![自分の良さ、もっと。<br>和田健太郎[慶應義塾大学1年/SO]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/02/250217_interview.jpg)
慶應のキャンパスで和田健太郎を見かけたとしても、ラグビー選手とは気づかないかもしれない。身長は168㎝、表情は柔和で、体つきは華奢である。
茨城・清真学園出身。お父さんの健一さんは早稲田のOB。中竹竜二主将の世代である。早大を卒業後、母校である清真学園で教鞭を取った。
「僕は中学から清真学園に入りましたが、その時点で父はもうラグビー部を教えていましたね」
茨城といえば、茗溪学園が一歩抜きんでた存在。中学、高校とチャレンジし続けた。
「清真は中学からラグビーを始める仲間も多かったので、茗溪とは差がありました。中学3年の時はコロナで決勝が中止になって、茗溪のグラウンドで中3同士が試合をしたんです。前半は0-0。後半に2本トライを取られて負けましたけど、手ごたえもあって」
高校でも練習は長くて2時間ほど。工夫しなければ茗溪には追いつけない。高1では準決勝で0-83と大敗するも、高2では6-24まで差が縮まった。
「清真は個々の強さではかなわないので、ダブルタックルを意識したり、とにかく全員の力で対抗しようとしました。茗溪には、いま慶應で同部屋になっている田村優太郎(SO、CTB)や、高校日本代表で筑波に進んだ森尾大悟(CTB、WTB、FB)といったスター選手がいるだけでなく、組織としてもまとまりがあるんですよ。高3の決勝ではなんとか勝ちたかったんですが……トライも取れませんでした」
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結果は0-28。3年間、茗溪相手には一本もトライを取れなかったことになる。
大学進学にあたっては、ラグビーを続けるよりも、理工系に進むことが頭にあった。
「小学生のころ、キッザニアに行って飛行機のシミュレーターみたいなのに乗ったら、楽しくて、楽しくて(笑)。中学、高校でも物理、数学の理系科目に興味が湧いて、国公立の理系に行きたいと考えていました。大学でラグビーをやろうという明確な思いもなかったんですが、高校2年の時に慶應の練習見学に誘ってもらいました」
誘ったのは叔父の和田康二。慶應ラグビー100周年優勝時のSO、現在は慶應義塾體育會蹴球部のジェネラルマネージャーを務める。
「先輩方の練習に対する姿を見て、胸を打たれました。『この人たちと一緒にラグビーをやりたい』と思ったんですよ」
しかしお父さんは早稲田OB。和田家の中で、早慶の綱引きはなかったのだろうか?
「父からは早稲田を勧められたこともありましたが、『行きたいところに行っていいよ』と言ってもらったので、ありがたかったです」
清真学園には慶應の指定校推薦の制度があり、和田は見事、理工学部への入学が決まる。噂によると「オール5」。その真偽を確かめると、苦笑いしながら、「オール5ということはないです」と柔らかに否定。結局、真偽のほどは定かではなかった。
そして、いよいよ慶應に入学。ただし、入部するにあたって不安はあった。
「高校時代は関東大会止まりで、全国大会の経験がないのは不安ではありました。それに3月に卒業式が終わってから高校の練習に参加していたんですが、左足のハムストリングを肉離れしてしまって。その状態で日吉にやってきました」
幸いだったのは、慶應のリハビリのプログラムは充実しており、脚の力の左右差がなくなるまで丁寧に面倒を見てもらい、6月8日の新人早慶の前には復帰することができた。
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◆憧れの早慶戦へ、1年生で出られるとは。
リハビリで始まったラグビー生活だが、慶應での新しい生活は充実していた。
「入学前は、慶應は上下関係がしっかりしているのかなというイメージがあったんですが、先輩と後輩の仲が良く、風通しのいい組織で。なんなら、新人は歓迎ムードでした(笑)。ラグビーの面でいちばん変わったのはウェイトトレーニングの回数ですかね。1日2回取り組む日もあって、日々、成長を実感できる時間です」
理工学部では、新しい知識が増えつつある。
「学年が上がって専攻できるのは、管理工学や機械工学です。管理工学では、交通における人の視点を研究して、どういう状況で事故が起きやすいかといったことを勉強したりします。機械工学の方は医療素材や、月の探査で活用できるロボットの開発に取り組んでいる研究室もあります」
夏にかけてはラグビーのギアも上がっていく。復帰してからはC・Dチームからのスタート。そのなかで冷静に自分の強みを見直した。
「どうしたら、自分の良さが出せるかとずっと考えていました。アタックでは自分が仕掛けつつ、相手のディフェンスをずらしてのオフロードが効果的なことが多かったですね。それが評価されたのか、夏合宿からはA・Bで練習させてもらって、この時期からはキックも上手く使えるようになってきたかと思います」
対抗戦が始まり、慶應は筑波、明治にいいところなく連敗。慶明戦からほぼ一か月空いての10月20日の帝京戦、和田の出番がやってきた。
「デビューがいきなり帝京戦でした(笑)。試合前日はいままで感じたことがないような、緊張感MAXの状態でしたね。それでも、キャプテンの中山(大暉)さん、バイスキャプテンの小城(大和)さんからの声掛けもあって、なんとか落ち着いて試合に臨むことができました」
