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ラグビークラブの価値と未来。
5万6486人のファンが集まったリーグワン2023-24のファイナル。(撮影/松本かおり)

ラグビークラブの価値と未来。

谷口誠

 ラグビークラブの価値とは何だろう。

 選手が集い、プレーを楽しむ場所。応援してくれる人やOB、地域の人に喜びをもたらす存在。答えは様々ある。その中で、事業面からみた指標に「企業価値」がある。

 ある会社全体を経済的に測った価値のことを指し、企業を買収する際の1つの基準となる金額だ。計算の仕方は複数あるが、スポーツクラブの企業価値を算定する新たな手法がこのほど開発された。この方法に基づいてリーグワンのクラブの価値を計算してみよう。

 算定式を開発したのは、東京大学の木村正明特任教授である。ゴールドマン・サックス証券を経て、サッカーJリーグの専務理事を務めた経歴を持つ。Jリーグ2部(J2)のファジアーノ岡山のオーナーという顔もある。

 木村特任教授は、会計事務所が公表している欧州のサッカークラブの企業価値を取り上げ、クラブの収益や営業利益、スタジアムの保有状況など様々なデータとの関連性を分析。企業価値を導き出す2種類の式を見つけた。いずれも次の2種類のデータに定数を掛け、足し合わせるというものだ。

 ①「売上高」と「SNSのフォロワー数」
 ②「所属選手の市場価値の総額」と「SNSのフォロワー数」

 スペインの名門サッカークラブ、レアル・マドリードの場合は①の式で33億ユーロ(5000億円、1ユーロ=150円で換算)、②で35億ユーロとなった。実際の企業価値32億ユーロとかなり近い。

 J1で最高額の浦和レッズは、①の計算式で242億円、②で61億円だった。J1の平均値は①で141億円、②で37億円。2つの式の差が大きくなるのは、Jリーグに所属する選手の市場価値が低く評価されるためだという。

 算定式をラグビーに適用するときには課題がある。入手できるデータの制限だ。

 用いる3種類のデータのうち、確実に得られるのはSNSのフォロワー数だけ。「選手の市場価値」は、お手上げだ。サッカーの場合、複数の事業者が世界中の選手の値付けをしている。移籍がビッグビジネスになっている競技ならではで、ラグビーにはこうした数字は存在しない。

 日本の場合はクラブの売上高すら公表されていない。ただ、複数のクラブ幹部らの話を総合すると、リーグワン1部の平均額は20数億円。資金力のあるチームと下位では数億円の差があるようだ。

 ①の式で計算すると、1部の企業価値は50〜80億円強となる。平均では70億円弱となり、サッカーJ2の平均54億円は上回るが、J1の平均141億円のほぼ半分となる。海外のラグビークラブをみると、昨季の欧州王者、フランス・トップ14のトゥールーズが225億円で、リーグワン1部の約3倍だった。

 国内のサッカー、海外のラグビーと比べてリーグワンの企業価値が低いのは、算定に用いたデータ2種類の両方で大差をつけられているからだ。

 まずはSNSのフォロワー数。X、Instagram、Facebook、YouTube、Tiktokの合計数を比べると、リーグワンで首位の東京サントリーサンゴリアスが約14万人だった。2位には最近、数字を伸ばしているトヨタヴェルブリッツの13万5000人がつける。3位は、昨季準優勝の埼玉パナソニックワイルドナイツの11万4000人。初優勝した東芝ブレイブルーパス東京は6位の7万6000人だった。

 トゥールーズのフォロワーは173万人に達する。Jリーグで最多のセレッソ大阪も約160万人。両者と比べると、リーグワンは桁が1つ少ない。そもそものファンの数も違うが、各クラブのSNSの量や質にはまだまだ改善の余地がある。

 もう1つの指標、売上額もリーグワンはまだ小さい。トゥールーズの今季の予算は4900万ユーロ(74億円)と報じられる。リーグワン1部の平均の3倍以上。J1の昨季の平均も52億円でリーグワンの約2倍だった。

トゥールーズの街には、スタッド・トゥールーザン(仏・トップ14)のファンが集うパブがある。市民に求められているクラブ

◆日本ではクラブの価値の評価手法が確立されていない。


 9月に報道された論文は、Jリーグのクラブの幹部や、親会社のトップらから大きな反響があったという。企業価値の計算式にとどまらず、日本のスポーツ界共通の課題をあらわにしたからだ。

 木村特任教授は「日本ではクラブが本来の価値より低い価格で売買されている」と指摘する。過去のクラブの買収事例がその証拠だ。

 J1鹿島アントラーズの企業価値は①の算定式によると183億円。しかし、2019年にメルカリが日本製鉄(旧新日鉄住金)から経営権を取得したときの株式100%の総額は26億円だった。同じくJ1のFC東京も企業価値の158億円に対し、ミクシィが22年に買収したときの株の総額は23億円だ。

 今年9月のケースはさらに極端だった。レッドブルがNTT東日本からJ3大宮アルディージャの全株式を取得したが、金額は僅か3億円だったという。大宮の企業価値は78億円となっている。

 Jリーグのクラブは理論上の価値の4〜14%という低い金額で売買されていることになる。「欧米と違い、日本ではクラブの企業価値の評価手法が確立されていない」と木村特任教授。JリーグやバスケットボールBリーグでクラブの買収が増えたのは、ここ数年。売る側も買う側も取引に慣れておらず、帳簿上の純資産額などをもとに買収額を決めているため、金額が低くなる。

