このキャプテンの魅力は、笑顔だ。
笑うと、目が細くなって、白い歯がこぼれる。仲間は彼の笑顔に助けられたことがあったに違いない。
河村凌馬。
今年創部100周年を迎えた青山学院大のキャプテン。
この記念すべきシーズンに、青学大は立教大に勝って、30年ぶりに大学選手権出場を決めた。
「ノーサイドの瞬間、本当に大学選手権決まったのかな? と実感が湧かなかったです。でも、みんなが喜んでいて、行けるんだなと。僕たちの代の思いの強さが、結果に表れてうれしかったです」
◆意欲。そして、もどかしさ。
河村は、お兄さんの影響で大阪・堺ラグビースク—ルでラグビーを始め、中学から東海大大阪仰星へと進む。
「お兄ちゃんが仰星に進んでいたということも大きかったんですが、ラグビースクールは楽しむことを大切にしていたので、優勝を狙えるチームでラグビーをやってみたいと思ったんです」
中学時代のラグビー部の顧問、能坂尚生は間違いなく「恩師」と呼べる存在だ。
「いまでも、『能坂先生やったら、どない考えるんかな?』と考える時もあります。先生は、僕たちがやりたいことに寄り添ってくれて、『こういうオプションもあるよ』とアドバイスしてくれたうえで、考えさせてくれました。中学から高校に向けて、考える礎を作ってくれた先生です」
仲間にも恵まれて、中学3年生の時は公式戦負けなし。求めていた勝つことの喜び、負けないための準備の必要性を染み込ませた。
そして高校へ。河村の高校最後の試合は、花園の準々決勝、ロスタイム18分に及ぶ21対21の引き分けだった。そう、「あの東海大大阪仰星対東福岡」の試合である。
「いまでも、いろいろ考えることがあります。もっと、出来たことがあったんじゃないか。もっと、柔軟な発想力をもってあの試合に挑んでいたら、結果が違ったんじゃないかって」
準決勝進出をかけた抽選の結果を、18歳はどう受け止めたのだろう。
「抽選が終わって、キャプテンの近藤翔耶(とわ/現・東海大学)が戻ってきて、『負けた』って言ったんです。最初、嘘なのかなと思いました。僕たちは全国優勝するものだと信じていたので、近藤は関西人のノリで、冗談でそう言ったと思ったんですよ。そしたら、近藤が泣き出して……。ああ、ほんまに負けたんやなと思いました」
負けてはいなかった。でも、次の試合がなかった。
「悲しかったですね。負けた、というよりもこのチームでもう二度と試合が出来ないと思うと、それが悲しくて」
大学は青山学院を選んだ。
「大学選びの軸として、関東でラグビーをしたいということと、対抗戦でプレーしたいと思っていました。そして自分自身が伝統や文化を作れる。個人として大きな影響力を発揮できる大学がいいなと考えて、青学に決めました」
ただし、青学大に入ってからは葛藤があった。1年生の時には肩の手術をした影響でプレーできない時間が長かったのと、チームのカルチャーにも違和感をおぼえていた。
「全員が一緒の方向を向いていないのかな、と感じることがあって。勝ちたいと思う学生もいれば、この空間が好きで青学で楽しくラグビーができればいいや、という人もいました」
高校時代、明確に頂点を目指すラグビーに取り組んでいただけに、そのギャップは大きかった。いや、それはストレスだったかもしれない(河村はその単語は決して使わなかったが)。
ラグビーに対する思いは強いまま、3年生になってSO、CTBでプレーする機会をつかむが、対抗戦の壁に跳ね返される。
「力不足を痛感しました。試合でインパクトを与えられないもどかしさがありました」
入学以来、対抗戦では3年連続で7位。入れ替え戦出場が続いた。
◆カルチャー、変えようぜ。
このカルチャーを変えたい。
河村は1年生の時から学年リーダーを務めていたこともあり、彼がキャプテンになるのは自然の流れだった。中学、高校で学んだこと、そして青学大に入って3年間で感じたこと、それらすべてを最後の1年にぶつけようと思った。まず、河村が目指したのは全員が練習から徹底的に準備を重ねる集団だった。
「自分の経験からいえば、仰星のいいところは全員一緒に練習することでした。みんながチームという『袋』に入っている。先生もいろいろな選手を観察して、心配り、目配りをする。青学でもそれを発想の根本に据えて、みんなが一緒に負けない準備をして、ハードワークする文化を作る。青学ラグビー部のエンブレムをつけて試合をするからには、たとえ相手がオールブラックスだろうが負けない気持ちで戦う文化を植えつけたかったです」
大学選手権、8強進出が目標。これまではラグビーをエンジョイする発言もどことなく許されていたが、そうした言葉を発する選手もいなくなっていった。
「今年のスローガンは『徹底』です。自分たちが目指すラグビーを実現するために、細部までこだわって、徹底していく。それを2月から始めました。去年まではジャージを着る23人、メンバー選考に絡む30人と、それ以外のメンバーに温度差があったように思います。いまは学年に関係なく、全員がハードワークのカルチャーを大切にしています。正直、いまの1年生はこの状態からスタートできるの、うらやましいです」
この言葉の裏を読めば、3年間、河村は葛藤を抱えながら青学大で過ごしてきたことがうかがえる。ぬるかったのかもしれない。強豪校と対戦する時は、キックオフの前からマインドセットに差があったのかもしれない。
しかし河村は、同級生と一緒になって青学大の「土壌」を入れ替えることに成功した。
今季の対抗戦開幕に向けて、夏合宿も順調……のはずだった。ところが8月24日、菅平での最後の試合となる関西学院大戦との定期戦で、なんと21対80と大敗を喫する。
