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【楕円球大言葉】歴史が歴史を変えた。
『HSBC SVNS 2025』のバンクーバー大会(カナダ)、準々決勝でアメリカに勝ち、4強入りを決めたサクラセブンズ。©︎JRFU

【楕円球大言葉】歴史が歴史を変えた。

藤島大

 次はどうなるか。わからない。それが勝負というものだ。まして7人制。本日の快勝は明日の白星を意味しない。スペースの広い分だけ身体能力に優れた側は確実に有利なのに、いっぽうで何が起きても不思議はない。そこが競技の魅力でもある。

 昔。あれは20年前。男子ワールドカップの香港大会でチュニジアが南アフリカをやっつけた。その場にいて、びっくりした。15人制ではあと200年は実現しないだろう。
 ひとりだけ本国より派遣された新聞記者が「ラグビーはチュニジアでは6番目に人気のあるスポーツです」と解説してくれた。

 サクラセブンズが、バンクーバーにおける「HSBC SVNS2025」で過去最高の成績を収めた。目標達成、堂々の4位。斯界の巨人、米国を準々決勝で破った。

 まずは、この瞬間を祝福したい。次の大会、また次の大会、ワールドカップ、オリンピック、またまた次の大会、と、どこかへつながる過程としてとらえるのでなく、ただただ「語られるべきひとつの記録と記憶」のはずなのだから。

「変化を恐れずに立ち向かい、歴史を変えたサクラセブンズ全員を誇りに思います」(日本協会公式ページ)

バンクーバーから戻り、成田空港で取材を受けた兼松由香ヘッドコーチ。(写真/松本かおり)


 兼松由香HC(ヘッドコーチ)のコメントである。歴史を変えたチームを導く人は、この国の女子ラグビーの歴史を生きてきた。

 愛知教育大学2年の2002年5月12日。旧姓の本間で15人制日本代表の初キャップを得た。第4回ワールドカップで地元のスペインとぶつかった。ポジションはCTBである。7人制でも力を発揮、2016年のリオデジャネイロ五輪を最後に現役を退いている。19歳で国際デビュー、34歳でキャリアを終えた。

 このほどのカナダ発の朗報に接するや、反射的に「うどん屋」が思い浮かんだ。ついでコンビニエンスストアとジムの受付デスクが。10年前、以下、敬称を略して、兼松由香その人が教えてくれた。「遠征費を稼ぐためにアルバイトの掛け持ちをしました」。女子代表はいわゆる手弁当の時代である。そこで上記の職場をくるくる回った。

 そういえば1994年の第2回ワールドカップ出場のFW第3列、こちらも敬称略で並木富士子はやはり開催地のスコットランドとの往復旅費などを貯えるために「西武池袋線ひばりヶ丘駅のパルコの魚屋さん」で働いた。時給1000円。当時は日本体育大学の学生だった。
「わたし、力仕事の働きっぷりがよくて、隣の八百屋さんからスカウトされました。そうしたら魚屋さんの店長が毎日おいしい魚を持ち帰らせてくれて、うちのほうがいいぞ、って」
 12年前に聞いて、いつまでも忘れられない。なにもかもいい話だなあ。

 兼松HCは5歳でさっそく楕円球と戯れている。兄の影響だった。ただし愛知淑徳高校ではソフトボール部に所属、インターハイや国体にも参加している。外野手で打順は一番。「左打ちから左方向へバント。もしくはショートめがけてたたいて、ヘッドスライディングで出塁するのがパターンでした」。10年前の取材音声にそうある。ヘッドスライディング! そいつを好む者はラグビー競技に転じれば、きっと勇敢なタックルの虫になる。なりました。

 愛知教育大学に進学後、名古屋レディースに加わり、前述の代表入りを果たす。体を張って張って、また張るので、両ひざや肩を計5度も手術、なおあきらめず、リハビリテーションのたびに心身を研ぎ澄ました。

 本稿を書き始めてから、リオ五輪の当時のスタッフのひとりに「選手・兼松について述べてください」と頼んでみた。私見なので匿名ならと即答のメールが届いた。

「タックル。トップスピードの相手にトップスピードで刺さります。コースが的確なので外されない。オーストラリアの選手にもまったく通用していた。キャプテンシーにも優れ、ラスベガス遠征で『チーム桜小町』を率いてカナダに終了直前に逆転勝利しています。いつも最後まで練習していました」

 私見は私見だが万人の見解も重なりそうだ。すなわち頼りになるラグビー選手。

 バンクーバーの準々決勝。サクラセブンズのアタックがきれいだ。米国のトライが鉄路を突っ走る蒸気機関車なら、こちらは巧みに櫓をさばく急流の小舟のごとし。方向を変えてタックルの岩をよけ、短く優しくつなぐ。ここは兼松イズムと決めつけて、サポートが前向きにして実に粘り強い。ひとりでも走り負ければチームは敗れる。そうした定めが窮屈さではなく美を呼び寄せる。

バンクーバー大会でサクラセブンズの主将を務めた梶木真凜。©︎JRFU


 その国らしさ。スポーツ鑑賞の楽しみである。プロ化が進めば「いまこのときの正しさ」がどうしても世界を覆う。しかし、2025年の7人制日本代表はどことも似ていなかった。独自性は確かにあった。一筋のヒストリーがそこに見えた。

 兼松由香HCは現役晩年、こんなことを話していた。

「自分たちの手で新しいことを創造していく先輩たちの姿をいまでも尊敬します。どれだけ大変だったか。いま活動を続けながら、ふと、どんなに恵まれているかと感じることがあります」

 魚屋とうどん屋とサクラセブンズは切断されない。感動の根拠だ。


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