![力強さ+繊細さの12番。ヨラム・モエファナ[フランス代表/CTB]の歩んできた道。](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/03/GettyImages-2205291669.jpg)
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今年のシックスネーションズで優勝したフランス代表で、最も注目を集めた選手といえば、やはりWTBルイ・ビエル=ビアレ(21歳)だろう。5試合全てに出場し、毎試合トライを挙げ、大会通算8トライは1914年のシリル・ネルソン・ロウ、1925年のイアン・スミスに並ぶ最多記録となった。100年ぶりの偉業である。
FLフランソワ・クロス(30歳)も、このチームに欠かせない存在であることをあらためて証明した。ビエル=ビアレのように脚光を浴びることはないが、毎試合マン・オブ・ザ・マッチ級の働きをしている。まさに影の立役者だ。特にアイルランド戦では、敵の猛攻に苦しむチームを序盤から支え、13分で10回のタックルを記録した。しかも100パーセントの成功率だ。彼の献身ぶりに手を合わせて拝みたくなった。
PRジャン=バティスト・グロ(25歳)も高い評価を得ている。2020年のシックスネーションズで代表デビューしたが、フランス代表が求める、動けてパスもできて、スクラムも強いPRシリル・バイユ(31歳)がいた。バイユが不在だった11月のオータムネーションズ・シリーズ(以下、ANS)から、グロは1番をつけ続けている。
今大会はバイユが怪我から復帰してきたが、グロも所属クラブのトゥーロンででも見せたことのないオフロードパスを巧みに出すなど、バイユに勝るとも劣らないパフォーマンスでスタッフの信頼を勝ち取った。
大会ベストXVに選ばれたLOミカエル・ギヤール(24歳)の活躍は想定外だった。昨夏の南米遠征で代表デビューし、豊富な運動量、パワーと器用さを兼ね備え、今後が楽しみな選手だったが、チボー・フラマン(27歳)、エマニュエル・メアフー(26歳)、ポソロ・ツイランギ(20歳)がいる中で、ギヤールがどれだけ出場機会を得ることができるのかは想像がつかなかった。
しかし、ツイランギが負傷で大会を通じて欠場、フラマンもウェールズ戦とイングランド戦を欠場し、メアフーが肺感染症でイタリア戦を欠場した。ギヤールはイタリア戦でスターティングのチャンスを与えられ、ブルーのジャージーでの初トライも記録した。その後、メアフーが復帰しても最終節まで代表スタッフの信頼を維持して試合に出場し続けた。
そして、代表チームのCTB問題の答えを出したのがヨラム・モエファナ(24歳)だ。2020年11月の代表デビュー以来、モエファナは常に代表合宿に参加してきた。しかし試合では、ベンチスタートだったり、欠場者が出ればCTBだったり、WTBだったりとスーパーサブとして起用されてきた。
そのモエファナはどこか遠慮がちで、所属しているボルドーでイキイキとプレーしている彼ではなかった。しかし、昨年のANSから12番のジャージーを着て連戦し、今大会で攻守に安定したパフォーマンスを見せた。フランスのラグビーファンが待ち望んでいた、力強さと繊細さを兼ね備えた12番がようやく誕生したのだ。

「長い間、フツナ島出身のヨラム・モエファナはインタビューを避けていた。控えめな彼にとって、それはあまりにも難しいことだった。しかし、ボルドーのヤニック・ブリュ ヘッドコーチ(以下、HC)は、彼のフランス代表チームでの地位を変えるために、心を開き、より責任を引き受けるよう彼を導いた」
フランスの「ル・フィガロ」紙は昨年11月に行ったヨラム・モエファナへのインタビューの記事をこのように書き出している。
代表で12番のジャージーを着て、さらに責任を負うことについて、モエファナは「最初は少し苦労しました。控えめで内気な性格だから。クラブで努力を始めました。ヤニック(ブリュHC)とノエル(マクナマラ アタックコーチ)は、シーズン当初から僕にもっと発言させ、ゲームレベルでより責任を負わせようとしました。僕はそれを喜んでいます。改善すべき点はまだあります。もっと声を出さなければならない。でも、責任を負うことができることに気づきました。FWに声をかけたり、10番や9番を助けたりすることが少しずつ自然になってきています」と答えている。
ニュージーランドから北上したところに位置するトンガ、サモア、フィジー。フランス海外準県のウォリス・フツナ島はそれらの島に近接している。モエファナが育ったフツナ島には2つの王国が存在する。
「僕たちの島の中心にはヴァイニファオ川が流れていて、アロ王国とシガベ王国の境界線を引いています。両親が離婚していたので、僕は母とアロ王国で一週間を過ごし、週末は父の家族が住むシガベ王国に行っていました」
「ヨラム・モエファナの父、タオフィは、シガベ王国で尊敬されている一族、ファラテア家の10人の子どもたちの長男である。夜、集まって昔話をする時、長老たちは彼らの祖先がどのようにして血に飢えたトンガの戦士たちの侵略を撃退したかを語る。ヨラムの戸籍上の姓のモエファナは、アロ王国の高貴な血統の出身である彼の母親、オデットの姓だ」とフランスのスポーツ紙「レキップ」がモエファナ物語を書き出している。
ヨラムが生まれてから6か月後、父のタオフィはラグビーの夢を実現するために、家族をフツナに残してフランス本土に渡った。
