
ラグビーの旅が好きだ。よきゲームを見つめて、あたりの土地をふらふらうろうろ歩けば、しだいに喉が乾く。
大昔。サンゴリアスの会社のウイスキー広告。芥川賞作家の開高健の手による名文句があった。
「人間なんだからナ」「人間らしくやりたいナ」
そんな気分だ。人間らしく、いろいろな色の飲み物を流し込もう。
東京暮らしなので都内をあちこち巡っても、まあ、ただの移動ではあるのだが、土曜、日曜と神宮外苑の秩父宮ラグビー場におけるリーグワンのバトルが熱を帯びれば、それは愉快なトリップなのだった。
3月22日。埼玉パナソニックワイルドナイツと東芝ブレイブルーパス東京がぶつかった。そこまでともに9勝1分1敗。前回の2月9日の対戦は28-28のドロー。まさに巨人の激突である。と、ひとまず記して、ただし違いも確かで、前者は柔らかく憎いほど応用にたけ、後者はとことん剛毅で細部まで強靭に設計されている。
42-31。ブレイブルーパスが笑った。クラブの美徳であるハードな接点。外への展開での揺るぎのないスキル。ディフェンスの規律。中盤の不用意な反則さえ除去できれば最後は勝つという自信がみなぎった。
ラインアウトの優勢はことに攻防を有利とさせた。リーチ マイケル主将は言った。
「1週間かけて試合に出ないメンバーがパナのラインアウトを組んでくれて、その通りになった。フッカーのくせであったり、ジャンパーのくせであったり、(埼玉のキーパーソンである)ジャック・コーネルセンのくせを考えて。それに関してはコーチのジョシュ(シムズ)のプランが当たりました」

ジョシュア・シムズ。44歳のFWコーチの経歴を不覚にもよく知らない。あわてて母国ニュージーランドの新聞を調べたら、うれしい記述が。
「もともとアマチュアのワイララパ・ブッシュのコーチ」(ホークスベイ・トゥデイ紙)
叩き上げだ。「アマチュア」の字の並びが尊い。そこからスーパーラグビー下部相当のホークスベイのヘッドコーチに2021年に就任、イタリアはパルマのクラブ、ゼブレを経て、今季より府中へ。
米国のオールド・グローリーもホークスベイとの兼任で指導、メジャーリーグ・ラグビーの公式サイトを引くと、こうあった。
「ファーストクラスのラグビーでは(ニュージーランドの)マナワツで2試合出場。しかし、インパクトはコーチングで残した」
2008年にタイ代表を率いて(なんとなくいいですね)、09年~12年、オークランドの各年代のコーチを務めている。
哲学を同サイトに述べている。
「私にとってのコーチングとは人と人との関係なのです」「スポーツとはプレッシャーでもある。プレッシャーにいかに対応するかは、その人がどこからやってきたのか、その背景、育ち方、理解の深さと関係してくる」「選手とどのように話すのかがコーチングであり、そのことは経験でしか学べない」
ブレイブルーパスのラインアウトの充実のおかげで、未知のコーチを少しだけ知る旅ができた。
ワイルドナイツはただでさえシリーズの負傷者を抱えており、さらに開始4分に3番の藤井大喜がいきなり退く不運もあった。後半16分にはフッカーの坂手淳史主将もHIAで芝の上を去る(一時退出。そのまま同26分に交替)。公式記録の「入替」は前半34分、後半2分、10分(ふたり)、13分、26分。ブレイブルーパスの7件のそれは後半16分より同28分にきれいに収まっている。
ハードマンが並んでいながら、むやみにハードには戦わない。激しく賢く。そんな身上をまっとうできる選手層をこの午後の埼玉は欠いた。リーグの連敗は三洋電機の名での2005年12月、ワールドとヤマハに喫したのが最後であった。
会見。ロビー・ディーンズ監督は話した。
「負けです。うれしいはずはありません。記録についてはみなさんに任せたい。われわれは1週ずつの勝負を意識するだけです」
リーグワンのレベルが上がったと思うか?
「答えはイエスです」
録音機の再生にタンタンと音が響く。65歳の指導者が指で机を何度か叩いたのだ。ただし言葉は落ち着いており、落胆と再浮上への確信が綱引きをしていた。
解説仕事を終えて、地下鉄で外苑前から新橋へ。楕円球の仲間と銀座のはしっこの「ラ式」をめざすのだ。ラ式酒場Ellis。ワイルドナイツ支持者も含まれるので会合の名称は「反省会」。もちろん、ただちに楽しいだけの晩になる。

