々の途中には、辛いこと、嬉しいこと、笑い、涙と、いろんなことがあった。「選考のことなどでストレスを抱え、ラグビーがあまり好きじゃなかった時もあった」と吐露する。
 ただ、そんな経験もしたからこそメンタル面が成長した。人間としてたくましくなった。

 バックアップメンバーだった辻崎と大竹風美子の2人は、チームと一緒に7月14日に日本を発ち、現地でも多くの時間を仲間たちとともに過ごした。
 その中で意識したのは振る舞い方だ。正メンバーたちに気をつかわせてはいけないと考えた。

「みんな、私たち(バックアップメンバー)がいちばんしんどいって分かってくれていたので、そういう面を見せないようにしました。そのためにも、(準備期間を含めての)1か月を誰よりも楽しもうと思って毎日を過ごしました」

 この夏の出来事を振り返って話している途中、「涙が出そう」と言っていた辻崎の目が、さらに潤んだ瞬間があった。
 結果的に自分にはチャンスが巡ってきたものの、大竹には最後までピッチに出る機会がなかった。そのことについて話した時だった。

「私が試合に出ると決まった時、風美子にスパイクにコメントを書いてもらいました。一緒に戦うつもりだったので」
 大竹は「強気で大丈夫」と書いてくれた。

「その字を見ていたら、試合への入場の時も緊張しませんでした。風美子のぶんまで戦おう、って気持ちになっていました」
 そう話す笑顔の中に涙があった。

 今回の弘前での合宿中、多くの場面で積極的に先頭に立つ辻崎の姿があった。
 それは、パリで大観衆の前に立った自信からだけではないだろう。その舞台に続く道の途中で、いろんなことを乗り越えたから人の前に立てる人になれた。

 先の五輪メンバーの中で、自分より年上なのは中村知春だけだった。しかし、「どちらかというと、大学生たちとバカしている感じの立ち位置でした」と話す。

 そんな自分が今回、若い人たちの中に入った。期待されていることは理解しているつもりだ。
「私がパリまでに経験してきたことは、このチームにとって大切なことだと思います。だから、言わなきゃいけないことは言います」
 新しい選手たちが馴染める環境を作ることにも力を注いだ。

金髪がよく似合う、よく目立つ。「おばあちゃんも見つけやすい、と言ってくれました」。(撮影/松本かおり)

 五輪後、体を休めていたこともありコンディションは万全ではなかったが、トレーニングでは真っ先に動き、声を出し、得意のステップワークを見せるシーンがあった。
 8月31日から始まった福岡合宿のメンバーにも名前があった。韓国大会に出場することになれば、心身両面でチームを引っ張る存在となるだろう。

「アジアは甘くない」と経験から知っている。メンバー構成が若かろうが、結果が求められるのが日本代表だということも理解している。
 だから、「日本は(アジアで)一番でいなきゃいけない。誰が出ても、と思っています。パリのスコッドの選手たちも、そう期待して見ていてくれると思うので、それに応えたいと思います」と話す。

 4年後のロサンゼルス五輪に関しては、 HSBCワールドラグビー・セブンズシリーズなどで世界と戦うことが純粋に楽しいし、成長につながるので、「そこに力を注いでいく中で、4年後にも(五輪を)目指せる位置にいるなら頑張りたい」とした。

「パリに向けての時は、オリンピック、オリンピックとなってしまったところもあったので」
 自然体で、前へ進んでいく。ラグビーを始めて、まだ7年。まだまだ、うまくなれる。

 パリ五輪での試合時、選手たちは入場口からグラウンドの真ん中へ走って入り、キックオフに備えた。
「おそらく走ったのは10秒ぐらいのはずなのに、(それまでの)いろんなことが頭の中を巡り、1分ぐらいに感じました」

 オリンピックは参加することに意義がある。
 その言葉の真意が、そこにあった。

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