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3月15日、オーストラリアNo.1クラブを決める “オージークラブチャンピオンシップ”がブリスベンで開催された。
50年ぶりにクイーンズランド州に上陸したサイクロン「アルフレッド」の影響で、1週間の延期を経て開催されたこの大会。会場は、フィールドを囲むようにして出店やパブが並び、お祭りのような雰囲気になっていた。
私がスポットコーチとして所属しているボンド大学ラグビークラブのウィメンズチームは、シドニー大学ラグビークラブとユニオン(15人制)で対戦することになっていた。チームにとって最も重要なシーズンは8月になるが、プレシーズンマッチ初戦が偶然にもビッグタイトルということで、選手が緊張している様子が見てとれた。
このオージークラブチャンピオンシップ。予選はなく、この1試合が事実上の決勝戦なのだ。オーストラリアで最もラグビーが盛んな2州、クイーンズランド州(ブリスベンやゴールドコースト)とニューサウスウェールズ州(シドニーなど)。その他の地域に、強豪クラブが存在しないというのがその理由。つまり、この2州のチャンピオン同士で雌雄を決する方式になっている。

歴史を見れば、クイーンズランドはニューサウスウェールズの一部だった。だが、1859年の分離を経てから州として独立。そんな背景もあってなのか、特にラグビーにおいて、この2州はバチバチのライバル関係にある。
例えば、オーストラリアで熱烈な人気を誇るNRL(13人制リーグラグビー)。リーグに所属チームのほとんどはこの2州に拠点を置いており、シーズンの最後にはState of origin(出身地対決)というオールスター戦が毎年組まれている。
クイーンズランド代表「マルーンズ」とニューサウスウェールズ代表「ブルーズ」が3度にわたって対戦する。州民の期待を背負い、お互いのプライドを賭けた絶対に負けられない試合。試合中には必ずファイトが起きる。
現にボンドのコーチ陣も、闘争心は全開だった。「シドニーとかニューサウスウェールズのヤツらには絶対負けられへんぞ!!」と、放送禁止用語満載で選手を叱咤していた。
とはいえ、ボンドにはニューサウスウェールズのクラブやワラターズのアカデミーでプレーしていた選手もいる。あまりの熱気に、数人の選手は少し苦笑いしていた。
午後2時、試合はキックオフ。この日は強い日差しにさらされ、気温は30度近くまで上昇。かなりタフなコンディションだった。
先制トライこそシドニーに許すも、ボンドは粘り強いタックルとディフェンスで何度もピンチを凌ぎ、前半を7-12と5点のビハインドで折り返す。後半には、連続トライで突き放した。
後半20分ごろに1本トライを取られ、同点でロスタイムを迎えた。その後、敵陣深くまで攻め込み2度のペナルティを獲得するも、彼女たちはペナルティゴールを選ばず、スクラムを選択。トライで勝つことにこだわった。トライライン目前でピック&ゴーを繰り返すも、最後までグラウンディングはできず、そのまま19-19でノーサイド。両チーム優勝という結果で試合は終了した。

幸運にも、私はウォーター担当をさせてもらい、ボトルを配ったり、氷水で冷やしたタオルを選手の首にかけたりしていた。暑く湿気のあるコンディション下で、またディフェンスに多くの時間を割いたことで、選手の消耗具合は明らかに激しかった。
チームの絶対的な精神的支柱、いつもは毅然としているキャプテンのエリーシア(Elisha Godsiff)さえも、かなり苦しそうな表情を浮かべていたのが印象的だった。
英語が拙い中で少しでもチームの力になりたく、周りを観察しながら、自分が選手だった時の経験を頼った。例えば、ウォーターは2人しかピッチに立ち入れず、うち1人はトライ後のキックティを持っていかなければならない。手の数の関係で、普段はハーフタイムにのみ氷水タオルを配っている。
だが、暑さと疲労で苦しそうな表情を浮かべている選手が多かったので、プレーが切れるたびに冷やしたタオルも一緒に持っていき、走り回って配った。私のウェアはズブ濡れになったが、選手のみんなが少し楽になるような表情を浮かべているのを見て、ホッとした。

決して言い訳にはならないが、サイクロンの影響で1週間練習できなかったことも影響していたのだろう。そんな中で、ドローとはいえ優勝、オージークラブチャンピオンになった彼女たちを誇りに思う。
また、この日はチームにとって嬉しい出来事があった。下部チーム「ボンドパイレーツ」から昇格してきた選手が数人メンバーに入り、デビューを果たした。中でも、この日がデビュー戦となった12番のTJ(TJ Murray)のパフォーマンスは凄まじかった。
タックル、タックル、タックル。ピンクのヘッドキャップを被ったTJがフィールドの至る所に現れ、自分より大きな相手をなぎ倒す。タッチラインを繰り返し往復、バッキングするそのハードワークで、何度もチームのピンチを救っていた。
私が見る限り、TJはどちらかと言えばおっとりとしたイメージだった。いつも少し眠そうで、穏やかな雰囲気。だが、初めてフルコンタクトでのプレーを見て、印象はまるで変わった。
しかも、なんと彼女はまだ15歳。飛び級でトップチームに上がってきた実力者だ。日本でいう中学生にあたる年代の選手が、試合で大学生や成人とプレーするのは女子ならではだが、その圧倒的なパフォーマンスは両チームの中で一番の活躍だった。
試合後のハドルでは、キャプテンのエリーシアがTJの名前をあげてそのパフォーマンスを賞賛。少し照れくさそうにしていたのが印象的だった。

あと1週間で、私はオーストラリアを発つ。3月に入ってから、練習前に「パスを見せてほしい!」「キックを教えてくれない?」と声をかけてくれる選手が増えた。それまでは練習開始10分前に来ていたのが、自主練してほしいと30分前から来る選手もちらほら出てきた。
私も、50人近くいる選手の名前と顔をやっと正確に覚えてきた。そうやって、せっかく距離が縮まってきたタイミングでチームを離れるのはなんとも寂しい。
私が何かを「残した」と口にするよりも、私がいなくなってから選手やコーチがその変化に気づくのが、本当の意味で何かを「残す」ということなのだろう。限られた時間だが、最後まで目の前のことを全力で、チームにコミットしていきたい。
◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。
