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【楕円球大言葉】一瞬の英雄、窮地の冷静。
アイルランドのゴードン・ハミルトンの興奮と感激のトライ。当時は警備が優しく、このあと観客はなだれ込み、ほどよいところで引き揚げた

【楕円球大言葉】一瞬の英雄、窮地の冷静。

藤島大

 上の写真。「掲載されなかった決定的瞬間」である。デジタルカメラの原型ともいえるソニーの実験機材によるショット。解像度は現在とは比較にならぬほど低く、それもまた歴史の一幕を感じさせる。あれから33年の秋、あえてモノクロームでプリントしてみた。

 1991年のワールドカップ。10月20日のダブリンのランズダウンロード競技場。アイルランドとオーストラリアの準々決勝の残り5分というあたり。不利とされたグリーンのジャージィの7番、ゴードン・ハミルトンの逆転トライを東京からやってきたスポーツ写真家の0.K氏がとらえた。

 これで16-15。身を乗り出す観客は直後には芝の上に飛び出し、勝利を確信、踊るように躍り、ヒーローに抱きついた。背番号10のラルフ・キーズが簡単ではない角度のゴールを決めて18-15とする。

 アイルランドはスクラム起点で左へ展開。ライン参加(もはや古語。いい響きだ)のFB、ジム・ステイプルズが自陣10mより左裏へ低いキック、11番のジャック・クラークがつかみ、タックルにさらされながらも踏ん張り内へ返す。そこにハミルトンが走り込んだ。

 セットプレーからワイドへ運んだ球をめがけて長駆の背番号7がひとりでサポートする。古いファンには懐かしいフランカーの動きである。昔は肉弾戦よりもこちらの能力こそが求められた。

 クラシックな名勝負、ことにアイルランドの愚直なまでの攻守には、プロ化される前のラグビーの魅力が詰まっている。

 たくさんのコーチやスタッフの練り上げた計画ではなく情熱。ハイパントでもタッチラインの外へのゴロでも、およそキックであればそれを繰り出すたびに観客は盛大な歓声を届けた。そんなに蹴るのがうれしいのか。とも思うのだが、現場にいた本稿筆者もまた高々と楕円球が舞うたびに「アイルランドによいことが起きるのでは」と判官びいきの胸をときめかせた。

 トライのハミルトンはのちに海運企業などの経営で成功を収める。2019年に振り返っている。

「シニア(リーダー)格の選手は対戦相手について考えていたかもしれない。でも、わたしはハードに追いかけ、ハードにタックル、あとはサポートに走り、サインを覚えるだけでした」(RTE)

 こんな素朴な態度も闘争の場では悪くない。開始キックオフ直後のさっそくの乱闘。体当たり。執拗なチェイス。まさに「血と雷とキックと拍手」(同)のラグビーが、あの時代には例外のプロ的な強化に取り組んだオーストラリア代表ワラビーズを魔界に引きずり入れた。

 なのに冒頭の写真は東京の新聞の紙面を飾ることはなかった。ワラビーズがここから再逆転するからだ。

 スタジアムの興奮に巻き込まれぬ人間がひとり存在した。マイケル・ライナー。商業用不動産の販売や買収の分野で名を成し、やがて国際情報企業ダウ・ジョーンズのロンドン駐在幹部となるワラビーズの10番である。

 窮地にあって冷静を保った。まずスコットランド人のレフェリー、ビル建築の積算が本職のジム・フレミングに終了までの時間を確かめる。場内の掲示はなかった。「4分」と伝えられる。

 世界的CTBで「XXXXビール」の会社で働いたティム・ホランは「ドロップゴールを狙おう」と言った。だがライナーはすでに絵を描いていた。

「この試合で成功したムーブ(サインプレー)があった。アイルランドのディフェンスのパターンを読んで、練習してきたものだ」(Rugby.com.au)

 スクラムからの短く浅く並んだラインでの右アタック。背番号で10から隣の13へ。12の前を飛ばして走り込んだ15。その外に飛ばされた12がループのように回り込む。そして、同大会の顔となるWTB、若き日はクラブハウスのバー支配人見習いのデヴィッド・キャンピージへ。

 いかなる手順で敵陣左深くの自チーム投入スクラムに持ち込むか。まずリスタートを遠くへ蹴り込む。厳しく圧力をかけて、アイルランドのFWにタッチキックをさせたはずだ。実は放送ではトライのリプレイが流れており、ここの瞬間は確かめられない。だから、そこにいた記憶で書いている。

 左ラインアウト。いったんライナーへ。近接した位置にキャンピージがまっすぐ切れ込み意図的なモールをつくる。当時の競技ルールではパイルアップはボールを持ち込んだ側のスクラムとなる。膠着後にまんまと機会をつかんで前述のムーブを仕掛けた。

 大外のキャンピージはトライラインの前で相手CTBのブレンダン・マリン(資産運用など金融の世界で成功後、アイルランド銀行要職時代の不正により2021年に逮捕)にタックルされるもボールは後方へはねて、サポートのライナーが右コーナーへ。19-18へスコアはひっくり返った。

 直後の静寂というか沈黙をよく覚えている。何万人も押し黙ると、かえって不気味な音が響くみたいだった。

 トライへの道筋はコーチ席より発せられる無線連絡によるものではなかった。ひとりのリーダー、この場合はマイケル・ライナーの脳内で組み立てられた。

 同じムーブでキャンピージはいっぺんスコアしている。通用した攻撃をやめる必要はない。先回りで裏をかくのは考えすぎだ。こういうふうに思考を進められるかは度胸や直感と関わっている。
 
 2015年。当該場面を振り返って本人が語った。

「プレッシャーにさらされたときは、ひとりひとりが目の前の仕事に集中することで状況の重さを脇によけられる」(the42.ie)

 秒針が4周するかしないかの猶予に「その場所でのスクラム」をもらう。それが、それのみが「目の前の仕事」だった。  

 ほんのわずかのあいだ英雄となった男、ゴードン・ハミルトンの述懐。

「アイルランド代表のディフェンスよりも学校のよいチームのほうが組織化されていたかもしれない」(RTE)

 ジョークに半分の理があって、にもかかわらず、結果として世界一となる強敵にほとんど勝っていた。こぼれて地面をはねる楕円のボールをものにするのは、なぜだろう、胸にシャムロックの緑のジャージィばかりだった。あれは見事なラグビーフットボールであった。

 2023年のワールドカップ。アイルランドは緻密で精確なスタイルを築いた。計画と準備の傑作のようにも映った。しかしオールブラックスとの準々決勝を落とす。戦前の予想において有利が大勢。でっかい的に捨て身で襲いかかるのが常だったので、そんな立場には慣れていない。試合前々日のミーティングで1991年のあの血と雷とキックの物語を鑑賞しておけばよかった。


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