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カードが出たから接戦になった。でも競り合って、だからこそ実力の違いで勝てるはずだった。ジャパンは流れをつかめず波もよけられずジョージアに敗れた。
そこで第一声はこうなる。
「苦いファーストキャップですけど」
仙台での黒星のあとの取材ゾーンで背番号21のSHはそう言った。
小山大輝。後半28分に登場、29歳で日本代表のキャップを初めて得た。失礼かな、でも聞いた。不思議なくらい時間がかかりましたね。
「そうですね。いろいろ合宿にも参加させてもらって、でも長い時間、獲れなかったんですけど。念願の初キャップが獲れて、うれしくは思うんですけど、やはり勝たないと半減してしまうんで。いい準備をしてイタリアに勝ちたいと思います」
この問答の時点はもちろん、本稿が最初に読者の目に触れるころですら、7月21日に札幌ドームで行なわれるイタリア戦のメンバーは発表されない。なので本人の一言。
「絶対、出たいです」
みんな出たいが、ワイルドナイツの9番にとっては札幌のテストマッチは格別だ。なんといっても北海道立芦別高校の卒業生なのである。家族? 「一応、呼んでいます」。そして大義のある本心を明かした。
「北海道のラグビーを盛り上げたいですね」
上ホロカメットク山。キーボードを打っていて胸が澄みわたるようだ。そこを源流に抱く空知川。空。知。川。なんと美しい漢字の並びであることか。いまごろなら青と緑が肩を組み、冬になれば白がまぶしい。星空の美しさはよく知られている。かつての炭鉱町、道央に位置する芦別はそんなところだ。
2009年の夏。少年はラグビー界にいきなり出現した。札幌郊外の定山渓のグラウンドでの北海道スクール選抜のセレクション試合への参加だ。いまから10年前、大東文化大学2年の本人に当時の事情を確かめていた。あらためて録音を再生してみる。
「中学では、あっ、芦別中学ってそのまんまなんですけど、野球部のショートでした。兄がラグビーをしていたので興味はあって、ひとりでパスの練習をしたり、部活の休みの日に芦別高校にまぜてもらったことはあったんです。3年の夏に野球部の活動が終わり、そしたら高校の監督が、ラグビーの北海道スクール選抜のセレクションを受けてみるかって」
実質の初心者。公式戦の経験なし。「こいつ、なんでここにいるんだ、という視線がくる。完全にアウェーの雰囲気。なにしろ友だちがひとりもいなかったので」。ただし、ぶっ倒し、抜き去る相手ならたくさんいた。自己流のパスもすでに滑らかだった。
「ひとつセレクションを突破して、ふたつ突破して、いつの間にか選ばれました」
芦別高校ではラグビー部へ。指導力に定評のある成田正人監督の薫陶にも浴し、才能はじゃまをされず、また足踏みもせず、存分に発揮された。最終学年、なんとフランス/イタリア遠征の高校日本代表へ呼ばれる。スクール選抜に入っただけで「びっくりした」はずが、あれよあれよ、こんどはU18フランス代表とも対戦できた。
大東文化大学からパナソニックワイルドナイツへ。ここにおいて「彗星のごとく」の青年は試練にさらされた。同じポジションに日本代表の先輩がふたりもいたのだ。
あらためて田中史朗と内田啓介。先のシーズン限りでともに現役を退いた。代表キャップは「75」と「22」。後者は179㎝と長身、スタイルの違いがあって、それもまた小山にとって攻略が簡単ではなかった。田中がキヤノンへ移る前の2018-19年シーズンのリーグ計7戦の出場は1試合にとどまっている。
仙台のジョージア戦後に質問してみた。あえてジャパンのふたりのいるクラブに進んで、正直、フラストレーションを感じたことは?
「いま代表に呼んでもらって、いい方向に進んでいますけど、本当に2年3年、出られない状況がありました。年間数試合とか。あれは大変だった。もちろん1日、1日アピールして、成長につなげたい、ふたりのいいところを盗みたいという気持ちはありましたけど」
もっと先発機会のあるクラブを選べばよかったと後悔しませんでしたか。
「それはありません。いいクラブでできていることを誇りに感じているので。たとえばベンチにいても、それはそれで自分のアグレッシブさはいきる。いまは、そう思えるようになりました」
田中史朗の影響は?
「フミさんの場合、やはりゲームのコントロールですね。それと熱さ。小さいのにタックルにいく。そのDNAというんですか見習っています」
以前、進学先を大東文化に決めた理由を聞いた。入学前年はリーグ7位と低迷していたからだ。答えが忘れられない。
「芦別高校の先輩がいてあこがれがありました。稲津英一さんです」
ひとつ学年が上の控えのWTBである。いまは?
「よく会います。いちばん仲がよかったので」
首都圏で働いているそうだ。無名時代の無名の友との交流を有名になっても大切にする。少しは長く生きてきたスポーツライターの「いい人」の定義だ。