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【楕円球大言葉】ハードワークにぬくもりを。
欧州ツアー中、トレーニング時の日本代表、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチ。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】ハードワークにぬくもりを。

藤島大

 ジャパンのヘッドコーチをめぐる話題が今月初めからロンドンでは大きく報じられてきた。東京のスポーツライターがまったく取り上げないのも不自然なので、ひとまず概略を。

 イングランド代表の元SHのダニー・ケアが自伝を出版。抜粋記事をタイムズ紙が掲載した。そこにエディー・ジョーンズ体制についての記述があった。

「学校で誰かがいじめられているときに自分でなくてよかったと感じたのを覚えているだろう。あんな雰囲気だった」

 キャップ101。本年の6カ国対抗までは胸にバラのジャージィをまとった名士の見解だけに注目は集まる。

「心を傷つける環境」「ディストピア(理想郷の反対)小説」「恐怖」。刺激的な表現が並んだ。

 ただし選手・元選手のあいだで意見は割れる。

 オリー・ローレンス(CTB。先のジャパン戦にも先発)。「彼は選手に強く働きかけて最高のものを引き出すんだ。わたしを謙虚にさせたし、国の代表としてどれほど努力が必要なのかを教えてくれた」(BBC)

 ダニー・シプリアーニ(元SO)。「いつでも苛立っており、どこでも喧嘩腰だ」(インディペンデント)

 ジョニー・メイ(元WTB)。「方法には容赦がない。ただし『おぼれるか泳ぐか(=やるかやられるか)』というアプローチはチームをよりよくするためのものだ。彼はそのことに取りつかれていた」(テレグラフ)

 ラグビーに限らずスポーツ取材で気をつけなくてはならないのは「選手によるコーチ(監督)の評価」である。名指導者でも自分を重用してくれないと、なかなか好きにはなれない。優秀でないかもしれぬ監督が自分をどしどし試合に出してくれれば嫌いにはならない。立場はそれぞれなのだ。またスタッフの大半は秘密保持契約や業界での将来を考慮して本音を口にしない。

 だから「イングランドを率いたエディー・ジョーンズのマネジメント」のありさまを記すのは難しい。そこで書きたいのはこれ。一連の現地報道を調べて、いちばん大切だろう次の一言についてだ。イングランドの現在のキャプテン、フッカーのジェイミー・ジョージのコメント。

敵地でのイングランド戦後の記者会見でも、現地記者からダニー・ケアの本についての質問が飛んだ。(撮影/松本かおり)


「勝利には犠牲がともなうとは思わないし、信じてもいない。わたしは、ずっと、ポジティブな雰囲気をつくり上げるチームの一員だった。サラセンズもそのひとつです。それでも重要な勝利を手にしてきた」(ガーディアン)

 前段で「誰にもそれぞれの経験がある」ので「ダニー(ケア)の意見も理解できる」と述べ、さらに「エディーがよいコーチである」あかしの実績にきちんと触れ、そのうえで現在のイングランドには「より包摂的な環境があり、すべてのスタッフと意見をぶつけ合うことできる」と現状を説明する。さすがリーダー、完璧だ。 

 あらためて「勝利は必ずしも犠牲を求めない」。コーチングにおいて忘れてはならぬ視点である。

 余暇の楽しみでなくチャンピオンシップのラグビーに厳しさは不可欠だ。コーチ(ここでは監督を含む)は妥協せず、そこにいる選手ひとりひとりをよりよくするための課題を常に示す。ことによっては「追い込む」と表現しておかしくはない。

 それでも「ポジティブな雰囲気」を削らない。そうした場の流れを築くのはコーチの務めである。ここには指導者の性格や生き方がかかわってくる。

 昔、そのとき89歳、明治大学の北島忠治監督が教え子に「バカ」と言うのを聞いた。静かな声で語尾がちょっとだけ「カァ」とのびる。なんとも感じのよい「バカァ」だった。練習試合のあとに何事かを叱ったのではあるが、愛情とそこはかとないユーモアの気配があった。ああ、こういうことなんだ、と、思った。

 形態としては「独裁」に似ているのかもしれない。紫紺と白の長い部史には浮き沈みもあった。しかし、権力は腐敗せず、クラブに凍った風の吹くことはなかった。根が自由人、みずからも若き日につるつるの優等生というわけでもなく、どう書くのか、酸いも甘いも噛み分けて、人心への想像力にたけ、異質を簡単に排除はせず、そんなキャラクターがすべての前提だった。だから、終身監督なんて、とてもマネしてはいけない。

 スプリングボクスでもカナダでもフィジーでもジャパンでも、およそ国代表に呼ばれる者は、そもそも「ずっとそこにいたい」と心から願う。なんといっても最高の栄誉なのだ。したがって、単独クラブと比べれば「厳格な鍛練や要求」へのひとりひとりの耐性は確かだ。みずから離れるとしたら、厳しさでなく冷たさがそこにあるからだ。ハードワークにこそぬくもりは欠かせない。

 1980年代。当時は猛練習でとどろく慶應義塾大学の夏合宿を追いかけたドキュメンタリー番組があった。記憶にいくらか屈折はあるが、土にまみれて、ふらふらの学生たちを前に中年のコーチが涙声で撮影クルーにこうつぶやく。

「見ちゃおれんです」
 
 私心は皆無、むごいほどの特訓に絶対の愛があった。部員は卒業したら鬼コーチと愉快に杯を交わしたはずだ。

 おしまいに2006年の秋田魁新報より。自身が率いて全国大会で8度優勝、国体制覇は12度、秋田工業高校の佐藤忠男元監督の76歳の死を悼み、教え子の「猿田武夫さん(六一)=秋田市=」が同紙に語っている。
 
「練習は苦しかったが、先生の指導を受けると温かいものが体に入ってくるような感じがした」

 体重70kgでオールブラックス・ジュニアを破った元日本代表プロップの美しい実感である。過去にも別の媒体で触れた。あと101回はキーボードに打つつもりだ。




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