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いけない。またこうなった。釜石駅に降りると、頭も心も指の先まで「V7」だ。
ただいま日本製鉄釜石シーウェイブスはディビジョン2の最下位にあえぐ。それでも1980年代前半の新日鐵釜石の黄金期への郷愁や敬意や憧憬が体内に充満、放送解説席で日本一のチームとつい比べて話してしまう。
目の前の奮闘もこのくらい当然と流し、失敗をあってはならぬと斬り、負けて、もっと悔しがれとこちらが悔しくなり、いくらか言葉が丸みをなくす。
反省。現在の選手やファンには礼を欠く。7連覇達成の1984年度、たとえば85年1月15日に生を享けたら、もう40歳なのに。

2025年4月12日の朝。釜石駅よりワンマンの三陸鉄道で鵜住居駅へ。シーウェイブスは首位の豊田自動織機シャトルズ愛知に挑む。
空は灰色。降雨の気配もなくはない。会場に早く着き、運営の務めをこなす岩手県のラグビー関係者と旧交を温める。
ひとりに聞いた。けさの天候はここらあたりのいまの季節では普通ですか?
「そう。ただ午前中に強い風が吹くのは珍しいかな。雨は降らないと思う」
そのとおり。正午のキックオフのころには青空が広がった。ただしシーウェイブスの攻守の雲は晴れなかった。23-40の完敗。スコアはいくらか整えられたものの実質の白黒は前半(6-26)に決した。
勝手を知るはずの風を味方にできず、10分、24分、29分、32分とあっけなくトライを許した。キックを蹴り込む、蹴り込まれる、このときに追う者と捕る者およびボールそれぞれの後方で危機に備える仲間がおらず、ピンチを招く。
ここで魔のささやき。全盛の新日鐵釜石は、こういう細部に魂が宿っていたよなあ。地面に球がはねると、ことごとく、と、書きたくなるくらい、しばしば真紅のジャージィのチャンスとなった。
釜石鵜住居復興スタジアムにおける防御のほころびは、ラックの球が出る前に「スコアされる」とわかるほどだった。
本当はシャトルズのブレイクダウンの意識の高さゆえのクイックボール、好機をいかしきるアタックのスキルやポジショニングを評価しなくてはいけない。なのに釜石は釜石なのだから誰かが止めろよ。と、感情がノスタルジアに引き寄せられた。
いかなる強豪とて、相手がよい仕掛けを成功させたら、ディフェンスは乱れる。でも、誰かがなんとかする。シーウェイブスの守りのライン、人と人とのあいだ、は、まさにスペースそのものだ。そこをめがけてシャトルズのボール保持者が迷わず狙えばゲインできた。
またもまたもや「V7」の像がよぎる。人と人のあいだをドロッとした空気が埋めていた。正体は、アマチュア時代の勤務後の徹底的な走り込みのもたらす集団の粘りだ。
本稿筆者も東京遠征の練習で目撃した。グラウンドを全力で黙々とまわり続ける。ある記者のカウントでは「30周」。管理された個別のフィットネスの数値(これも大切だ)とは異なる。涼しい顔でちぎる者、苦しそうにちぎれる者を「我々は釜石だ」という可視化はされぬ絆がつないでいた。そいつがゴール前の堅守へと結びついた。
組織の前と後には「わたしがぶっ倒す。わたしが穴を埋めてみせる」がなくてはならない。そこが文化だ。後半。シーウェイブスのディフェンスは最初の40分よりは前へ出た。ただし全般に「システム」をなぞるようなもどかしさもあった。

中継のカメラがシーウェイブスの選手ひとりひとりをとらえた。みんな力がある。
宮城県気仙沼出身の背番号9、村上陽平主将の足腰はいかなる体勢にもぐらつかない。ちゃんと速いパスはどこかゆったりと映った。常に体を張り、激しく、かつ落ち着きをたたえる。26歳。もっと知られてよいリーグワン屈指のハーフである。
13番、村田オスカロイドは、オーストラリアに育って東海大学に進んだ。31歳。アタックの状況判断にブレがない。入団初年度は釜石の名高き旅館、宝来館で働いた。なんとなくいい。
6番のベンジャミン・ニーニーはサモア代表の主力。勤勉と能力が長い体に同居していた。7番の河野良太は元中部電力勤務、本日も塊のごとき体を痛覚知らずでぶつける。ターンオーバーのうまいナンバー8、石垣航平の出身高校は宮古と記される。といっても岩手県立でなく沖縄県立のほう。フランカーもCTBも苦もなくこなす。悠々たる怪物。天然の力持ちだ。
開始前。地元ファンが「アベリュウに注目」と教えてくれた。
11番の阿部竜二。ステップを切って、瞬間、芯がもろくならない。体の幹は堅くてしなる。タックルも強烈。土にしかと根を張るようなFWがあまた輩出、黒沢尻工業高校の育んだBKのフィニッシャーは、海外のチームとぶつかったらたぶん抜きまくる。
名を挙げてキリはない。ひとりずつは戦える。そうであるなら、ひとりひとりが、まるでシステムを忘れたかのように(本当に忘れるわけではない)、まず、迷わず突き刺さる。迷わず突破を図る。もし外されても、あいつがカバーしてくれる。もし抜けなくても、あるいは抜けすぎても、あいつがサポートしてくれる。と、信じる。そのほうが勝つ気がする。
「試合のスタートの時点から相手がイヤがるようなディフェンスをしなければならない」
これで2勝9敗。村上主将の会見のコメントは的確だ。

シャトルズは10勝1敗と入替戦もくっきり視野に収まる。磨いてきた展開速攻に10番の元イングランド代表、フレディー・バーンズの陣地こそ神の「北半球メソッド」がうまく噛み合って、大崩れしない。
台湾の竹圍高校から天理大学の背番号7、25歳の鄭兆毅(てい・ちょうぎ)の可能性をあらためて知った。なんというのか、すべての動作がフランカーらしい。東芝ブレイブルーパス東京の同じポジション、佐々木剛の球を狩る背中や曲げた膝の様子が重なった。
試合中に気づいた。うしろ姿の肘より下のあたりが、スーッと伸びて、リーチマイケルのそれと似ている。才能のサインに違いない。
「ディビジョン1に昇格するということが最後のゴール」(徳野洋一ヘッドコーチ)。勝って反省は躍進の道程。「80分途切れずにゲームを進めることが重要なのに60分にとどまっている」(ジェームズ・ガスケル主将)。大差の流れをなくした残り20分の分析、原因の除去という主題は見つかった。負けなければなにもかも収穫だ。
土曜の夕刻。出張は終わった。さて。今夜も私的に泊まろう。ネクタイをほどき、パソコンを部屋に置いて、中妻町の愛と誠の酒場「わこう」まで。昨夜、ちらっと訪ねて、たちまち恋に落ちた。
歩いてもよい距離なのに「シカとの遭遇あり。クマだってなくはない」と元住民におどかされてタクシーへ。念のために中年ドライバー氏に「そう言われたんですけど」と確かめると「さすがに町にクマは出ませんよ。たまーに迷ったのか山から降りてくることはありますけど」。旅人にとっての「たまーに」は「いつだって」と大差がない。
ひとり、地の酒、浜千鳥の特別純米でイカ丸焼きの輪をつつき、シーウェイブスの連続失点について考察していたら、酒蔵の杜氏さんが若き幹部社員と客としてやってきた。いま飲んでいる一杯を醸した人がそこにいる。得した気分だ。やはり釜石ラグビーは丹念な仕込みに限る。それは土地の流儀なのだ。