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釜谷一平[履正社広報企画局長]◎社会へのお返し。ラグビーへのお返し。
ラグビー部のチームTシャツを持って、新設された履正社国際医療スポーツ専門学校の新館にて。(撮影/中矢健太)

釜谷一平[履正社広報企画局長]◎社会へのお返し。ラグビーへのお返し。

中矢健太


 この春、大阪府の履正社高校が、ラグビー部の新設を発表した。ヘッドコーチは公募され、全国から50名を超える応募が集まった。選考を経て、ヘッドコーチに決まったのは関東学院大学で選手として日本一を経験し、日本IBMでもプレーした作田敏哉氏。来春の始動に向けて、大阪の北摂地区を中心にラグビースクールや中学校のラグビー部をまわる日々が続いている。

 このラグビー部の新設とヘッドコーチ公募。裏で仕掛け人となっていたのが、学校法人履正社で広報企画局長を務める釜谷一平だ。履正社の創立は1世紀以上前の1922年。釜谷は創設者の曾孫にあたり、役員としても学校経営を補佐する立場にある。

 釜谷の経歴は異色だ。慶應義塾大学に入学した翌々年に、東京大学に再入学。卒業後は文藝春秋に入社した。「Sports Graphic Number」の企画・編集や「週刊文春」編集部でスクープを追う日々を経て、2016年に履正社に入職。今は中学校、高校、専門学校の生徒募集戦略や学校改革、人事採用を統括するかたわら、当時の経験を活かして、学校案内やホームページも学内のチームで編集している。高校野球部が夏の甲子園で優勝した際も記念誌を編集した。

 釜谷がラグビーを始めたのは、東大に入ってからだった。慶應大ではバンド活動をしながらキャンパスライフを謳歌していた。ただ、ラグビーをはじめスポーツを見ることは好きで、Numberは愛読誌の一つだった。

 慶應大日吉キャンパスからの帰り道は、いつもラグビー部のグラウンドの横を通った。練習をネット越しによく眺めていた。当時の慶應大ラグビー部は創部100周年を迎えており、Numberには部のドラマを追った記事が連載されていた。ある日、同誌に、東大が慶應大と同じ関東大学対抗戦Aグループで青山学院大学、日本体育大学に勝利した記事が載っていた。巻末のコラムには「もしこれを読んでいる若者で東大の門を叩く者がいれば、ぜひラグビー部でチャレンジしてほしい」とあった。衝動的に火がついた。

「人間、いつ火がつくかわからない。でも着火したら、それってもう自分でどうしようもないわけじゃないですか。もう消せない」

 東大のラグビー部に入りたい一心で、1日18時間勉強した。合格発表の日、自分の番号があることを確認した釜谷は、東大の駒場グラウンドに立ち寄った。そこで初めてラグビーボールに触れた。最初のポジションはウイング、フルバックだったが、2年生の夏にフランカーにコンバート。その1カ月後には秩父宮ラグビー場で早稲田大との公式戦に6番で出場した。

 文藝春秋での初期配属は、自分がラグビーを始めるキッカケになったNumberの編集部だった。3年後、週刊文春編集部に異動。スクープを追う日々を5年半続け、またNumberに戻った。2015年のラグビーW杯や、スーパーラグビー特集などのデスクも担った。会社勤め時代、世界30カ国超を歩きまわった釜谷は、2007年以降のラグビーW杯を欠かさず現地観戦している。2015年も新婚旅行を兼ねて自費でイングランドまで渡航しており、ジャパンの南アフリカ撃破の目撃者となった。

 その後、実父である履正社の専務理事(現・理事長)から、誘いを改めて受けた。履正社に来ないか。数年来、ずっと答えを引き延ばしにしていたが、ついにファイナルアンサーを求められた。編集の仕事は楽しかったし、大好きだった。一方で、代々続く家業を絶やしたくはなかった。自分の経験を活かして学校に一から携わることも、一生の仕事として面白いと思った。

 計11年に亘る文藝春秋での勤務を経て、2016年に履正社に加わった。釜谷の最初の仕事は、専門学校の副校長として、入学希望者を増やすことだった。当時は志願者が落ち込みつつある状況で、なにか打開策が必要だった。釜谷は学内に広報組織を新たに立ち上げ、営業、広告、宣伝戦略を一から見直すことで生徒募集を軌道に乗せた。片や、国語の教員としても2年間、履正社高校で現代文の授業を担当した。

 コロナが流行した2020年頃には、学園全体の広報を任されるようになった。次のミッションは、低迷していた中学校・高校の生徒募集だった。元々学校のネームバリューはあるだけに、今度は広報戦略だけではなく、学校の中身そのものを時代に合った形にシフトさせる必要性を感じた。

釜谷がNumber編集部時代にデスクを担当したラグビー特集号と、履正社での制作物

 今、釜谷が柱に据えていることは二つある。

 一つは、言語技術教育。つまり、自分の思考を母語で論理的かつ的確に相手に伝えるスキルを磨く教育だ。欧米では「Language Arts」と呼ばれ、国語の授業として一般的に取り入れられているが、日本の学校現場ではほとんど採用されていない。

