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成長しないと置いていかれる。佐藤健次[日本代表/早大4年]
PROFILE◎さとう・けんじ/2003年1月4日生まれ。177センチ、108キロ。HO。高崎ラグビークラブ(5歳/幼小)→横浜ラグビースクール(中)→桐蔭学園高校→早稲田大学(4年)。日本代表、JAPAN XV、U17日本代表。ジャパンタレントスコッド。(撮影/松本かおり)

成長しないと置いていかれる。佐藤健次[日本代表/早大4年]

田村一博


 クリッとした目と笑顔に若さが浮かぶ。
 中学時代からその活躍が広く知られる佐藤健次が、進化のスピードを早めている。

 日本代表に選ばれ、6月29日(土)にマオリ・オールブラックスと戦うJAPAN XVの出場予定メンバーに入った。
 ベンチからピッチに出たら、得意のアタックでチームにモメンタムを与えたい。

 早稲田大学スポーツ科学部の4年生。最上級生になって主将を務めている。
 どんどん成長しているのは日本代表に選ばれ、刺激の多い毎日を過ごしているからだ。

 6月中旬、ハードな練習に疲れているのに、宮崎合宿中の表情が明るかった。
 アタック面には自信がある。課題と感じていたセットプレーとディフェンスについて周囲から知見を得て、前に進んでいる。

 経験豊富な坂手淳史とは同部屋。ラグビーの話もプライベートの話も気さくに応じてくれる。コーヒーもいれてもらった。
 その先輩と、東芝ブレイブルーパス東京の原田衛とともに取り組むラインアウトの練習はタメになる。

 全体練習後におこなうユニット練習で、スローイングのコツを教わり、ジャンパーの福井翔大(ワイルドナイツ)は球筋や取りやすさなどについて、毎回フィードバック。そんな日々を繰り返して、頭の中はクリアに、一貫性ある動きができるようになってきた。

「スクラムでも、引き出しが増えています」と言う。
 こう動けばルースヘッド側に影響が出るぞ。
 そんなアドバイスを受け、知らなかった領域を知る。一緒に組んでみないと分からないことばかりだ。

「みなさん強度の高いプレーをするので、自然といいタックル、いいディフェンスができるようになりました」と言うが、最初、コンタクトエリアには戸惑いもあった。
 大学シーンでは、タックルは胸骨より下に入らないといけないとされているからだ。

 リーグワンや国際舞台では、肩のラインまで許されている。その違いにアジャストする必要があった。
 早大では低いタックルに対し、パワーを活かして前に出たり、オフロードパスを使ってきた。
 しかし、このレベルで同じことをやろうと思えば上体を持ち上げるチョークタックルを受ける。自由を奪われた。

 そんな環境が楽しくて仕方がない。時間の経過とともに、体の使い方を覚え、対応ができるようになった。「成長しないと置いていかれる」と話す目が輝いていた。
 自分で自分の成長が分かる。幸せな時間だ。

たくさんの知見を得て、スローイングも向上。(撮影/松本かおり)

「2027年とは言ったけれど」の不安から、スピードはやめる。


 レベルの高い選手たち、きめ細かで厳しいコーチングをしてくれる指導陣の中に身を置けている。
 桐蔭学園、早大と、カテゴリートップのチームに所属してきた佐藤にとっても、その環境には、新たな知識や刺激があふれている。

 4年生、主将という立場の早大では、チーム全体を見渡し、牽引する立場だ。周囲に見られ、頼られる存在でもある。

「でも日本代表では、自分がほぼいちばん下です。もちろん、チームのことも意識しているのですが、それ以上に自分にフォーカスし、なにが足りないのか、いまなにをしなければいけないのか。自分のことについてあれこれ考えられる。それを楽しんでいます」

 5月下旬の菅平合宿と6月6日からの宮崎合宿の間は、早大に一時戻る時間があった。
 練習に参加し、新潟でおこなわれた関東大学春季交流大会の明大戦(6月2日)に出場。36-26と快勝した80分に貢献した。