 日本の場合は「頼れる親」が買収額を抑えている面もある。

 選手数が多く試合数が少ないラグビーやサッカーは、野球やバスケットより稼ぎにくい。単純計算すれば、ラグビーは1試合あたりの平均観客数をバスケットの10倍以上集めなければ、選手に同じ給料を払えない。

 サッカーも事情は似ている。J1の多くのクラブは、年間十数億から数十億円という親会社の赤字補塡なしには経営が成り立たない。毎年のキャッシュフローに注目している限り、クラブの事業的な価値は低いまま、ということになる。

 日本と対照的な光景が繰り広げられているのが欧米のプロスポーツ界である。近年はオーナーの交代が増加。買収額も高騰し、同じクラブでも売買の度に金額が上がっている。背景には日本とは全く違う論理が存在する。

 クラブが黒字を出せば、株主は配当金を得ることができる。しかし、木村特任教授によると、欧米のオーナーは興味を示さない。金銭的なメリットを得るのは、クラブを売るときの「キャピタルゲイン」(売買差益)と考えているからだという。毎年赤字の補塡をしていても、クラブの売上高を伸ばしていずれ高く売れればハッピー、というわけだ。

 実際、今回の研究でも毎年の赤字、黒字の額は企業価値との関連性が薄かった。「クラブの企業価値を高めるには売上高が重要。IT業界のベンチャー企業と似ている」と木村特任教授は話す。

 もはや欧米のプロスポーツ界は入場料や放映権収入で選手の人件費を賄うという素朴なビジネスではない。高度に金融化された業界に変わりつつある。

2023年ワールドカップ後の府中。ブレイブルーパスとサンゴリアスの選手たちが参加した日本代表選手報告会には大勢のファンが詰めかけた。ラグビークラブの存在が世間に広く溶け込めば、各クラブの価値も高まる

◆キャピタルゲインで稼ぐ土台がない。


 木村特任教授が強調するのは、新たなルールに適応する必要性だ。「日本でもただオーナーが変わるだけでなく、赤字を許容してでも大規模な投資をして売上高を上げ、キャピタルゲインで稼ぐ考え方が浸透しないといけない」。

 20年前のJリーグは、イングランド・プレミアリーグと資金力で肩を並べていた。しかし、その後にクラブの収入規模の差は拡大。現在は10倍以上にまで開いている。国内の選手の流出も加速する。オーナー企業の考え方が変わらなければ、格差がさらに開く恐れがある。

 ラグビーの場合、リーグワンと海外の差はまだ小さい。キャピタルゲインを狙ったクラブの買収もほとんどない。しかし、今後はどうなるか分からない。

 既にリーグやラグビー協会に対しては、売却益目当てと思われるマネーの流入が増えている。米国のファンドはニュージーランド協会に出資。南アフリカ協会とも契約間近と報じられる。英国の民間資金は、シックスネーションズやイングランド1部プレミアシップに注入された。

 次にターゲットとなるのはクラブかもしれない。ひとたび欧州サッカーのような状況になれば、買収されたクラブの資金力は増大し、日本勢は太刀打ちできなくなる。サッカーの現状は、ラグビーの未来かもしれない。

 逆に、クラブのオーナー交代を促す発想を日本が先んじて取り入れる道もある。意欲的な企業が参入し、資金を投入すれば、リーグが目標に掲げる「世界最高峰」に近づく可能性がある。キャピタルゲインという「出口」の存在が認知されるようになれば、親会社がラグビークラブを持ち続ける正当性も担保されるのではないだろうか。

 問題は、そうなるための土台が今のリーグワンにないことだ。Jリーグのクラブは全て、独立した法人が運営する。一方、リーグワン1部の12チームのうち、法人化したのは東芝ブレイブルーパス東京、静岡ブルーレヴズ、浦安D-Rocksの3チームだけだ。企業の1チームのままでは、そもそも買収という手法が採れない。

 今月誕生したバレーボールのSVリーグは、既に半数以上が法人化。クラブ運営のプロ化へ好スタートを切った。リーグワンは法人化を義務付けることに消極的だが、代わりにどんな成長の道筋を描くのかを具体的に示す必要がある。

 ここまできて話を混ぜっ返すようだが、クラブの買収が増えるのはいいことばかりではない。スポーツビジネスの研究者の間では、サッカー界の金融化の最終形態では、中東や中国の資本が全ての有力クラブを保有する、という予想もある。

 売却益を狙う経営が行き過ぎれば、ファンや選手の幸福から乖離しそうだ。金銭に置き換えられないクラブの価値も、ますます見過ごされるだろう。さらなる大金を出せる「買い手」がいなくなったとき、赤字を出し続ける経営が是とされるのかも分からない。

 ただ事実として、ラグビー界にも金融資本主義の波はやってきている。そこにはチャンスの芽も、落とし穴も潜む。いずれ日本もいや応なく、向き合うことになる。

PROFILE◎谷口誠
たにぐち・まこと。日本経済新聞社編集局運動グループ、記者。1978年12月31日生まれ。滋賀県出身。膳所高校→京都大学。大学卒業後、日本経済新聞社へ。東京都庁や警察、東日本大震災などの取材を経て現部署勤務。ラグビー以外に、野球、サッカー、バスケットボールなども取材する。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で社会人修士課程修了。高校、大学時代のポジションはFL。

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