慶應は19-57で敗れたものの、ひと月前に比べてチームの整備が進んだことは明らかで、和田もデビュー戦で手応えと課題を感じていた。
「大学の試合は理詰めで、SOの仕事としてはゲームコントロール、エリア取りがひじょうに大きな意味を持ちます。どうやったら相手の裏を取れるのか、それはすごく意識しましたし、良い局面を作ることも出来たかと思います。課題としては、フィジカルでした。体を大きくする、強くすることの重要性を感じました」
大学選手権出場に向けて重要な意味を持つ青山学院大戦、立教大戦には勝利し、いよいよ11月23日の早慶戦へ向かう。
「小さいころから見ていた憧れの舞台です。高校2年の時も現場で観戦して、『いつか出たい』と漠然と思っていましたが、1年生から出られるとは想像もしていませんでした」
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しかし、この試合は和田にとってほろ苦いものとなった。3対57。トライを奪えず、しかも早稲田の1年生SO、服部亮太のキック力に押し込まれてしまった。
「エリア取りのところで、服部君に完敗してしまいました。これから3年間で対抗できる力をつけないといけないと痛感しました」
敗戦からは学びがある。大学選手権に入ってから和田はアタックの面で成長を見せた。
大学選手権初戦の東洋大戦では、トライラインを目前にして、うまく「タメ」を作ってディフェンスをずらし、CTB今野椋平のトライを演出した。クラシカルなスキルだが、現代のラグビーでは逆に新鮮に見えた。試合も50-26の快勝。
「対抗戦では、敵陣に入ってからFWに頼りすぎてしまい、それだけじゃトライを取り切れない反省がありました。そこでスペースを狙って走りこみ、周りを生かすプレーを心掛けました。スペースを見る。仕掛ける、ずらす、という作業ですね。東洋大戦はそれがうまくいったと思います」
◆まずは筋肉量を増やします。
そして年末の大学選手権の3回戦では帝京大と再戦。後半、追い上げを見せたが、勝負どころで失点を喫すると、ノーサイドの時には24-73とまでスコアが開いていた。
「後半、いけるという感覚はあったんですよ。ところが、キックオフから一気に押し込まれたり、カウンターをくらったりして、本当に少しの油断で傷口が広がることを実感しました。2年生になったら、よりゲームのマネージメントを意識しないといけないと思いました」
帝京、早稲田の試合を通して、自分に足りないものが見えてきた。
「自陣ではピッチ全体を見て、空いているスペースを常に探すことを意識してましたが、シーズンが深まるにつれて相手裏へのキックを有効に出せることもありました。これからは長短、使い分けができるキッキングスキルは磨いていきたいですね。アタックでは、間合いを大切にしたいです。間合いの感覚を磨くには、一つひとつの練習を大切にするしかないと思うんですよ。試合の感覚で練習ができるかどうか。毎プレー、毎プレー反省して、『どういうプレーが良いのか?』ということを突き詰めていきたいと思います」
そして強敵との対戦を通じて、サイズアップは最重要課題だと捉えている。
「ディフェンスでは、自分のところが狙われているのは重々承知しているので、当たり負けしない体づくりは必要だと思っています」
いまは週に9回、ウェイトトレーニングのセッションがあり、体重は72キロほど。新しいシーズンには75キロまで増やしたいと話す。
「筋肉量を増やすことと、キックのスキルを磨くことで、キックの飛距離を伸ばせるかと思っています。やっぱり、早慶戦ではエリア取りで負けたようなものでしたから……」
利き足は左足。いろいろ質問すると、本物の「二刀流」のようだ。
「野球は右投げ右打ちです。習字、板書する時も右ですが、ノートに文字を書く時は左ですね。あと、ハサミを使うのは左で、お箸を持つ時も左です(笑)」
一定の法則が見いだせない二刀流である。
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2年生を迎える2025年は飛躍のシーズンとしたいところだが、和田は危機感を募らせている。
「4月からは、慶應高校から高校日本代表にも選ばれた小林(祐貴)君も入ってくるので、自分の強みをより伸ばしていかないと、試合にも出られないと思います。それに、大学に入ってからは練習試合を含めて、まだトライをひとつも取ってないので、2025年はトライを取りたいです(笑)」
取材当日も、ウェイトトレーニングを終えてからのインタビュー。普段、筋トレで疲れたあとは、好きな曲を聞きながらリラックスする。
「Mrs. GREEN APPLEを聴いたりしてます。あと、両親がサザンオールスターズが好きなので、サザンもよく聴きますね」
自分の将来像については、いろいろな可能性を探っている。小さいころに夢見たパイロットも、将来の職業像のひとつとしてまだ生きている。
「パイロットも選択肢のひとつとしてあります。とにかく機械が好きなので、コックピットで計器に囲まれている感じがいいんです(笑)。でも、慶應で学ぶことで、今まで自分が出会えなかった機会に触れることが多いので、視野を広げる4年間にしたいと思っています」
撮影時に話を聞くと、5人きょうだい。お姉さんの凜々子さんは、慶應のマネージャーを務め、今年の春に卒業を迎える。
「いちばん下は10歳の弟です。かわいいです(笑)」
父、叔父、姉が紡いできた和田家のラグビーヒストリー。和田健太郎の本番は、これからだ。