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ついにラストゲームが来てしまった。
3月22日。約2か月間、スポットコーチを務めたボンド大学ラグビークラブウィメンズチームは、サニーバンクラグビークラブとの練習試合に挑んだ。チームにとってもプレシーズンとしては最後の練習試合で、私にとっても帰国前最後の試合となった。
前回のオージーチャンピオンシップのメンバーから、NRLW(ナショナル・ラグビー・リーグ・ウィメンズ)や他チームに帯同している事情で、主力選手を何人か欠いてのメンバー構成となった。前半はボンドのトップチーム、後半はローカルチームのパイレーツを中心としたメンバー構成で、この日は全員が試合に出る形になった。
午前中からメンズのコルツ、3rd~1stXVと立て続けに試合がおこなわれ、ウィメンズは大トリだった。時折スコールのような激しい雨が降る中、チームはロッカールームを出てウォーミングアップに向かった。
ある予感があった。ザラ(Zara Colless)という10番の選手。サッカーとタッチラグビーのバックボーンを持つ。ザラはずば抜けてキックが上手い。彼女が蹴ると、ボールの芯を捉えたドスッという音が響く。

【写真右上】この日キックでチームを牽引したザラ(Zara Colless)。(Photo/ Clancy Blacklock)
【写真左下】ボンドのアシスタントコーチ、ボウ(Beau Milner)と戦況を見ながら会話するサニーバンクのヘッドコーチ。(Photo/ Kenta Nakaya)
【写真右下】試合後には両チーム入り混じってハドル。お互いの健闘を讃えるエール交換が行われた。(Photo/ Kenta Nakaya)
先週は仕事が忙しかったのか、ザラは平日の練習に来ることができなかった。ただ、雨の中のアップで、彼女は正確な場所にボールを蹴り込んでいた。それを見て「今日はザラのキックで流れが決まるな」と一人考えていた。
それは的中し、試合の序盤からザラが蹴り込んだキックは相手の背後まで伸び、エリアを優位に取っていく。ディフェンスではアイランダーが多く所属するサニーバンクの強烈なコリジョンに押し込まれながらも、数人がかりでなんとか喰らいついた。
先制を許したのちに、9番のエイビー(Evie Sampson)が持ち出し、左端のタッチライン際にトライを決める。コンバージョンはザラだった。
キックティー担当を務めた私は、ザラにティーを渡しに走った。“Thank you, Kenta”とニコッと笑い、水を一口飲むと、スパイクが擦れた痕が残る白いティーにボールをセットした。私はその後ろから静かに見ていた。
彼女は数歩下がって、静止することなくそのままスッと振り抜いた。ボールはお手本のような弧を描いて、ゴール中央に吸い込まれた。それは、スーパーラグビーやテストマッチで見るキックよりも、私には美しく見えた。息を呑むようなキックに、スタンドも歓声と拍手で揺れていた。
ただ、その後は接点での優劣が明確に分かれ、ボンドは徐々にボールを持てなくなっていく。前半は7-10で健闘したものの、後半のパイレーツのメンバーとサニーバンクのフィジカル差は歴然としており、21-32で敗れてしまった。
サニーバンクのヘッドコーチは昨年までボンドにいたこともあり、対抗する上で自分たちの強みを認識していたのかもしれない。徹底した9シェイプの連続攻撃を、最後まで攻略することができなかった。

試合後、ハドルが終わって帰り支度をしていると、ロッカールームに呼び出された。
すると、キャプテンのエリーシア(Elisha Godsiff)が代表してスピーチをしてくれた後に、みんなが寄せ書きしたチームボールを渡してくれた。そんなサプライズが用意されているとは思わず、泣きそうになってしまった。
冗談で「(何が書いてあるかを読むために)英語勉強しないとね」というとみんな笑ってくれ、ヘッドコーチのローレンス(Lawrence Faifua)が「英語なら俺が教えてやるぜ!」と言ってさらに沸いた(というのも、ローレンスの英語はメチャクチャな文法で、選手たちもたまに何を言っているかわからないらしい)。
27年間の人生で最高の経験の一つになった、と、みんなにスピーチで感謝を伝えた。

その後はコーチ陣、選手でパブに出かけ、ひたすら飲んだ。彼女たちは1試合をこなしているにも関わらず、2軒飲み倒し、日付が回ってからはナイトクラブでガンガン踊っていた。
20歳前後の若さと、飲むことへの圧倒的なモチベーションを見せつけられた。朝は二日酔いの中、なんとか起きてブリスベン空港に向かった。
余談だが、ナイトクラブに入るにはI Dとドレスコードが必要だ。私はI Dはおろか、ビーチサンダルで来てしまい、セキュリティに足止めを喰らってしまった。
すると彼女たちは、試合前と同等の熱量で「彼、どう見ても18歳以上でしょ! 明日の朝には日本に帰るの! 最後の夜だから見逃して!」と懇願。騒ぎを見てやって来たマネージャーのような人物がOKを出してくれ、なんと通過することができた。
店内に入れたことよりも、彼女たちがそうやって言ってくれたことが何よりも嬉しく、改めて仲間として認めてくれている実感が湧いて、とても幸せだった。同時に、帰国する寂しさで、みぞおちのあたりがキュッとなった。
チームに合流した初日のことを覚えている。その日はジムセッションだった。ボンドはクラブチームという形態上、日中に全員で集まってトレーニングをするのが難しい。16時〜19時の好きな時間に来て、メニューに取り組むというのがチームの決まりとなっている。
したがって、セッション前のミーティングはなく、見学していた私はそこに来る男女ひとりひとりに話しかけなければならなかった。
不安と怖さを押し殺して「初めまして、日本から来たんだ」と声をかける。すると、みんな「日本からか! めっちゃイイやん!」とあたたかく接してくれ、翌日以降は向こうから握手をしてくれるようになった。名前を覚え、距離を縮めるために2回目から自分もトレーニングに参加したことで、一気に打ち解けられた。
ジム終わりのサウナ&プールのリカバリーは、距離を縮めるには格好の時間だった。何を言っているかわからない時もあったが、Deon(Deon Evans-Ao Leifi)とPatrik(Patrik Barlow)のコンビが私に会話を振ってくれたり、輪に入れてくれたり助けてくれた。

日本にいると、海外はオープンでフレンドリーという先入観がある。でも、それは関係ができてからの話。初めは向こうもシャイだ。「初めまして」の壁をこちらが取っ払わなければ、前進はない。
元ラグビー日本代表の通訳で、私が通う履正社国際医療スポーツ専門学校の外国語学科GMでもある佐藤秀典さんからも「留学はマインド」と徹底して言われていた。手前味噌かもしれないが、話しかけに出た初日があったからこそ、みんなが受け入れてくれたのかもしれない。
女子選手たちの「寂しいけど、また来るんでしょ?」という勢いに押され、シーズンファイナルの8月にまた渡豪する約束をしてしまった。
でも、そうしたいと言っている自分もいる。この空と海が広く美しいゴールドコーストで、また再会を果たしたい。
8歳で出会ったラグビーのおかげで、また新たな世界を見ることができた。
始めた当時は痛くて、怖くて、お腹が痛いと練習をサボったこともあった。高校時代は、高3の最後で国体メンバーから落選。怪我で、全身麻酔の手術は3回やった。苦しいことはたくさん経験した。
それでも今、海の向こう側のチームと出逢い、そこに吹く風の中で、素敵な人々とつながることができた。かけがえのない生涯の友だちができた。この世界を好きにさせてくれるラグビーが、また大好きになった。

◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。