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【南アフリカコラム】ハンドレ・ポラード帰郷。
現在所属するレスター・タイガースでのシーズンが終われば故郷に戻る。(Getty Images)

【南アフリカコラム】ハンドレ・ポラード帰郷。

杉谷健一郎

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◆ブルズの逆転劇。


 残念だ。

 ハンドレ・ポラードは古巣ブルズに戻ることになった。

 スプリングボックスを2連覇に導いた司令塔、ポラードの去就が注目されていた。現在の所属チームである英プレミアシップラグビーのレスター・タイガースとの契約は今季限り。果たして次なる舞台はどこになるのか、世界中のラグビー関係者やファンの関心が高まっていたが、今月に入りブルズが正式に発表した。
 7月1日から2年間契約とのことだ。

 とにかく情報をつかむのが早い南アフリカメディアでは、数か月前から移籍先は日本の某チームが有望と報じており、かなり期待していた。
 もし彼がリーグワンに来ていたら、SOリッチー・モウンガとのマッチアップが実現し、世界中のラグビーファンの耳目を集めていたに違いない。

 ポラード自身も家庭の事情もあり故国へ戻りたい気持ちがあったようだが、戻るなら「心の中では常に特別な場所」と表現する古巣ブルズという強い希望を持っていた。ブルズもその期待に応えるべく南アフリカラグビー史上、最高契約金額でポラードを迎えた。
 レスター・タイガースでのシーズン当たりの年俸が65万ポンド(約1億2千万円)と推測されており、ブルズはそれと同等またはそれ以上の金額を提示したと思われる。

 またブルズがポラードのサラリーを全額負担するわけではなく、南アフリカラグビー協会が支払うナショナル・インタレスト・プレーヤー(PONI)契約によるサラリーが上乗せされることになる。同協会としても南アフリカの至宝を何とかして国内リーグに置いておきたかったのだろう。

 南アフリカメディアの報道によると、ポラードのブルズ復帰は「サプライズ」と表現されており、予想外の結果だったようだ。
 長年にわたりスプリングボックスで活躍してきたポラードだが、実はまだ30歳と若く、今後もしばらくはトップレベルでプレーを続けられる。日本をはじめ、世界中のトップクラブが獲得に関心を示していたことは間違いないだろう。そうした状況の中、資金力で劣るブルズがそれらの金満クラブとの争奪戦を制し、逆転劇を演じたということだ。

 ブルズ側もまた、過去3年間チームの司令塔を務めてきた元スプリングボックスの名手、SOヨハン・グーセンが膝のケガで長期離脱を余儀なくされており、その代役の確保が急務という事情を抱えていた。

 少し話は逸れるが、このグーセン、日本での知名度は低いが、もし彼の出場する試合を観る機会があれば、ぜひとも彼のゲームメイクに注目してほしい。調子のよい時のグーセンは、自分の思い通りにタクトを振り、14人の演奏者それぞれを動かしているオーケストラの指揮者のように思える。
 度重なるケガや農業ビジネスへの転身により、ラグビー選手としてのキャリアは何度か中断され、代表キャップ数も13にとどまった。しかし、そのプレースタイルはまさにSOの理想形ともいえる。

 またブルズはポラードに加えて、現在、フランスTOP14のモンペリエでプレーしている代表キャップ35のCTBヤン・サーフォンテインに触手を伸ばしているようだ。サーフォンテインもブルズ出身で在籍当時はCTBジェシー・クリエルとセンターコンビを組んでいた。

2023年のワールドカップで優勝を決めた瞬間。(撮影/松本かおり)


 ポラードがブルズに復帰すれば、現在、グーセンの代わりに一時的にSOを担っているウィリー・ルルーを本職のFBに下げることができる。それにもし、サーフォンテインが加われば、SHエムブローズ・パピアー、SOポラード、CTBサーフォンテイン、WTBカートリー・アレンゼとカナン・ムーディ、そしてFBルルーと、来シーズン、バックスは7人中6人がスプリングボックス級となる。
 そう言えば、以前、ジェイク・ホワイトHCがインタビューの中で「海外に出たスプリングボックスはそろそろ南アフリカへ戻ってくるべきだ」と語っていた。ホワイトHCの思いが現実になりつつある。