 日本代表レベルの中で揉まれた成果は、その時、すでに感じられた。
「菅平では最終日にゲーム形式の試合もあり、リーグワンで活躍している方々、シオネ・ブナ(静岡ブルーレヴズ)さんなどとぶつかり、ルアさん(ファウルア・マキシ/クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)らとも練習でコンタクトしていたので、明治とやるとなっても、怖さとか重さは、以前とは違う感覚でした」

 桐蔭学園から大学1年まではバックローで活躍した。2年時からHOに転向したのは、将来、自分が赤×白の2番のジャージーを着てプレーすると決めたからだ。
 すでに手に入れている活躍の場を自ら手放しての決断だった。

 描いた道を思うように歩けるかどうか、約束されたものはなにひとつなかった。
 その選択が正しかったのか否かは自分次第。そういう中で、いま、転向3年目にして日本代表に選ばれた自分がいる。

「2027年(のワールドカップ。以下、W杯)を目指す、とは言ったものの、HOを始めて今年で3年目に入ったところです。2027年から逆算すると、そのときはフッカー転向からまだ5年、6年というところ。スローイングなどいろいろやってきてはいましたが、2027年(のW杯出場)は早いかなぁ、と思ったこともあります」と正直に話す。

 しかし今回、代表に入った。
「驚きはありました。今回選んでもらったのは(他の選手の状況など)、いろんな背景があってのことでしょうが、ここにいるからには本当に頑張らなきゃ、という気持ちが強い。3年でこうなるとは、誰も思っていなかったでしょう。 僕自身もそうですが、呼ばれてみて、ここにいて思うのは、(HOの経験)年数は関係ないということ。焦りではないですが、(日本代表として)やらなきゃいけないこと、できないといけないことをやれるようにならないといけない。やるだけです」

 周囲に引っ張られるように、成長のスピードは上がっている。
 2月に福岡でおこなわれたコンセプトキャンプ(日本代表の方向性を理解してもらう短期合宿)が一歩目だった。そこで原田らとスローイングの練習をしたり、時間をともにして考えが変わった。
「もっと頑張んなきゃ、と思いました。あのキャンプがなければ、ここにいなかった」

全員が主体性を持って動くチームに。


 意識が変わった。
 例えば食事。もともと暴飲暴食をするタイプではないが、メニューを選ぶ時、脂質が少しでも抑えられ、たんぱく質の多いものをチョイスするようにした。
 甘いものを欲しても、自分にブレーキをかけられるようになった。

 意識改革はプレーも変えた。
 例えばスローイング。転向後、ミスを恐れる弱気な自分がいたのは事実だ。
 しかし現在は意識の方向が違う。ラインアウト時の考え方がクリアになり、動きのルーティーンも安定。「緊張でなく、自然と投げられる。それでミスも減っています」

 自分にフォーカスし、できることが増えている。代表活動に充実を感じているけれど、早大のことも頭から離れない。
 自分が留守にしている期間は基本的に、上井草で練習を積み重ねている仲間たちに任せているものの、機を見てチームとコンタクトもとっている。

 主将の自分だけでなく、バイスキャプテンのSH宮尾昌典も春シーズンは1試合の出場にとどまっているチーム状況。帝京大戦(6月16日)で主将を務めた細谷聖樹(SH)らと連絡をとり、グラウンド上の空気を知ったり、映像を通して感じたことを伝えている。

レベルの高い中に身を置き、自分で成長を感じる。笑顔になる。(撮影/松本かおり)

 結果的には7-60と大敗したが、帝京大戦のジャージプレゼンテーションにはオンラインで繋がり、参加した。
 そこでコメントを求められた佐藤は、頭に浮かんだことを思うままに話した。

 そこまで4戦全勝だったチームに対し、「いまの早稲田は強い、順調。相手を大きく見ることはない」と伝えた後、田中勇成(6番/3年)に絞ってメッセージを送った。帝京大の6番、青木恵斗に勝て、と。

