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【南アフリカコラム】プロップに光を!
よく見ると可愛らしいスプリングボックスのPRオックス・ンチェ。RWC2023優勝後の一枚。(撮影/松本かおり)

【南アフリカコラム】プロップに光を!

杉谷健一郎

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◆なぜオックス・ンチェではないのか?


 高校時代「スクラムに勝てば、試合も勝てる」という信条を持つ“スクラム至上主義”の指導者の下でラグビーを学んだ。昭和の時代、スクラム信奉者の指導者は多かった。

 実際はスクラムが劣勢でも勝てる術はある。しかしスクラムを押すことができればさまざまな利点が生まれる。スクラムが優勢だからこそバックスの展開、キック、サイドアタックなどさまざまなプレーが有利に遂行できる。

 そして、スクラムが優位になることによりFW8人だけではなく、チーム全体に自信と安心感を与えることは間違いなく、この心理的な余裕は緊張感が続く試合の中で、優位に試合運びができる要因の一つになる。

 そういう環境で育ったせいか、今も試合を観ているとスクラムに注視してしまい、ボールがスクラムから出たあとでも、しばらくスクラムに見入ってしまい、次の展開を見逃すことも多々ある。

 閑話休題、11月18日にワールドラグビーが今年の8部門のアワードカテゴリーのノミニー(候補者)を発表した。ここで取り上げたいのは最高峰ともいえる「ワールドラグビー男子15人制年間最優秀選手賞」である。

 ノミニーはアイルランドFWの中核であるNO8ケーラン・ドリスを除いては、スプリングボックスからLOエベン・エツベス、FLピーターステフ・デュトイ、WTBチェスリン・コルビの3名が選ばれた。

 ノミニー4名中スプリングボックスが3名を占めたことに対して南アフリカ国内は歓喜に沸いている。この3名のノミネーションに関しては、今年のテストマッチでの活躍、ひいてはスプリングボックスへの貢献度を考えるとまったく異存はない。

(※脱稿直前にデュトイが5年振り2回目の受賞となったことを知った。これに関しては同意するし、デュトイは受賞に値する働きをしたと思う。またンチェは「男子ドリームチーム・オブ・ザ・イヤー」のメンバーに選ばれた。スプリングボックスからは他に2.マルコム・マークス、4.エツベス、7. デュトイ(南アフリカ)、12.ダミアン・デアレンデ、13.ジェシー・クリエル、14.コルビが選出された)

 しかし、一つ言いたいことがある。このノミニーにスプリングボックスのスクラムの支柱であるPRオックス・ンチェがなぜ入っていないのか。そこに関しては異議を唱えたい。

 2019年ワールドカップから続くスプリングボックスの躍進を支えているのはどこにも押し負けない強いスクラムが基盤にあるからだと個人的には思っている。

 テンダイ・“ビースト”・ムタワリラ引退後、スプリングボックスのルーズヘッド・プロップ(左プロップ・1番)はンチェとスティーヴン・キッツォフが争う形になっていた。
 しかし2024年に関しては年初のカリーカップでキッツォフが首を負傷したため、ンチェが7月のポルトガル戦、8月のワラビーズ第2戦以外はすべての試合に1番でスタメン出場した。

 他方、タイトヘッドプロップ(右プロップ・3番)に関して、エラスムスHCはトーマス・デュトイとフランス・マルハーバを交替でほぼ均等に使い競い合わせた。そして、最近、ウィルコ・ロウがこの競争に加わった。

 したがってエラスムスHCがいかにンチェに信頼を置き、スクラムの柱として1番を任せていたのかが分かる。実際、11月16日のイングランド戦でンチェが負傷退場した際は、「(ンチェの不在で)予定していた試合展開ができなかった」というコメントを残した。

 今年のテストマッチでは優勢なスクラムにより相手FWが反則を犯し、幾度となくPGを提供した。スクラムを押しているからこそ、フライハーフ(SO)が余裕をもってキックパスを蹴ることができ、BKラインが前進しながらライン攻撃に取り掛かることが可能となった。
 テストマッチという高いレベルでスクラムトライも奪取した。劣勢になった際は相手ボールのスクラムを押し、攻撃のリズムを狂わせた。これだけスクラムはスプリングボックスの勝利に貢献している。そして、そのスクラムの中核となっているのがンチェである。

 またンチェの活躍の場はスクラムだけではない。プロップとしては機動力があるので、攻守ともにいい動きをしていた。例えば熱戦となったオールブラックスとのテストマッチ第2戦のスタッツを確認すると、ボールキャリーが6回、ゲインメーターが40m、タックルが6回とフランカー並みの数値である。
 押して、走って、タックルしての超人的な働きであった。