 しかし、ブルズ出身の特にBKのトップ選手を復帰させる作戦が進行中ということであれば、残るパズルの一つは『我らの』のジェシーではないか。それは少し困るのだが…。

◆低迷ブルズから3度目の世界一へ。


 幸運なことに筆者がブルズの本拠地であるプレトリアを拠点に仕事をしていた期間とポラードがブルズに在籍していた5年間(2014年~2019年)はほぼ重なっている。ブルズのホーム、ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム(以下ロフタス)で試合がある時は必ず足を運んで観戦していた。
 あらためて考えると、世界最高のフライハーフがプロデビューし海外チーム(モンペリエ)へ移籍するまでの“成長”をスタジアムにて生で見届けられたのは、ファン冥利に尽きる。

 ただし、ポラードの場合は2014年2月にスーパーラグビーに初出場して、その4か月後の6月にはスプリングボックスの初キャップを獲得している。デビュー当初から攻守のバランスに優れ、キックの精度も現在と変わらず高かった。したがって、成長という言葉を使ったが、ポラードは最初から完成された逸材だった。

 ただしデビュー当時、ポラードは弱冠20歳。もともとの優しい雰囲気のイケメンに当時はまだあどけなさも残り、見た目からはどこか頼りなさを感じさせた。特に周りがひげ面の巨漢揃いだっただけに、野獣に囲まれている小鹿のようなイメージだった。
 2015年ワールドカップの日本戦「ブライトンの奇跡」にもポラードは途中出場したので、その姿を記憶している方も多いだろう。あの試合のスプリングボックス・メンバーの中で誰か1人に当たりに行けと言われたら、迷わずポラードを選ぶだろう。
 少し茶化してしまったが、あくまでイメージの話だ。誤解のないように言っておくと、実際のポラードは見た目以上にフィジカルが強く、鋭いタックルも兼ね備えた選手でもある。また年齢と経験を重ね、今は精悍な顔つきになった。

 しかし、当時のブルズは低迷期にあった。ポラードが在籍した5年間のスーパーラグビーにおける戦績を振り返ると、2014年 9位/15チーム中、2015年 9位/同15、2016年 9位/同18、2017年 15位/同18、2018年 12位/同15、2019年 5位/同15 と、最後の年となった2019年を除けばプレーオフ進出は叶わず、リーグ最下位の可能性すらあるシーズンもあった。
 ちなみに、ブルズは南アフリカのチームの中で初めてサンウルブズに敗北を喫したチームでもある。

 そして、成績の低下に比例して、観客数も激減した。南アフリカのラグビーファンは熱い反面、チームの敗北や弱体化には露骨な反応を示す。特に世界最古の国内大会カリーカップにおける圧倒的な勝率、スーパーラグビーでも3度優勝杯を掲げたプレトリアの誇りであるブルズの凋落をファンは受け入れることができなかった。
 筆者が通った、そして、ポラードが在籍した5年間、ブルズはロフタスをファンで埋めることはできなかった。スーパーラグビーの試合で入場者数が2万人を超えることは稀で、数千人という時もあった。ロフタスのキャパシティが5万人と規模が大きいだけに、空席が余計に目立った。

 またファンがスタジアムから離れていったもう一つの理由としては、戦力的には充実しているのに勝てないというもどかしさがあった。
 当時、ヘッドコーチにはかつてオールブラックスを率い、日本代表でもディフェンスコーチを務めたジョン・ミッチェルをNZから招へい。そして選手もポラードを筆頭に盟友CTBクリエルとサーフォンテイン、現在もスプリングボックスでポラードとポジションを争っているSOマニー・リボック、LOルード・デヤハーとLO・RGスナイマンのツインタワー、その他にもHOアドリアン・ストラウス、PRトレヴァー・ニャカネ、SHパピアーなど、先発メンバーのほとんどが現役またはスプリングボックス経験者だった。
 ブルズファンとしては、「これだけ優秀なスタッフと実力のある選手が揃っているにもかかわらず、なぜ勝てないのか?」という苛立ちが、次第に怒りへと変わっていったのだろう。

