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【楕円球大言葉】いかに沼を出るか。
2024年度シーズンは開幕から4連敗。京産大に24-97、天理大に28-52(写真)、関西学院大に19-52、近大に14-68と苦戦が続いている。(撮影/平本芳臣)

【楕円球大言葉】いかに沼を出るか。

藤島大

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 胸にエンブレムはない。そこに伝統校の矜持がかえってにじむ。おなじみの紺とグレーのジャージィが泣いている。と、ありきたりな表現をいま用いて、いや、現役部員はどう泣いてよいかわからないはずだ。

 同志社大学が勝てない。関西Aリーグの4節を終えて全敗。もはや「入替戦回避」を実質の目標とせざるをえない。

 過去の隆盛(1982年から84年度にかけての大学選手権3連覇など)との比較。「同志社さん、いい選手、たくさんおりますよ」の他校の視線。どこまでも愛を注ぐファンの優しさ。と、主題はたくさんあるのだが、コーチングの観点では「2022年の同志社大学」がどうにも気になる。本当なら、あのシーズンに復活の足場を築けたのではないか。紙一重で好機を逃がしたのではあるまいか。

 念のために昨年度は全敗の最下位。そのひとつ前の年である。3勝4敗でリーグ3位に滑り込んで全国大学選手権出場を果たした(準々決勝で帝京大学に0-50)。もっとも「足場の予感」は白黒の混在する成績によるものではない。

 同年度より就任の宮本啓希監督は、自身の在籍したサントリーサンゴリアス流のハードワークを課した。関西発の情報は「早朝練習の敢行」や「体をつくり走り込む方針」をしきりに伝えた。

 2021年度はリーグ4位。殻を破るにはわかりやすい方法だ。菅平高原での夏合宿。まったく蹴ろうとしない全面アタックを関東勢も知った。東海大学に19-58。40分のみの青山学院大学に14-16。負けても意図は伝わった。

 8月28日の早稲田大学戦は25-33。ここにきてキックをほどよく解禁。衝突で引かず、堂々と渡り合った。おっ、同志社、強くなるかも。だが、あとで関西在住の記者や当時のインサイダーに聞くと、このころからしだいに学生主導で練習内容を決めるようになっていたらしい。

 関西リーグ開幕節の9月18日、立命館大学に15-19で敗れた。ここでの4点差が迷路の始まりだった。

 以下、しばらくコーチングの話を。同志社が最後に関西を制したのは2015年度である。クラブの歴史に照らせば低迷に違いない。ゆえに極端な戦法(当面はキック封印)や厳しい反復鍛練で「これだけはできる」をひとつずつ獲得するのは正しい。これは陣容に恵まれぬ側が頂点を狙う際にも有効だ。1990年代までの早稲田や慶應義塾大学もしばしばこの道を選んだ。

 ただし危険も待ち構える。「春も夏もハードワークの一点突破」はシーズン序盤に弱いのだ。疲れは残るし、部内の懐疑もなかなか消えず、目先の白星採集には適さない。努力と成果の時期はずれる。

 11月後半くらいになると培った地力でようやく飛翔できる。そこまでは低空飛行で構わない。でも機体の腹が滑走路にこすれてはならない。あらためて初戦に1点差でよいので勝利しておけば。

 第4節の関西学院大学戦を34-38と落として2勝2敗。青春は眼前の理想を求めて青春である。「あとでよいことが待っている」は齢を重ねてわかるのだ。学生の「信」はどうしても揺らぐ。ますます「自分たちで」と焦る。実際、その方向へ転じた。

 11月6日。京都産業大学に26-31の惜敗。12月3日。天理大学を47-19で破る。ひとまず「自主」の結果は出た。ひとつの筋を愚直に貫く。息は詰まる。そこで学生は解放を求めた。短い射程では「よいとこどり」となる。選手の気づく「小さな正しさ」が大きな流れを滑らかにする。

今季は『ORIGIN』をチームスローガンに掲げ、「原点回帰、強い同志社を取り戻す」の思いが込められている。(撮影/平本芳臣)


 同志社は翌年度も「学生中心の運営スタイル」(日刊スポーツ)を進めた。射程が伸びると大きな流れの勢いはそがれる。沼より這い上がる筋力を身につける前に脱出口をさがして、いっそう足をとられた。残留の入替戦が唯一の白星だった。

 強調すべきは「現場に悪者はいない」という事実である。もとより学生がよりよくなろうと能動的に動くのは尊い。就任時は35歳の宮本監督は成功のイメージを抱きながら、みずからも学んだ同志社の気風もおそらく考慮、あるところまで現役にゆずった。昨年度限りでの退任。初の本格コーチングが名門クラブというまれなる経験を積んで、将来の機会には説得と遂行を両立させるだろう。

 先日、ヤマハやサントリーの元監督、清宮克幸さんが早稲田を指揮した時代を語った。

「僕はこわいけど厳しくはないですよ」

 威厳がある。オーラを発散している。緻密な戦法を考案、更新をおこたらない。そのうえで最後は「そんなもの、お前らの責任だろう、お前らで決めろ」と学生のコートにボールを返す。幹は幹のまま枝や葉については耳を傾けた。塩梅というやつだ。
 
 2007年4月。かつての同志社監督、岡仁詩さんをインタビューした。この1カ月後に急逝する。長く指揮を執った母校を次のように表した。

「同志社というチームは、これで勝ったら素晴らしい、しかし必ず勝つとは限らない。では勝つためにやってないのかと聞かれれば、いや勝つためにやってるんだ。勝った時、選手ひとりひとりの気持ちが最高だ、部の雰囲気も最高だ、こんなに楽しいことない、そういうチームでありたいと」

 型にはまらず、スタイルに偏りがなく、はじけた笑顔ででトロフィーを掲げる。さっそうたる「紺グレ」の像は鮮明である。そして同じ人は若き日の指導をこうも述べた。

「激しかったです。監督になったのが若かった(1959年、29歳)でしょう。早慶明の監督さん、みんな大先輩ですよ。チンピラみたいなもんで。それは汚い言葉も使いましたし。大阪の河内に近い言葉でね。聞いているのは初期のほんの少しの連中だけですけど」

 61年度の第2回NHK杯(日本選手権の前身)を制し、63年度、第1回の日本選手権では近鉄を退けた。当時の戦法の回顧記事がある。ちなみにアップ・アンド・アンダーとは執拗なハイパント攻撃。

「アップ・アンド・アンダーに徹しきった」「見事な割り切り」。本人の一言は「FWは前にいくだけ。バックスはディフェンスラインを敷くだけの単純な戦法だった。しかし、単純な方が強い」(ラグビーマガジン、80年1月号)  

 やはり2022年の同志社大学は惜しかったのだ。 通りすがりのスポーツライターにはつかめぬ事情や運の有無はあっただろう。でも思う。いましばらく「見事な割り切り」を続けていたら「全敗」や「ここまで4連敗」はなかった。

 きたる11月4日。西京極のたけびしスタジアム京都。同志社は立命館大学とぶつかる。ともに未勝利の4敗、ラグビーはラグビーだから「這い上がるエネルギー」は侮れない。中立の観客の涙するような攻守に体を張る。決着がつけば部員も泣いた。それが再起のファイティングポーズだ。


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