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アジアは広い。お互いに理解しあうのは簡単ではない。
地域の統括団体、アジアラグビーが2月、岩渕健輔副会長の職務停止を発表した。行動規範に違反した疑いがあるという。日本ラグビー協会の専務理事も務めている人だから、国内でも驚きと困惑を生んだ。処分を下した側は沈黙を守ったままで、詳細はヤブの中。ただ、背景には組織内の対立と、この大陸の地理的な難しさがあるようだ。
職務停止は、岩渕氏の調査が終わるまでの暫定的な措置となっている。しかし、アジアラグビーは「容疑」の内容を、本人にすら伝えていない。岩渕氏は困惑気味に話す。「一切の連絡がないまま、こういうことになった」。
処分の根拠とされた「行動規範」をみてみる。調査の対象者には証拠を提出するなどの機会を与える必要がある、と記されている。しかし、嫌疑の内容が分からなければ弁明などできない。
こうした状況を踏まえ、日本協会は事実無根と反論。逆にアジアラグビーが行動規範に反しているとして処分の撤回を求め、ワールドラグビーに調査を要請した。
焦点は、国際統括団体の判断に移る。今月28~30日に香港でセブンズワールドシリーズが開かれている。各国の関係者が集まる中で、何らかの議論があるかもしれない。
それにしても、なぜこんな事態になったのだろう。

複数の関係者が指摘するのが、アジアラグビーの構造的な問題である。2019年、アラブ首長国連邦(UAE)出身のカイス・アルダライ会長が就任した。それ以降、ガバナンスの不備がみられるようになったという。財務情報が内部で共有されない、正式な決議を経ずに本部を香港からUAEに移そうとした――などだ。
疑惑の一部には、メスが入った。昨年、大手会計事務所のEYが監査を実施。財務面の不備を認定したため、ワールドラグビーはアジアラグビーへの補助金を止めた。大会の費用が開催国に直接交付される異常事態となっている。
改善の機会はあった。昨年11月に行われた、アジアラグビーの会長選挙である。
カイス氏とフィリピン人候補の一騎打ちの構図だった。新しいトップが誕生すれば何かが変わっただろう。しかし、30の加盟協会による投票を制したのは、17票を得たカイス氏だった。
結果を踏まえ、引き続き行われた副会長選に岩渕氏は出馬する。「公約として組織の透明性や公平性を訴えた」。6人の候補が3枠を争う選挙で勝利。ワールドラグビーの理事も務める岩渕氏は、組織の健全化に意欲を示していた。従来からの幹部にとっては、厄介な存在に見えたのかもしれない。
カイス会長はもともと、身内の人間を調べる専門家である。過去に3つの企業・団体で内部監査を担ってきた。現在はドバイの監査法人のトップも兼ねる。それなのに自分の組織がガバナンスの問題を指摘され、強引に映る手法で「政敵」を処分した。
◆アジアの中の西高東低。
アジアラグビーの疑惑の中には、にわかに信じがたいものもある。カイス会長は、UAEの国民しか会長になれないというルールを定めようとした。これはさすがに認められなかったが。思い起こされるのは、かつての日本ボクシング連盟である。会長が自らの任期を終身とし、息子に理事の処遇を与えていた。最後は、補助金の不正流用で2人とも除名されることとなった。
アジアラグビーからはそうした改善の動きが見えてこない。政治的な力学が影響しているのだろう。
もともとは、日本など東アジアの「伝統国」が中心に運営する組織だった。しかし近年は軸足を西に移している。
1年前にインタビューした際、カイス会長は胸を張った。「私が就任した2019年以降、約30だった加盟国(準加盟国含む)が36に増えた」。サウジアラビア、オマーン、バーレーン、イラクと、新顔の多くは西アジアの国々。2010年以降でみても、イラン、UAE、ヨルダン、カタールが新たに正加盟国の資格を手にしている。