 もちろんエツベス、デュトイ、そしてコルビのような目立つプレーはしていないが、彼らの動きを事前の段階でサポートしてきたのがンチェではないだろうか。年間最優秀選手賞受賞までは望まないが、せめてノミニーの中にンチェを含めるべきだった。そうでないと、このアワードの選考基準が非常に偏ったものだったと判断せざるを得ない。

 余談だがエラスムスHCでなければンチェはスプリングボックスには選ばれていなかったかもしれない。なぜならエラスムスHCは南アフリカで今なおはびこる“Bigger is always Better”というサイズ重視のコーチではないからだ。

 例えば今年テストマッチに出場したプロップの体格を見ると、キッツオフ(184㎝、123㎏)、デュトイ(189cm、130㎏)、マルハーバー(191㎝、138kg)、ロウ(185㎝、144kg)、ゲルハルト・スティーンカンプ(191cm、126㎏)、ジャン‐ヘンドリック・ベッセルス(193㎝、120㎏)等、見事な巨漢揃いなのだが、ンチェは身長176㎝、体重114㎏とここ最近のスプリングボックスのプロップ陣の中では群を抜いて小さい。
 試合を観ていても長身者の多いFWの中では首一つ以上小さいので逆に目立つくらいだ。この身体でよくスプリングボックス内の競争に勝ち、仲間と同じような体躯の強豪国プロップに押し勝っていると感服する。

こちらもRWC2023中のオックス・ンチェ。現在39キャップ。(撮影/松本かおり)


 話が本題から少し逸れたが、ンチェのことを気にしつつ、ルーティンとなっている海外のラグビー記事をチェックしていると、筆者と同じ考えをしたラグビーライターがイギリスにいたので少しうれしくなった。

 11月19日付の英紙“The Telegraph”でベン・コールズ氏が寄稿した “It’s a disgrace World Rugby overlooks props like Ox Nche for player of year(ワールドラグビーがオックス・ンチェのようなプロップを年間最優秀選手賞(候補)から見落としたことは恥ずべきことだ)”では、ンチェを始めとするプロップの選手たちが冷遇されていることを指摘している。

 コールズ氏の記事を見てさらに驚いたのが、2001年から続く「男子15人制年間最優秀選手賞」であるが、累計117人のノミニーにプロップの選手が一人も含まれていないことである。筆者も確認したが、確かに1番、3番を除くすべてのポジションの選手はノミニーになっている。
 ちなみにこれまで同賞を受賞した選手のポジションで最も多いのが、フライハーフ(SO)とフランカーでともに7名が受賞している。この時代、SOダン・カーターやSOボーレン・バレット、そしてFLリッチー・マコウなどのNZ勢が全盛期を迎えていたことが影響している。

 しかし、23年間もプロップの選手がノミニーにさえ選ばれていないという事実はどう受け止めればよいのだろうか。アワードの選考基準にスクラムに対する評価項目が少ないのだろうか。またはトライに直接的に関与しなければ高い評価を得られないのか。

 いずれにせよラグビーのプレーの中で最も体力の消耗が激しいとされるスクラムを最前列で支えるプロップの選手たちがこれでは浮かばれない。よくプロップを「縁の下の力持ち」と形容するが、あまりにもスポットライトが当たっていない。

 ただし、ンチェにもしこのことをどう思うか聞いたとしても「何とも思っていない。自分の仕事をするだけ」と一蹴するに違いない。プロップとはそういう粋な人たちだから。

◆2024年有終の美を飾る。


 そのンチェであるが、前述のとおり前週のイングランド戦で右膝の上に裂傷を負い途中退場した。したがって、オータム・ネーションズシリーズ最終ラウンドであるウェールズ戦(11月23日)の出場が危ぶまれたが、当初はメンバー表に名を連ねており、事前練習にも参加していた。
 まったく出場できない状態ではなかったようだが、最終的にエラスムスHCが大事を取らせると判断した。1番には3番からPRデュトイを移して、3番にはイングランド戦に引き続きPRロウを入れた。

 その他のメンバーだが、不調のウェールズに対して、先発メンバー15名中6名が20キャプ以下という若手または経験の浅い選手を選んでおり、総キャップ数は638だった。もちろんワールドカップ・ウィナーのベテラン選手も要所にバランスよく配置されていた。

 特筆すべきはスプリングボックス史上、36組目の兄弟選手の同時出場になる、SHジェイデン・ヘンドリクセとSOジョーダン・ヘンドリクセのハーフ団である。兄のジェイデン(15キャップ)は前回ワールドカップのメンバーでもあり、今年のテストマッチではアルゼンチン戦やスコットランド戦で先発している。弟のジョーダンは今年の初戦(6月22日)、トゥイッケナムで行われたウェールズ戦で初キャップを得たが、それ以来のテストマッチ出場である。今年、ジョーダンがライオンズからシャークスへ移籍したため、現在、シャークスでも兄弟ハーフ団を組んでいる。