「田中は166センチです。(桐蔭学園時代、自分と同期の)恵斗は3連覇しているチームのキャプテンで、187センチとサイズにも恵まれ、アタックセンスが抜群。トータルで見たら、相手の方が上かもしれません。でも、そんなこと関係なく、この試合で活躍した方が6番として上だ、と。田中のディフェンスは凄い。やれるぞ、と」

 まだ春だ。キャプテンの青木が止められ、押し込まれ、チームが後退すれば、帝京大とはいっても焦る、勢いが欠けるだろう。
 そんな状況を作るために、田中が一の矢になってどんどん突き刺されとハッパをかけた。

 明大戦を終えてチームを離れる時のハドルで、大田尾竜彦監督が「キャプテンがいない時に(みんなが)伸びるかどうかで今年の早稲田が決まる」と話すのを聞いた。
 そうだ。全員が本当の意味で主体的に動けるかどうかでチームの成長のスピード、大きさは変わる。

 ピッチに立っている時、劣勢になると、自分や松沼寛治(NO8)に頼る傾向を感じた経験もある。
 それではいけない。1年のうちには、あるいは1試合の中でも、必ず思うようにいかないことはある。そんな時、ずるずるいくことなく、一人ひとりが踏ん張る集団にならないといけない。
 自分もジャパンで頑張る。その間に、より強い早稲田になっていてほしい。

今年の自分のターゲットは早稲田で日本一。


 年上や先輩にちょっかいを出したり、甘えるのが得意。そんな自己分析をする一方で、同期にはなかなか本心をさらけ出せない自分がいると苦笑する。

 そんなシャイな部分が、最上級生になって変わりつつある。
 早大は全寮制もある他校と違い、寮生と通いの部員がいる。3年時までは、寮生とはよく話すも、他の部員とはコミュニケーションを欠いている自分がいたという。

 4年生たちが「◯◯のために」と言っているのを聞いて、その人はみんなにそう思われる凄い人なんだな、と思っていたかもしれない。
 3年生までは、自分のことを考えるウエートが多かった。

 しかしラストイヤーを迎えて、代々の先輩たちの気持ちが自然と理解できた。「自分のためではなく、友だちと、というか、友だちのためにも優勝したいんです」と独特の表現をした。
「見たことのない光景をみんなで見たい」

 仲間と、部員全員と勝ちたい。
 今年の上井草では、恥ずかしさの殻を破り、同期や多くの部員に積極的に話しかける主将の姿が見られる。
 佐々木隆道コーチの話も心に響いた。

 同コーチは、3年間、一度も赤黒ジャージを着ることなく卒業していく部員のことを話した。
 注目されるのは、どうしても試合に出ているメンバーかもしれない。だから、それ以外の選手たちの積み重ねてきた努力の大きさが証明される、知ってもらえるのは、優勝して『荒ぶる』を歌うとき、と。
 感銘を受けた。行動も意識も変わった。

 桜のエンブレムを胸に試合に出たい。だから、目の前のことに必死に取り組み続ける。その先にある2027年W杯への思いも大きくなっている。
 しかし、2024年の自分の最大のターゲットは早大で大学日本一になることだ。夏は仲間と菅平で時間を過ごし、秋は赤黒のジャージーで毎週末を過ごす。

 だからこそこの数か月、日本代表で過ごし、いまの自分がすべきこと、チームが目指すものを知ることができてよかった。
 大学シーンでもそのスタンダードを下げるつもりはない。

 大田尾監督に言われた。2020年度の大学選手権決勝で早大は天理大に28-55と完敗した。
 その試合、天理大は当時CTBだったシオサイア・フィフィタを絡める戦い方(本人がボールを持つだけでなく、その周辺)でいくつもトライを奪った。
「フィフィタさんのような絶対的な存在になれ、と」
 そうなれば、自然とチームも上昇する。

 卒業後は、2027年にどのチームにいたらもっとも世界のトッププレーヤーになれるのか。その環境を考えて将来を決めようと思っている。
 成し遂げたい目標がたくさんある人生は楽しい。

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