 また、あまり記憶に残っていないが、ポラードは2015-16シーズンのトップリーグで、NTTドコモレッドハリケーンズ(現レッドハリケーンズ大阪)に3か月間在籍していた。しかし、彼が出場した7試合の成績は1勝5敗1分。途中出場も多かったが、チームにはあまりフィットしなかったようだ。
 結局、チーム自体もリーグ戦16位に終わり、入替戦でも敗れて当時のトップウェストAに降格。この戦績だけをみると、ポラードにとって短期間ではあったが、ラグビーに関しては日本の印象は決して良くはなかったと思われる。

勝負強い。大舞台で結果を残す人。写真は2023年ワールドカップの決勝時。(撮影/松本かおり)


 しかし、この年のNTTドコモレッドハリケーンズはポラードの他にCTBクリエル、LOエベン・エツベス、FLハインリッヒ・ブルソーのスプリングボックス組に日本代表として活躍したLOヴィンピー・ファンデルヴァルトなど豪華メンバーが南アフリカから集結していた。ただこちらもブルズと同じく選手個々の高い能力を活かし切れなかったようだ。

 最後に余談を一つ。

 ロフタスに隣接してロフタス・パークという飲食店やスーパーマーケットなどを中心とする商業施設がある。ブルズは普段はロフタス横の第2グラウンドで練習を行っており、その前後に選手たちはパーク内のフィットネスジムで筋トレをしたり、カフェやレストランでくつろいだりしていた。そのため、ロフタス・パークで選手に遭遇するのは決して珍しいことではなかった。

 ただ筆者が常宿にしていたパーク内にあるホテルには、ビジターチームの選手がよく宿泊していたが、地元ブルズの選手はホテル内で見かけることがなかった。しかし、あるホームゲームの前日、ホテルのエレベーターでポラードと鉢合わせた。
 意外と大きい。ひょっとすると、相手チームの選手を訪ねてきたのかもしれない。目が合ったのでとっさに「Good luck for the game tomorrow」と声をかけると、 「Thank you」と笑みを浮かべて返してくれた。
 もともと爽やかな好青年という印象を持っていたが、さらに好感度が増した。それ以来、勝手ながら親近感を抱かせてもらっている。

 推しのポラードには2027年ワールドカップまではスプリングボックスの10番を死守し、チームを3連覇に導いてほしい。

 昨年のテストマッチでは元同僚でキックパスの名手リボックは、ラッシー・エラスムスHCから高い評価を受け、さらにサーシャ・ファインバーグ・ムゴメズルとジョーダン・ヘンドリクセといった、活きのいい若手も台頭してきた。

 今年に入りスプリングボックスとして初めての活動であった3日間(3月10日~12日)のアラインメント合宿をケープタウンで終えたばかりのエラスムスHCは「次回ワールドカップを念頭に置き、特に一部のベテラン選手が担ってきた特定のポジションについては、選手層の厚みを増し拡大したい」と述べている。同合宿は国内チームに所属している選手56人が招待されており、もちろん、ポラードのライバルとなる前述の3名も含まれていた。

 一方、エラスムスHCは、チームの競争力を維持しつつ、若手選手の育成を軸とした長期計画を推進していく方針だ。つまり、勝利を重ねながら、世代交代を進めていく考えである。そのため、ベテラン選手の存在も重要となる。
 エラスムスHCは、「ワールドカップのためだけに選手を起用するわけではない。その選手がポジションでベストなら、選ばないのは不公平だ」と述べ、代表選考において年齢を考慮しない姿勢を示している。

 チャンスは皆に公平に与えられるとのことだ。
 Go for it, Polly!

【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了。立命館大学経営学部卒。著書に「ラグビーと南アフリカ」(ベースボール・マガジン社)などがある。

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