11月23日のウェールズ戦でトライを挙げたSOジョーダン・ヘンドリクセ。(Getty Images)


 さてスプリングボックスのオータム・ネーションズシリーズ最終戦は、カーディフのプリンシパリティ・スタジアム(ミレニアム・スタジアム)に6万7千人の観客を集めて行われた。試合結果からいうと45-12(トライ数:7-2)でスプリングボックスがほぼ圧勝したといえるだろう。

 まず前半5分、スコットランド戦から復活した“我らの”LOフランコ・モスタートがラックサイドを駆け抜け20mほどを快走しトライ(7-0)。間髪入れず前半9分にはWTBカートリー・アレンゼをフォローしたLOエベン・エツベスが左中間にトライ(12-0)。やはりスプリングボックスのロック陣は機動力がある。2mの巨体を持ち、これだけ走れるロック陣は世界中見渡してもそんなにはいない。

 さらに10分後、WTBアレンゼがFBアフェレレ・ファシからの飛ばしパスを受け、切れ味あるステップで3人のディフェンダーを抜き、トライ(19-0)。アレンゼは周知のとおり、この後、三菱重工相模原ダイナボアーズに合流する。リーグワンであの鋭いステップを観ることができるとは楽しみだ。そしてこの試合でも右ウィングとして出場している盟友、コルビ(東京サントリーサンゴリアス)とのマッチアップも大いに期待している。

 前半33分にはやはりスクラムから得たPKからこの日はオープンサイド・フランカーで出場しているエリフ・ロウが突っ込んでゴール中央にグランディング(26-0)。

 この辺でウェールズの集中力が切れてスプリングボックスのトライラッシュが続くかと思われたが、レッドドラゴンは意地を見せ、前半終了間際にWTBリオ・ダイアーが右隅にトライ(26-5)して前半が終了した。

 後半開始から少しもたついたが、後半14分、この日大活躍のWTBアレンゼが絶妙のダミーで相手を抜いてからFBファシにボールをパス。ファシが25mを独走しトライ(31-5)。さらに後半21分、交代で入ったPRスティーンキャンプがラックサイドを突いてトライ(38-5)。最後に後半35分、ダメ押しのトライをSOヘンドリクセが決めた(45-5)。

 ウェールズは終了間際にFWがラインアウトからボールをつなぎ最後はFLジェームズ・ボサムがトライを返した。最終的なスコアは前述のとおり45-12になった。

 ウェールズはテストマッチ12連敗、1年以上テストマッチに勝てていない。ウェールズが前回1年以上テストマッチに勝てなかったのは1937年、つまり87年ぶりということだ。ウェールズは世代交代の時期ではあるが143年に及ぶウェールズの国際マッチの歴史の中で最悪の状態にある。非難の声はウォーレン・ガットランドHCに集中しているが、この先どうなるのだろうか。

 そして、有終の美を飾ったエラスムスHCはまずオータム・ネーションズシリーズを無敗で終えたことに対して、「チームがそれを達成できたのは素晴らしいことだ」とまず選手を称えた。

 また今年は選手層を厚くするために51名の選手が入れ替わったが、このことに対しても「最初は選手たちがこの入れ替えをどう受け止めるか心配だったが、シーズン初めに正直に話したところ、全員がこの計画を受け入れてくれた。それは称賛に値する」と語った。

 続けて「今年は新しいアタックコーチとディフェンスコーチ(トニー・ブラウンとジェリー・フラナリー)が加わった。そして、彼らがチームに溶け込み、チームをサポートしてくれた手法は素晴らしかった。」と2人の新任コーチに対する感謝の言葉も忘れなかった。

 2024年もスプリングボックスには迫力のある力強いラグビーを堪能させてもらった。ただし、目標はあくまで2027年のワールドカップである。少し調子が良すぎてピーキングが気になるが、策士のエラスムスHCである。そんなことは織り込み済みだろう。

 2024年、チームとしては、アイルランド第2戦とアルゼンチン第1戦ではともに1点差の惜敗となったが、オールブラックス、ワラビーズには連勝して満足のいく結果だったのではないかと思う。そして、今年13のテストマッチを通じて51名の選手が試された。強いて言えばロックとセンターに若手選手が台頭してきてくれれば言うことはないのであるが、全体的には選手層の厚いチームが形成されつつあると思う。
 オールブラックスと互角に戦えるチームがスプリングボックスの中には3チームある印象だ。エラスムスHCの手腕である。

 しばらくはスプリングボックスの黄金期が続くだろう。

【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了

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