6月28日に行われたトップ14の決勝戦、トゥールーズのベンチの前で2人の男が抱き合っていた。
ディディエ・ラクロワ会長とユーゴ・モラ ヘッドコーチ(HC)だ。2人の目は潤んでいた。75分にトゥールーズが長いフェーズを重ねて7つ目のトライを決めた後のことだった。
スコアは47-3。彼らの優勝はもう誰の目にも明らかだった。
その後、2トライを追加して、最終スコア59-3でトゥールーズが優勝、欧州チャンピオンズカップと合わせて2冠を達成した。ラクロワ会長とモラHCのコンビにとって、4度目のフランスチャンピオン(2019、2021、2023、2024)、2度目の欧州チャンピオン(2021、2024)となる。
モラは現役引退後、4部リーグのマザメでコーチを始めた。翌年カストルのBKコーチに就任する。シーズン途中にHCが解任され、チームの舵取りを委ねられる。まだ34歳だった。しかし、成績不振で翌シーズン途中で解任。
「HCとしての準備ができていなかった」と自身を振り返る。
翌年、2008年にブリーヴのBKコーチになるが、2009年10月にHCが解任され、モラがプロチームの責任者に任命された。
しかし、2012年にチームが2部降格となり辞任する。選手やスタッフのリクルートや契約など人事に関すること、メディア対応、エージェント、またクラブの株主にプロジェクトをプレゼンし説得するなど、ラグビー以外のHCとしての業務に追われ、溺れていた。
「多くのことを学んだ。クラブや地域のカルチャーを理解し、そこに自分を合わせることができなかった。それぞれのクラブに根付いているカルチャーはとても大切だ」と気付いた。
17歳でトゥールーズのジュニア部門に入団したモラにとって、トゥールーズで身につけたことが、彼のラグビーであり、カルチャーになっていたのだ。
その後2年間、テレビやラジオで解説の仕事を経て、2014年に2部リーグのアルビでHCとしてフィールドに復帰し、クラブにとって4年ぶりの準決勝進出へ導いたところに、トゥールーズのHCの話が来た。
「やっと自分が描いているラグビーができる」と思った。
しかし現実は違った。
モラの前任者のギィ・ノヴェスは、12年の在任期間中に、10度のフランス国内優勝、4度のヨーロッパチャンピオンと、クラブの輝かしい歴史を築いた。クラブだけではなく、フランスラグビー界のカリスマ的存在だ。
当時のトゥールーズには、ノヴェスに師事したベテラン選手が多数在籍していた。30歳を超え重鎮となっていた彼らに、モラが目指す、よりスピーディーでスキルフルなラグビーは受け入れられなかった。
モラは「彼らには彼らの習慣があり、それでたくさん勝ってクラブの歴史を築いてきたのだから」と強要することなく時を待った。
1年目はレギュラーシーズンを5位で終え、準々決勝で敗れた。
2年目は12位まで順位を落とし、翌シーズンのチャンピオンズカップ出場権を得ることができなかった。クラブにとって初めてのことだった。
クラブのカルチャー。自分たちのスタイル。
3年目、ラクロワが会長に就任する。
ラクロワはモラを全面的にバックアップした。二人は1990年代、選手としてトゥールーズの黄金時代を共に生きた仲、クラブのカルチャーが骨の髄まで染み込んでいる。自分たちが経験したトゥールーズを復活させたかった。
重鎮メンバーも引退、または他のクラブに移籍した。「20人ほど補充しなければならなかった。PRシリル・バイユ、HOジュリアン・マルシャン、HOペアト・モヴァカ、SOロマン・ンタマックのようにポテンシャルの高い若い選手が内部にいた。外部からも我々が目指すラグビーにフィットする選手をピックアップした」
それが、SHアントワンヌ・デュポンや、WTBチェズリン・コルビだった。
デュポン、コルビが入団し、FBトマ・ラモスがレンタル移籍から戻ってきた2017-2018シーズン、リーグ戦を3位で終え、準々決勝でその年優勝するカストルに敗れた。
そして2018-2019、とうとうトップ14で優勝した。
「このシーズンの目標が達成できただけでなく、それまでのトゥールーズでのとても厳しかった4年間、さらにそれまでの年月の集大成だった」と思い返す。
モラには決まったトレーニングメソッドはない。
「メソッドにあぐらをかいてしまうと、本を書いて、歴史を語るようになる。つまり、『今』を生きていない。だからメソッドに縛られたくない。それよりも、『明日のラグビーはどうなるのか?そこでどう勝つのか?』を考える」哲学派だ。
モラのラグビーの根底にあるのは、1980年代にトゥールーズのプレースタイルを築いたピエール・ヴィルプルーから植え付けられた「自律し、賢く判断できる15人の選手が、一つになってプレーするラグビー」だ。
「何度も練習で繰り返し、試合で全員が同じ絵を見て瞬時に反応する様子は、もはや芸術だ」と言うように、今年のトゥールーズは15人がまるで一つの生き物だった。そして、一つの意思を持って形を変えながらプレーしていた。美しいとさえ思えた。