 釜谷は十年超に及ぶ出版社時代の経験と、国語教員として教壇に立った数年間の実感から、昨今は「グローバル教育」が盛んだが、日本語で論理的に話したり書いたりできない人間が、英語でそれをできるわけがないと確信した。文系理系を問わず、社会に出た際に企画書を書く能力やプレゼンする能力、研究を論文にまとめたり発表したりする能力の素養は、これまでの学校教育では教えられてこなかったものだ。日本の学校が今後、世界で伍していく人材を輩出していくためには、全ての学びの土台となる「母語を論理的に扱う力」こそが必要だ。

 釜谷は茨城県の「つくば言語技術教育研究所」まで出向き、研修を受講。同代表所所長の三森ゆりか氏に何度も会いにいき、今では同所の全面監修のもと、履正社中学校の必修科目として「言語技術」を導入。三森所長にも毎週、講師を請け負ってもらっている。スポーツ界では、日本サッカー協会やJOCエリートアカデミーも言語技術教育を取り入れているおり、2024年度からは履正社高校の強化クラブの生徒も言語技術のクラスを受講している。

 もう一つは、学校の真の国際化。これから先は、小学生が英検2級を取ることや、中学から海外に進学することが普通になる時代がくると釜谷は考えた。学校の国際競争力が問われる時代だからこそ、交換留学や英語のスコアなど表面的なグローバル教育ではなく、根本的に世界で勝負できる生徒が育つ環境にしたい。釜谷は志に賛同する教員を全国から募り、今年4月には履正社中・高に「学術基盤センター」という組織を立ち上げた。

 同センターがスローガンの一つに掲げているのが、「ここが世界だ」という言葉だ。日本の外に世界があるのではなく、ここは既に世界の一部であることを意識してほしい。そんな教育と環境を整えるために、センター長の松本浩欣教諭を中心に、留学生を常時国内に招いて多言語・多文化に触れる機会や、海外交流校を増やしながら、海外の大学へ進学できるプログラムを拡充させている。

 そして、二つの柱を繋ぐのにもってこいなのがラグビーだった。グローバル化を打ち出す中で海外の学校と提携する際、ラグビーが持つ強みがある。「提携を結びましょう」よりも「まずは交流試合しませんか?」だ。年齢を問わず、ラグビー経験者同士はなぜか距離が縮まる。それを学校単位でもできないかと釜谷は考えた。試合を通じて交流を深め、そこから提携関係につなげることは大いに可能。ラグビーは世界へのパスポートになり得る。

 釜谷はNumber編集部時代に、ニュージーランド・オタゴへ取材に行った。その時の記憶が、今でも胸に根付いている。

「ニュージーランドのラグビー文化が知りたくて、現地の老若男女の人々に取材をして回りました。そして必ず取材の最後に『ラグビーをやって一番良かったことはなんですか』って聞いたんです。そしたら、ほとんど全員が『フレンズ!』って言うんですよ。生まれた場所も年齢も、性別、立場とかも違う人たちが、揃いもそろって。笑顔で、幸せそうに言うんですよね。それがすごく印象的で、ラグビーって本当に友達ができるスポーツだということを実感しました」

 この経験は、履正社ラグビー部の設立理念の一つ「世界中に友達をつくる」に昇華されている。

 週刊文春時代も、企業のトップや経営陣に取材する機会があった。なぜか経営者にはラグビー経験者が多かった。釜谷は感じた。ラグビーという競技そのものに、組織をマネジメントする、リーダーシップとフォロワーシップを学ぶ機能が内包されている。ラグビーは、社会で活躍するための素養や土台が自然と備わるようなスポーツなのではないか。

 釜谷自身、ラグビーに育てられた。大学でラグビーを始めたからこそ、キャリアがつながり、人との縁がつながり、学校の改革につながっていると感じている。だから履正社高校ラグビー部は、単に花園出場をゴールにするのではなく、「世界にタックルできるような人材」を育てるクラブでありたい。

 履正社高校ラグビー部のパンフレットには、釜谷が書いた文章が載っている。

<(前略)また、大人はこんなことも知っているはずです。ラグビーは痛いし、しんどいし、苦しいスポーツだと。それなのになぜ、大人はラグビーを語る時、みんな笑顔になるのでしょう。『痛くてしんどくて苦しい』先の果実を味わったことがあるからです。

 仲間を作り、苦闘の果てに果実を味わうこと。このことが、これからの時代の子どもたちに必要なリアルな経験であり、『新時代の学力』の礎となると考えています。

 履正社高校ラグビー部は、かつてラグビーに育てられた元少年少女たちからの、社会への『お返し』です。願わくば、この贈り物を受け取った子どもたちが大人となり、次の社会に『お返し』をしてくれるようなサイクルをつくりたい>

 釜谷なりのラグビーへのお返しは、これからも続いていく。


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