「夏合宿、手ごたえがあったんですけどね。でも、下を向いている暇はなくて、とにかく今季の原点に立ち返ろうと。ディフェンスでは前に出る。アタックでのブレイクダウンは激しく」
自信が失われそうなスコアだったが、これが大きな学びになった。9月8日、対抗戦の初戦、明治戦は17対73で敗れたものの、自信を得られた。
「スコアこそ離されてしまいましたけど、失点されたのはゴール前のモールとかで、フェイズを重ねられてのトライは許さなかったんです。これは大きかったですね」
続く9月22日の帝京戦では、前半5対14と大健闘。最終的には5対40とスコアは離されてしまったが、またもここで自信を得る。
「前半、フィジカルのところで帝京に負けていませんでした。これで自分たちのやってきたことは正しかったんだと、みんな実感したはずです。ただ、試合が終わってから『明治も、帝京にも後半やられた』という声がありました。反省点として、前半が終わってロッカールームに戻ってからのチームトークが『前半、こうだったよね』という感想を話すことが多かったんです。そこで、次の筑波戦からは後半の修正点にフォーカスして話すことを意識しました」
すると、チームが変わった。9月29日の筑波戦の前半、青学大は17対10とリードして折り返す。
「前半が終わって、ロッカーに戻るスピードがみんな早かったんですよ。相手より先に戻って準備するという意識が徹底できてました」
結果、30対22で勝利。大学選手権出場に向けて、大きな一歩を記すことになった。
「9月は明治、帝京、筑波と学びを成長につなげられたと思います。10月は飛躍の月にしたかったんですが、早稲田には完封負け。ただし、10月27日の慶応戦が大きなターゲットでした」
◆粘り強さで勝ち切る。
慶応。昨季は前半、20対17とリードしながら、後半に逆転負け(20対31)。なんとしても倒したい相手だったが、10対20(前半10対17)で敗れた。
「慶応は、とにかく意識してきた相手でした。準備も徹底して出来たと思っていただけに、この負けはショックでした。内容もセットプレーは充実、というよりもなんならスクラムは圧倒していましたからね。それなのに、自分たちが勝手にミスしてボールを渡してしまって……」
この敗戦からも、学びはあった。河本(明哲)コーチが、4年生に対して厳しい言葉を投げかけた。
「コーチからは、練習の段階から、4年生がもっとミスに対して厳しく注意した方がいいんじゃないかと言われました。それまで、僕たちの世代の特徴として、下級生にはのびのびとプレーしてもらって、ミスが起きたとしても自分たちがカバーしよう、と思っていたんです。河本コーチから言われて、迷いました。これまでの路線で行くのか、厳しく言った方がいいのか。ただ、次の日体大戦は大学選手権出場を考えると、絶対にボーナスポイントを取らないといけない試合だったので、ディテール、細かいところまで意識を徹底していこうということで、練習の段階から緊張感を高めていきました」
11月17日の日体大戦は、前半は10対0とやや重たい展開になったが、最終的には36対19。青学大は6T3G、日体大は3T2Gとギリギリでボーナスポイントの条件を満たしての勝利(3T以上の勝利で1ポイント獲得)。結果的に、これが大学選手権出場にモノをいった。
そして迎えた最後の立教戦。大一番である。
前日に筑波大が帝京大に敗れ、勝ち点20止まり。青学大は立教に勝てば、勝ち点で筑波と同じ20で並ぶものの、直接対決を制しており、5位での大学選手権出場が決まる。
立教戦はもつれた。最後の最後まで。前半は25対16。後半15分には、25対25と追いつかれる。
「立教とはライバル意識、ありますね。僕が入学してから、対抗戦では1勝2敗、ジュニア選手権では2勝2敗。どっちにボールが転がるか、それこそ、ひとりの選手の足の動きひとつで勝敗が入れ替わるような試合をしてきました」
追いつかれたものの、立教に流れは渡さなかった。後半25分にロック荒川真斗のトライで勝ち越し。32分にはSO青沼駿昌がPGを決めて、35対25と安全圏に入ったかに見えた。ところが35分に立教が50—22を起点に時間をかけずにトライ、ゴール成功で3点差に追い上げる。河村は少しだけ、油断したと振り返る。
「10点差になったところで、残り10分。正直、これは勝ったかなと思いました。そこから3点差になり、しかも最後の最後、ゴールラインまで攻め込まれましたからね」
実は、青山学院はゴールラインを割られていた。しかし、グラウンディングはさせなかった。立教のノットグラウンディング。青学大は首の皮一枚残して、大学選手権出場を決めた。河村はいう。
「ちょっとだけ、夢心地でした」
そしていよいよ12月14日には、大学選手権の初戦、京都産業大学戦を迎える。
「大学選手権は初めてなので、とにかく楽しみです。京産大は外国人選手もいて、フィジカルが強いですよね。それに一歩も引くことなく、15人全員が立って、それぞれの仕事を徹底したいと思ってます。青山学院が勝つなら、接戦に持ち込まないといけない。とにかく粘り強いディフェンスを見せたいです」
会場となる和歌山・紀三井寺は、「中学2年生の時にプレーして以来です」と笑う。
卒業後は金融機関に勤務する予定で、チャンピオンシップを狙うラグビーは、大学選手権が最後となる。
「みなさんに青山学院のラグビーがどういうスタイルで、素敵なチームだと思ってもらえるような試合をしたいです」
青山学院の歴史を変えた、笑顔のキャプテンの総決算。
80分間、その思いをぶつけろ。