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コベルコ神戸スティーラーズ、クボタスピアーズ船橋・東京ベイでプレーしたリーグワンでの3シーズンで38試合に出場した(クロスボーダーラグビー2024の1試合を含む)。
運動量の多いLO、JD・シカリングが2023-24シーズンを最後に南アフリカへ戻った。
南アフリカ代表でのキャップ獲得を目指し、古巣のストーマーズに復帰する。
帰国を機に、同国のラグビー誌『SA RUGBY』が同選手を取材し、記事を掲載する。
インタビューをおこなったディラン・ジャック記者からストーリーが届いた。日本ラグビーの印象などが綴られている。
学校に戻る子どものような気分。
JD・シカリングが2021年にキャリアを日本に移す決断をしたとき、それは未知への飛躍だった。
しかし、203センチのLOは、南アフリカのラグビーの頂点にストーマーズを導くために、新たな力を携えて帰国を決めた。
「とてもワクワクしています」
シカリングは『SA Rugby magazine』にそう語る。
「学校に戻る子どものような気分かな。最初は海外に行くのは難しい決断だった。ドッボ(ジョン・ドブソン ヘッドコーチ)と話してストーマーズに戻ることについて話したとき、本当に興奮した。チームがとても良くやっているから」
ストーマーズが提示できない給与を提示され、当時26歳だったシカリングは、もともとあった契約を早期解除して極東の国へ移ることになった。
当初は短期契約だったが、結局は4シーズンの滞在となった。シカリングは2シーズンを神戸スティーラーズ、1シーズンをクボタスピアーズで過ごした。
「なかなか興味深い旅だった」と振り返る。
「初めて海外に行く。それは大きな決断でした。家族(の生活)を守るためでした。特に私にとって、家族は非常に重要だ」
シカリングがその決断をしたとき、南アフリカのラグビーは変革期にあったことを忘れてはならない。
ラグビーは(コロナ禍による)全国的なロックダウンから再出発し、南アフリカはスーパーラグビーから追い出された。ストーマーズ、シャークス、ブルズ、ライオンズは、北半球への移行を模索していた。
2021年6月、ユナイテッド・ラグビーチャンピオンシップの拡大が発表された。シカリングが5月に、(前身の)レインボーカップでストーマーズ最後の試合を戦った翌月のことだった。
日本への移籍はシカリングにとって、身体的にも精神的にもリセットの機会を提供した。
例えば、アンドリース・ベッカーのもとで修行を積むチャンスを与えられた。
元スプリングボックのLOだったベッカー(キャップ29)は、シカリングが2022年に神戸(スティーラーズ)に到着したとき、コーチになって3年目に入っていた。
「彼と一緒の時間を過ごせたのは本当に良かった」とシカリングは言う。「5番の仕事、プレーのコツを教えてくれる存在を常に探していました。それをベッカーがやってくれた。道を示し、アドバイスをくれる人がいることは、私の成長にとって素晴らしかった」
ストーマーズでの最初の所属時は主に、エベン・エツベスの控えでプレーしていた。
ただその先にあった2019年、2020年は、5番のジャージーでの出場時間が増えた。
スティーラーズでは日本語でのコールに慣れる必要はあったものの、ラインアウトにおける彼の成長は日本でも続いた。
結果、過去数シーズンに渡りラインアウトが不安定だったストーマーズに、有益なものを与えるだろう。シカリングは、セカンドローに必要とされる安定性と深さを提供することになるはずだ。
「確かに5番として成長した」と本人も自信を口にする。
「日本では5番のほか、ブラインドサイドフランカーでも少しプレーしました。それは興味深い経験で、本当に楽しかった。最後のシーズン、スピアーズでは4番で使われ、ルアン・ボタ、デーヴィッド・ブルブリングとともにプレーしました」
4番、5番、そしてラインアウトのコーラーを任命され、そのすべてに全力を尽くした。
南アフリカの人の日本の知識は間違っている。
多くの南アフリカ人は依然として、日本のリーグは、キャリアの終わりに差し掛かった選手たちが集まり、競争力が低いと思っている。
しかし、シカリングが経験した4シーズンは、それとは全く違う世界だった。ワールドカップ優勝のスプリングボックスや経験あるオールブラックスも加わって、トーナメントの激しさが増しているのは間違いない。
「日本のラグビーについて誤解している人もいると思うが、タフで非常に速いラグビー」とシカリングは説明する。
「シーズンを重ねるたびに、日本のリーグがどれほどタフになっているか実感してきました。特に今季はワールドクラスの選手が多くいて、本当にタフだった。国際的な選手と対戦するのは、自分を最高の選手と比較するために良い機会でした」
言葉の壁は高かったものの、日本の選手たちのアプローチは積極的で、そのお陰で日常を楽しめた。
「日本の選手たちは常に学び、向上しようとする姿勢を持っています。その姿が本当に印象的でした。彼らの向上し続けたい、より良くなりたいとと願う姿勢に感心しました。願っている。そして、本当によく働く」
オフフィールドも楽しんだ。
「チームは、良いイベントやチームソーシャルをたくさん企画してくれました。私たちを、チームメートとして皆に近づけようとしてくれる。『君は外国人で私は日本人だから、間に壁がある』という感じは全くない。多くの日本人の友だちができたのは財産です」
日本のファンについても好印象だ。
「彼らは本当に良いサポーター。南アフリカのサポーターとは大きく異なります。静かに座って試合を見て、必要な時だけ拍手する。クラブにとっても、サポーターの存在は大きく、どのクラブも、ファンのおかげでチームが成長しているように見えました」
多くの人の笑顔がエナジーになっていた。
シカリングが南アフリカに戻る理由の一つは、代表チームに入る願望からだ。
彼はストーマーズとウエスタンプロヴィンスで成長のレールに乗り、2018年11月のツアーメンバーに選ばれた。ただ、テストデビューは果たせなかった。
「2018年の代表キャンプに参加した後、意欲は常にそこにありました。スプリングボックスのためにプレーしたくない南アフリカのラグビー選手はいないと思います。特に僕にとっては、それが今でも原動力であり、戻ってきたいと思ったもうひとつの理由。自分にとって、本当に重要なことです」
だから、まずは「ストーマーズでの生活に慣れ、そこで自分が何をすべきかを理解し、集中します。そこでピッチに立てば、代表チームのキャンプに選ばれるチャンスがあるかもしれない」と話す。
「自分の行動によって、チームのリーダーとしての地位を再び確立することを楽しみにしている。自分の経験をぜひ分かち合いたい」
そう言う本人について、ドブソンHCの期待も大きい。
「シカリングは、この地で生まれ育った選手。勤勉だし、何の苦労もなく我々の環境に戻ってこられるでしょう」
シカリングは、HCが自分のことを「自然なリーダー」と表現することに同意する。
「自分がリーダーだと言うのではなく、行動で導きたい」と覚悟を口にする。
未知の舞台であるユナイテッド・ラグビーチャンピオンシップが「どんなところなのかワクワクする」と目を輝かせる。
そういう気持ちは、プレーヤーを走らせるエナジーとなるものだ。