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トマ・ジョリーでよかった。
この夏、オリンピック、パラリンピックで開会式のセレモニー・ディレクターを務めたトマ・ジョリー。(Getty Images)

トマ・ジョリーでよかった。

福本美由紀


 7月26日のオリンピックの開会式に続いて、パラリンピックの開会式も史上初めてスタジアムを出て、パリの街中で行われた。どちらも革命的で、まさにフランスだと感じた。

 オリンピックでは、パリの中心部を流れるセーヌ川一帯がショーの舞台となった。選手を乗せた船の出発点となったオーステルリッツ橋上に花火で赤・白・青のフランス国旗を豪快に描いてスタートしたショーは、沿岸の歴史的建造物や橋、そして川上を舞台に、次から次へと驚くようなショーを披露し、期待をはるかに上回ってくれた。

「前衛的で魔法がかった、大衆的な開会式」とパリ市のHPで予告されていた通りだった。

 実は、少し不安だった。
 予算の問題、セキュリティーの問題などから、現地メディアの悲観的な報道が多かった。

 さらに、昨年のラグビーワールドカップの開会式のショーが不発だった。
 1950年代の町を舞台に、「フランス式のアール・ド・ヴィーヴル(Art de vivre)」、つまりフランス式の日々の暮らしを楽しむライフスタイルを表現しようとしたが、伝わらなかった。
「ナフタリンの匂いがするセピア色のポストカード」とフランス人からも批判された。小さな世界のノスタルジーに浸りすぎて、世界どころか同国民の共感も得られなかった。

 ところが、オリンピックの開会式は、調査会社ハリス・インタラクティブの世論調査によると、85%のフランス人が「成功だ」と答え、「フランス人としての誇りを感じた」と言う声が多く聞かれた。

「すべてのフランス人が、自分を感じられるフランスを表現することが重要だった。
 フランスパンとワインやアコーデオンだけじゃない」と芸術監督のトマ・ジョリー(42歳)は言う。

 そんな彼がフランスのエスプリとして上げるのが、「大胆さ」、「自由」、そして「多様性」だ。
「面白いことに、多様性を示すことによって、一体感を生み出すことができ、さらにフランス人としての誇りを感じてもらうことができた」

 ジョリーはすでにフランスの演劇界最高の賞であるモリエール賞を3度受賞している。演劇だけではなく、オペラやミュージカルでもすでに成功していた。

 2021年10月、オリンピックまで1000日の機会にレキップ紙が、「セーヌ川でのパリオリンピック開会式を演出するとしたら?」と3人のアーティストに自由に想像してもらった。
 そのうちの一人がジョリーだった。

「各国の選手団が山車のような乗り物でパリのあちこちからセーヌに到着する。その車は水陸両用で、セーヌに着くと船になり、そのままエッフェル塔までクルーズする。そしてみんながエッフェル塔に登ってそれぞれの国の国旗を立てたところで開会する」

「フランスの歴史上の大きな出来事を取り上げて、未来に向けて表現する。過去の栄光をショーにするのではなく、異なる文化、ジェンダー、言語、肌の色、宗教を持つそれぞれが社会の中で尊重し合う、そんな新しいヒューマニズムのショーにしたい」

パラリンピックの開会式。「どの身体も美しいということを見せたかった」。(Getty Images)

「フランス革命を取り上げるなら、歴代のフランス国王の首をセーヌの上で転がすのはどうだろう。地獄の底から僕たちを見に来たように、川から首が出てくるのもいい。そのためには俳優が濡れないように、水上の舞台と岸を繋ぐ密封された水中トンネルのようなものを作らなければ」

「フランスは熱気球を発明したのだから、選手団には熱気球でセーヌに降りてきてもらってはどうだろう」

「水に浮かぶキャンドルのように、聖火をセーヌに浮かべると美しいだろう。その聖火は大きくて、ロゴのような形をしていて、可動式でなければならない」などなど、壮大なアイデアが並んでいる。

 パリ2024組織委員会のティエリー・ルブール事務局長がこの記事を読んだが、「実現できない案ばかり」と取り合わず、彼らのダニー・ボイル(2012年のロンドンオリンピック開会式の芸術監督)を探し続けたが、なかなか見つからない。

 2022年5月、ルブール事務局長はジョリーに連絡し、パリのカフェで会うことになった。夕方から夜中の2時まで2人の会合は続いた。
「トマ・ジョリーこそ、規格外の式典を作り上げるために必要な人物だ」とルブール事務局長は確信した。

 その後すぐにジョリーはパリ2024組織委員会のトニー・エスタンゲ会長、パリ市のアンヌ・イダルゴ市長の面接を受け、IOCで50人ものメンバーを前にプレゼンし、最後にエマニュエル・マクロン大統領を説得し、同年9月、正式に芸術監督に就任した。
「大胆かつ私たちのビジョンに合った選択」とエスタンゲ会長は選考理由を述べた。

 アンジェ国立演劇センターの館長の職を辞し、オリンピック・パラリンピックの準備に取り掛かるため、歴史家、小説家、シナリオ作家、俳優とチームを結成した。予算とセキュリティーの問題で、彼の案の7割は却下された。
 少し不安になったが、初めてオペラやミュージカルに挑戦した時もそうだった。
「これが創作だ」
 ようやく案が固まり、今年の初めから模型や映像が上がってきた。

 そして前代未聞のショーが完成した。

 コンコルド広場で行われたパラリンピックの開会式は、6kmにわたりセーヌ川を舞台にしたオリンピックのショーと比べると、こじんまりとしていたかもしれない。その分、アスリートたちによりフォーカスできた。

「パラドックス(逆説)」と言うテーマを掲げたこのショーには、強いメッセージが込められていた。
「社会はインクルージョン(包摂)をうたっているが、まだ偏見が残っている。障害者の問題に光を当てて社会の目を、そして社会を変えたかった」

 舞台に登場した140人のダンサーのうち、16人が障害を持っていた。障害を隠さずにありのままの身体を見せることが大切だったとジョリーは言う。
「どの身体も美しいということを見せたかった。そして、彼らの身体を見ることによって『自分と異なるものを受け入れることができているのだろうか?』と考えさせられる。それができれば共生できる」

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