重心の変化は、組織を動かす執行役員の顔ぶれも変えた。
香港、韓国、台湾、タイ。男女15人制の世界ランキングで大陸内の上位につける「東」の協会が、議席を得ていない。一方でレバノン、モンゴル、インドネシアという、ランキングが最も低い3カ国が選ばれている。
今のアジアラグビーの中心は、西・中央アジア勢や、カイス会長との距離が近い国々となっている。それが組織内の力関係の変化にとどまるなら問題はない。しかし、課題山積でも自浄作用が生まれないとなると、話は別だ。
他の競技でもアジア連盟の運営は困難を抱えている。東と西の対立はほとんどいつも存在する。東西に長いアジアは物理的に遠いだけでなく、宗教や文化、言語の違いも大きいからだろう。
サッカーではアジア連盟の会長を20年以上、西アジア勢が独占している。日本への影響は大きい。窮屈な大会日程は代表強化の足かせとなっている。一部の日本戦の中継がテレビから消えた一因は、高額の放映権収入にこだわるアジア連盟の判断だった。ワールドカップは2022年のカタール大会に続き、2034年にはサウジアラビアで開催。東の国々は招致に手を挙げることすらままならない。日本代表はかつてない充実期に入っているのに。
西高東低を生み出しているのは、オイルマネーと国策だ。UAEとカタール、サウジアラビアは、国を挙げてスポーツに投資をしている。欧州のサッカークラブの買収に始まり、各競技の統括団体に資金を注入。スタジアムも次々に建設する。サッカー、ゴルフ、クリケット、バスケットボール、F1……。国際大会が収益の拡大をもくろむとき、この地域を避けて通るのは難しくなっている。
◆「あり方」を見直す機会。
ラグビーも例に漏れない。UAEの国有会社、エミレーツ航空は2011年からワールドカップの最高位スポンサーに就いている。カタール航空は来年始まる国際大会、ネーションズチャンピオンシップの冠スポンサーとして契約、8年間で8000万英ポンド(約160億円)をワールドラグビーに支払うと英紙が報じる。決勝はドーハでも開催するという。
スポーツ界を翻弄するオイルマネーにあらがうことは簡単ではない。ただ、少なくともアジア連盟のあり方を見直すことは一定の歯止めになり得る。
アジアサッカー連盟は東西2つの団体に分割する案を長年、検討している。大会の際の選手らの移動が短くなり、見る側にとっても時差が小さくなるメリットもある。ラグビー界でも議論の対象にすべきかもしれない。

国の後押しは、アジアラグビーのカイス会長の力の源泉でもあるようだ。昨年の取材のとき、自身の経歴をこう説明した。
「ラグビーをプレーしたことはないが、25、26歳のときにUAEラグビー協会の理事に就くことになった。政府が任命したからだ」。
官庁の内部監査役だった元サッカー少年にとって、国が注力する業界への異動は転機となった。それから僅か11年で大陸連盟のトップになったのだから。
インタビュー中、驚くような発言もあった。
「私はラグビー界では数少ない、ラグビー未経験の経営者だ。ゼップ・ブラッターだって国際サッカー連盟(FIFA)の会長を長年務めたが、サッカー選手ではなかった」
ブラッター氏はサッカー界のトップに17年間君臨した大物だが、お金に絡む噂が絶えなかった。最後は会長選における賄賂などで追放処分に。退任前の記者会見にはコメディアンが乱入し、大量のニセ札を投げつけている。スポーツ界の闇の象徴となった人物を好意的に持ち出す人は、今どきめったにいない。
畑違いの競技で頂点を極めたブラッター氏は、カイス氏のロールモデルなのかもしれない。今年に入り、様々なSNSに自身のプロモーションビデオを投稿。その中で誇らしげに語っている。「私は努力と決断力、勤勉さで夢を叶えた。スポーツの大陸連盟で最年少の会長になったのだ」。
昨秋の会長選を制した後、ワールドラグビーの執行委員選挙に臨んだ。いよいよ次は世界へ、ということだったのだろう。しかし、結果は落選。会長、副会長の選挙でも、連携していただろう候補が敗れた。
今回の「活動停止処分」は、踏み外したはしごを登り直すための起死回生の一手だったのか。今月、カイス氏に改めて取材を申し込んだが、返事は来なかった。
※掲載後、一部修正箇所があります。
PROFILE◎谷口誠
たにぐち・まこと。日本経済新聞社編集局運動グループ、記者。1978年12月31日生まれ。滋賀県出身。膳所高校→京都大学。大学卒業後、日本経済新聞社へ。東京都庁や警察、東日本大震災などの取材を経て現部署勤務。ラグビー以外に、野球、サッカー、バスケットボールなども取材する。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で社会人修士課程修了。高校、大学時代のポジションはFL。