プロ化が進むにつれて、「細かくプランを準備し、全てをコントロールしようとするあまり、本質が忘れられがち」という昨今の流れの中で、「選手がより自由になれるように日々戦っている。ラグビーはプレーする者に属する。選手に責任を持たせると言うよりも、グラウンドで楽しみながら才能を存分に発揮する能力を備えさせたい。それができれば、結果はついてくる」と微笑む。
これは個々の選手のスキルとラグビーIQの高さがあればこそ成り立つ。
デュポンやSOロマン・ンタマックのような優れた選手に恵まれているから、それが可能だと言う人もいる。
モラ自身も、「デュポン、ンタマックだけではなく、ラモス、マルシャン、モヴァカたちのような極上の選手がいることは、コーチにとってとても恵まれていること」だと何度も公言している。
それでも、悩みはある。
「彼らはとても才能があり、向上心が強く、常に成長したい、明日のラグビーについて考えたい。その欲求を満たさなければならない。私たちはすでに来年は何をしたいのか考えている。彼らがその原動力になっている。彼らのような選手がいることは大きなチャンスだが、心は休まらないね」と5月にオンライン上で公開されたインタビューの中で苦笑している。
多くの代表選手を抱えるゆえのもう一つの悩みは、彼らのフラストレーションに対処しなければならないことだ。
「これはHCの最も重要な仕事だ。『君は次の試合に出ない』とハードに練習した選手に告げるのは、いつだって心苦しい。客観的に、戦術に沿って、またパフォーマンスでメンバー選考をおこなっていると分かっていても、告げられた選手は苦しむ。他人に苦しい思いをさせるのは決して気持ちのよいものではない」と言う。
将来の夢。未知の場所でのチャレンジ
しかし現地メディアは、エゴの強い選手のマネージメントがモラの最も優れているところだと評価する。ラクロワ会長も「彼の選手のマネージメント方法には感服する」と称賛し、「威厳を持ちつつ、協力体制を築くことができる。彼の要求は過剰だが、自分の下した決定を説明し、分かち合い、長期的に築いていく術を身につけている」と説明する。
その原点は、モラ自身、同様のフラストレーションを感じていたからではないだろうか?
現役時代、器用にFB、WTB、時にはSOもこなすユーティリティーバックだった。「当時のユーティリティーは決勝トーナメントの試合には入れなかったからね」と述べたことがある。
トゥールーズのジュニアチームに所属していた高校生時代にインストラクターの資格を取り、下部組織のラグビースクールで小学生や中学生を指導していた。当時からプロと同じ敷地でラグビースクールの練習も行われていたから、指導後はそのまま自身の練習に参加し、どっぷりクラブに浸かる日々だった。
プロの選手とラグビースクールの子どもがすれ違い、スクールのコーチが足りなければ、プロの選手が駆り出される。子どもはプロの練習を見にくる。
「みんながラグビーを見て、ラグビーを食べて、一緒に生活していた」と懐かしむ。
いま、モラはジュニア部門やラグビースクールのコーチと連携をとり、強化に関わり、練習も覗きにいく。そこでプレーする選手も把握している。
また、プロ選手が事務系のスタッフと朝食を取れるようにして交流の場も作った。クラブが再びファミリーになるように。
「お互いを守るために情は挟まないようにしている」と本人は言うけれど、彼には人としての『情』を感じる。
モラは試合後、いつも対戦相手の選手と握手をする。今回のトップ14の決勝のあとも、ボルドーの選手一人ひとりと握手をするためにフィールドを回っていた。
がっくりしてグラウンドに座り込んでいたボルドーのSHマキシム・リュキュの肩を抱きかかえ、言葉をかけているモラの姿があった。
9シーズンを終えた。トップ14の現職のHCでは最長で、2番目に長いラ・ロシェルのロナン・オガーラHCでさえ、まだ5シーズン。トップが安定して継続した強化が行われているのもトゥールーズの強さだ。
モラのトゥールーズとの契約は2027年まで。つまり次のワールドカップの年だ。世間は「フランス代表の次期HCはモラでは」と噂する。しかし本人の口からその言葉は出てこない。彼が望むのは、「海外で挑戦すること」だ。
2022年、筆者のインタビューに「自分のカルチャーではない所で、自分が通用するようになったのかチャレンジしてみたい」と話した。
その時に「どんどんプレーを生み出すラグビーで喜びを感じながら勝ちたい。対戦相手によってカメレオンのように戦術を変え、プレーを変えながら、大胆に我々のラグビーができるチームでありたい。それがスタッド・トゥルーザンの未来の姿」と言っていたことがずっと印象に残っている。
決勝の涙は、その姿が見えたからに違いない。