従兄弟や歳の近い叔父たちとラグビースクールに通っていたヨラムは、2011年ワールドカップNZ大会を現地へ観戦に行き、そこでフランス代表を見た。「これが僕がやりたいことだ!」とラグビースクールのコーチに言ったのは、彼が11歳の時だった。
モエファナがフランス本土に渡ったのは13歳の時だった。
「最初は、どちらかというと勉強のためだった。フツナ島では、中学校までしか通えないから、高校は、ウォリス島かニューカレドニアのどちらか、またはフランス本土に行くしかありません。ふとした思いつきで、両親に、叔父と一緒にフランス本土に行ってもいいかと尋ねました。ラグビーのためでもありました。両親は賛成してくれましたが、どちらかというと勉強しに行くためで、ラグビーのためとは思っていなかったでしょう」とモエファナは笑みを浮かべた。
両親を説得するために、ヨラムは機転を効かせ、根回しもしていた。ヨラムの叔父のタプ・ファラテアは「レキップ」にその様子を「抜け目ない」と語っている。
「2012年末、彼は私にスカイプで電話をかけてきました。当時3部のリモージュでプレーしていた私に、『おじさん、僕フランスに行きたい!』と言いました。彼はすべて計算していたのです。彼が電話をしていたのはフツナ島の私の両親の家で、両親にとって彼は最初の孫であり、何も拒むことのできない最愛の子どもなのです」
一方、教師だった母親と母方の祖母を説得するために、高校に進学するなら、近隣のウォリス島や、そこから2000キロ離れたニューカレドニアに行くよりも、フランス本土で勉強する方がはるかに良いという考えを植え付けた。母との約束通り勉強もしっかり続け、昨年、マーケティングと経営学の学士号を取得している。
ヨラムの世話をするために祖母もフランスへ渡ったが、1年後、彼女はフツナに帰る。
「これまでおばあちゃんがしてくれてきたことを、これからは自分でするんだ」とタプはヨラムに告げた。
「私が遠征で留守にする時は、適当な本を一冊選び、『この10ページを読んでおきなさい』と彼に言い、遠征から戻ると彼に書き取りをさせました。もし5つ以上間違えば、ラグビーの練習に行かせなかった。涙をポロポロ流して泣いていた」とタプは語る。
2016年にタプがナルボンヌ(2部)に移籍すると、モントーバン(2部)に所属していたもう1人の叔父、CTB/WTBティアキが引き継いだ。

「私たちは彼にとても厳しかった。時には厳しすぎたかもしれない。でも私たちは彼に成功してほしかったのです。私たちはフランス本土に来た2007年から2011年の間、ゴミ収集の仕事をしていましたが、ヨラムには私たちがついていました。彼よりも前に、彼の父親がフランスで成功するはずでした。島では、誰もが私たちの兄のことばかり話していました。私たちの父は、兄がフランス代表になることを夢見ていました。私はいつもこの話をヨラムにしていました。ヨラムの巨大な太ももは、遺伝もあるが、努力の賜物でもあるのです。私たちの弱点である膝を強化するためにスクワットをさせました。ヨラムを毎朝6時に起こし、少なくとも1時間走らせた。2018年、タプがカストルでプレーするようになり、当時のカストルのHC、クリストフ・ユリオスからプロのフィジカルトレーニングのプログラムを入手し、ヨラムに練習させました」
運命のいたずらで、2019年にボルドーに加入したモエファナのHCになったのは、そのユリオスだった。「ヨラムは19歳だった」と、ユリオスは当時を回想する。
「とても控えめだったが、成熟と野心を感じさせた。賢くて抜け目がなく、どんどん吸収した。フランス代表では、クラブでのパフォーマンスとは対照的に、内気で不器用だと感じていた。彼は自信を感じる必要があったが、今の彼は誰にも止められない。1対1に強く、スペースに飛び込み立ってプレーすることができる。地面に倒れて起き上がることもできる。守備ではまるで猛犬のようだ。まだ24歳。これからフランス代表で長く活躍することになるだろう」
今大会でモエファナは、守備において、アイルランド戦で見せたSOサム・プレンダーガストへのタックルのように相手アタッカーとの1対1で強さを発揮した。時には相手を止めようと試みて失敗することもあったが、相手に強烈なインパクトを与える意思を示した。彼の80パーセントのタックル成功率(54/67)は、まだ成長の余地があることを示す。
攻撃面では、鋭いランでその才能を開花させた。スコットランド戦での彼の猛烈な2トライは、その積極的なプレーへのご褒美だ。しかもプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
「もっと自分を出そうとした」とモエファナは試合後に語った。「プレーするのが、ますます楽しくなっています」
まだ彼の潜在能力を最大限に発揮しているとは言えないだろう。しかし、モエファナは今後のために貴重な自信と経験を積み重ねた。
地球の反対側では、父のタオフィが夜中に起きて息子がプレーするのを見ている。タオフィはCTB/WTBとして、オルレアン、ニオール、オーシュでプレーした後、ダックスと契約するところで、膝の怪我で夢を打ち砕かれた。現在、ニューカレドニアのヌメアの北郊外にあるダンベアに住み、そこで市のクラブを率いている。
「代表でのヨラムは随分良くなった。彼は2年間停滞していた。守備に集中しすぎてボールに触れた時にガス欠になっていたが、ようやくバランスを見つけた」と父は喜ぶ。
父と息子は、試合前に必ず連絡を取り合っている。
「昨年、私はヨラムに言いました。『お前は私たちの誇りだ』と。ヨラムは照れくさそうに笑ったが、私は念を押しました。『誓って!』と」
父と息子は一緒にいることができなかった時間の埋め合わせをしている。