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交わるはずのない双曲線。使ってみたくなる表現だ。駆け出し記者のころ。勤務先とは別のスポーツ新聞の野球の記事に見つけて、なんとなく、いいなあ、と思った。
でも数学どころか算数もからっきしだから本当はよく理解できない。まあ「永遠に重ならないふたつ」のことだろうと理解した。
12月1日。100回を迎えた早明戦。忘れていた言葉が頭の中でよみがえった。
明治大学の背番号22、2年、SОの伊藤龍之介。早稲田大学の8番、4年、鈴木風詩。名前だけ文字にすると文学の原稿のような両者は、どちらも國學院大學栃木高校の卒業生である。ただし、そこでの経歴はずいぶん違う。
紫紺の前者は新人にしてチームの中枢を担った。2年で全国大会準優勝。3年で高校日本代表のアイルランド遠征に選ばれている。赤黒の後者の花園での出場記録を資料で確かめたら「2年の若狭東高校戦の後半10分から」がすべてである。簡単に記すとレギュラーではなかった。社会科学部への進学も一般の自己推薦によるものだ。
4万観衆の国立競技場。伊藤龍之介の能力はベンチより送り出されて、たちまち明らかである。2点を追う後半9分に登場。突然の加速と滑るような足の運びのランは、スタジアムの都の西北党のまさに「心胆を寒からしめる」。おっかないのだ。もちろん駿河台派は大いにときめいた。
新人の10番、萩井耀司(堂々と務めを果たした)の台頭もあって、リザーブに名を連ねて、それはラグビー好きの議論を呼んだ。当夜、酒場で実際に聞いた意見はこれ。
ひとつ。「なにしろ激しいバトル、後半はディフェンスのよい早稲田もさすがに疲れて、そこにフレッシュな龍之介のランは効いた」
ふたつ。「いや。明治のFWが元気な前半にこそ龍之介で波状攻撃。早稲田はそっちがこわかったはずだ」
いずれも間違いではあるまい。すなわち湧き出るタレントの証明だ。
かたや鈴木風詩。ちなみに名を「ふうた」と読む。実は「5年」だ。自由なライフスタイル(授業に出席するかどうかを自分のその朝の気分によってのみ決定する)の帰結としての留年とは異なる。あえて1単位のみを残して卒業年度をひとつ遅らせた。理由は以下のとおり。
早稲田合格。ラグビー部へ。ただし分析担当のスタッフの立場で。強豪の「国栃」出身なのにスパイクを履くことはなく屋内で映像やデータと格闘した。
先の早明戦の前、サンケイスポーツの田中浩記者の取材に明かしている。
「早大は『スポーツ推薦で入るようなスターが出るチーム』と勝手に決めつけていた」
実際は違った。4年前の11月1日。秩父宮ラグビー場。早稲田は帝京大学を45-29で退けた。背番号6のフランカーは4年の坪郷智輝。出身校は「川越東」である。花園とも縁のある埼玉の実力校だ。ただしラグビー部ではなく野球部に所属していた。その午後が対抗戦初出場なのにマン・オブ・ザ・マッチに選出された。
本稿筆者は後日、初心者の快挙をコラムにまとめようと、あれこれ「つぼごう」について調べた。インターネットの大河を泳ぐうちに本人のこんなコメントを発見した。
「最後の最後まで何が起きるか分かりません。結果に一喜一憂するのではなく、ただ黙々と目標に向かって(略)」
ラグビーの話ではなかった。受験浪人で通った予備校のサイトの報告記である。冒頭に「早稲田(法・商・社会科・人間科)祝合格!坪郷智輝くん」とあった。
浪人後の入学までは競技歴なしで対帝京白星の中核をなす。もっぱらパソコンと向き合う新人アナリストの心は動いた。「モヤモヤしていたものに踏ん切りがついた」(サンケイスポーツ)。かくして、すっかり細くなった体をつくり直して翌年度の「新人」で入部した。だから、あえて5年。
決心は裏切らなかった。こうして早明戦の大舞台に立てた。正直、際立つパワーやスピードはなさそうなのに、いつでもそこにいて、誠心誠意、しかるべき仕事に取り組む。必要ならばロックもこなし、交替のベンチの人員配置を楽にさせた。練習や試合における意思疎通は平易にして明瞭。それこそ分析班・鈴木風詩なら、そうした可視化されづらい献身の価値に気づいたはずだ。
早明戦とは対照の妙の歴史でもある。「ユサブリ」と「前へ」。「散開」と「突破」。「粘る」と「潰す」。「フウタ」と「リュウノスケ」。
後半35分前後。W27-17M。Mの伊藤龍之介が走る。自陣深いところでバウンドしたキックをつかみ、スラロームとスプリントをおりまぜながら敵陣22m線へ迫った。機を見るに敏。軽快で鋭利。歓声と悲鳴は快晴の空気を揺らした。
このときWの鈴木風詩は勤勉にチェイスをこなし前へ出たのち、自分のひとつ内に立つ同僚を抜き切った高校の後輩、その遠ざかる背をあきらめなかった。ひたひたと長い距離を後ろへ。仲間のタックル後のラックに体をねじ入れる。かすかに、ほんのわずかだけMの球出しは遅れた。その瞬間は歓声や悲鳴の対象ではない。「選手としての入部をためらった若者」は観客の興奮と興奮のあいだをプレーする。
進む時計で後半44分30秒。伊藤龍之介のすり抜けるゲイン。「いかれたかな、と思った」(早稲田の大田尾竜彦監督)。惜しくもつかまり、そこからの展開でこんどは左へ飛ばしパス。Mの23番、海老澤琥珀がタッチライン際で劇的逆転のフィニッシュか。いや、そこへWの10番、服部亮太が痩身を浴びせて押し出した。
27-24。早稲田の勝利。JSPORTSの実況解説席のモニターにふたりの姿が順に大写しになった。
まず鈴木風詩のどう書いたらよいのか、この世で最もいきいきとした抜け殻のごとき表情。便利過ぎて、むやみに使用せぬと決めている「オールアウト(エネジーすっからかん)」という形容がたまらず倉庫を飛び出した。
ついで伊藤龍之介。透き通った悔いが唇ににじむ。20歳の青年は、ワールドカップ準々決勝で痛恨の敗退を喫した38歳の背番号10にも、近隣のライバル校に負けた公立中学ラグビー部のキャプテンにも映った。人間の成長の瞬間!
高校の在籍は入れ替わりの関係である。交わるはずのない双曲線はここに重なった。