階段をじんわり降りるとアイルランドやジョージアが待っていた。1991年のワールドカップ取材、ダブリンのパブで初めて知った「コルキャノン」という潰したイモとキャベツの料理がある。うまいのなんの。都心旅行は世界へつながった。
いつの日かトビリシの下町の食堂でやっつけてみたい鶏肉煮込み「シュクメルリ」も手招きをよこす。あのサンウルブズのジョージア代表フッカー、ジャバ・ブレグバゼがここにいたら泣くだろう。なんでも遠征バスでの口ぐせは「いつかトビリシにきたら俺が案内する」。儀礼でなしに本心だった。
あっ。沖縄は今帰仁村の秘密のソーセージがメニューに掲載されている。琉球の心あるラグビー者たちの愛してやまぬ逸品ではないか。アルゼンチンの正統レシピを外さぬ本物。現在は仕入れ元の事情でお休みらしい。三重ホンダヒートのパブロ・マテーラが味わえば、間違いなく「本当に日本人がつくったのか。製造所を俺が買う」と吠えますね。
さてラ式とは。ラグビー式である。早稲田大学は1924年(大正13年)より1967年度まで「ラ式蹴球部」を正式の「部名」とした。その前は「蹴球部」。1968年から「ラグビー蹴球部」となった。
「創立(1918年、大正7年)当時は単に蹴球部だったが、大正13年にサッカー部が出来たことから、両者を区別するためにラグビーはラ式、サッカーはアッソシエーションといっていたのでア式、と、それぞれ蹴球部の頭に冠することになった」(早稲田ラグビー六十年史)
ちなみに慶應義塾のラグビーは「蹴球部」を貫いている。わかりにくいといえばわかりにくいが、こうした文化保守はあってよい。もうひとつちなみにサッカーは「ソッカー部」。
即席の楕円系酒場論を。そこには3種の生き方がある。
①店主も店内もラグビーの色に染まる。
②あくまでも広く人気の店でマスターがラグビー者。カウンター席に腰かけて注文の波が途絶えたら「談義」もできる。
③「ラ式」もそうだが、店には優れた料理人やドリンクの目利きという飲食のプロフェッショナルがまずおり、背景にほどよくラグビーがある。
どこも魅力がある。こちらの状況により足を運び、そのつど幸せになればよい。
日曜。秩父宮の観客席のさまざまな感情が最後の最後に渦を巻き、噴き上がり、でっかい束と化した。
コベルコ神戸スティーラーズが東京サントリーサンゴリアスと対決、後半39分過ぎ、11番の松永貫汰の強気のランは右中間インゴールへ届いて、土壇場のスコアを39-37と引っくり返した。

一連のシーン。サンゴリアス投入の敵陣ラインアウトを神戸の長身が奪った。204㎝のブロディ・レタリックか。いや。
英雄は背番号19、194㎝の小瀧尚弘である。鹿児島実業高校-帝京大学。諸外国の大男ひしめくポジションゆえ稀少となりつつある「和製ロック」だ。
映像を確かめると正面リフトを担うのがレタリック。背面を怪力の具智元が持ち上げている。世にも快適な浮遊のはずである。
スティール後の展開の原則は昔もいまも「順番」である。背番号で16-20-10-22-12-11とひとつずつボールは渡った。フィニッシュの手前の李承信のパスが優しく美しく守りを殺した。
そして小瀧と並ぶ殊勲者の松永は投入を盗んだ瞬間にFBの位置でスタートを切り、遠方および後方より走り込んだ。満点の動きだ。
ここで古い記憶へトリップ。フィールドの緑はみるみる土の薄茶に変わった。恥ずかしながら自分の思い出だ。大学2年。都立高校出身のへっぽこFBはコーチに教わった。
「いいか。15番は、敵ボールのラインアウトではロックの指先を見るんだ。奪えるかはともかく、少なくとも相手は捕れないとわかったら、もうキックは飛んでこないのだから、外側のセンターの横にライン参加できるよう駆け上がれ」
言われた通りにするときれいに抜けた。松永貫汰はいつだれに習ったのだろう。それともうまい人はみずから気づくのか。さあ小瀧尚弘の指先に敬意の杯を捧げなくては。鹿児島は喜界島の焼酎をそろえる「ラグビー酒場②のパターン」のあそこかな。