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【楕円球大言葉】ヘイ、これが私なんだ。
女子カナダ代表主将、オリビア・アップス。強烈なリーダーシップの持ち主。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】ヘイ、これが私なんだ。

藤島大


 パリのカナダ人に心をつかまれた。進行中のオリンピックである。

 男子柔道の73kg級、アルトゥール・マルゲリドン。結果として優勝を遂げるヒダヤト・ヘイダロフ(アゼルバイジャン)との準々決勝、延長の時計も進み、疲労困憊に決まっているのに、審判の「マテ」の声のたびにスッと起きて、ただちに構える。うまいこと休もうとしない。いまや世界の共通語である「Judoka」の気高さを、敗れて、なお端正に示した。

 そしてラグビーの女子7人制のカナダ。準々決勝で開催国のフランスを破り、準決勝の対オーストラリアは0-12の劣勢を21-12と引っくり返した。銀メダル獲得をこれで確かにして迎えたファイナルではニュージーランドとぶつかり、前半を12-7と先行するも最後は力尽きて12-19で散った。2日前のプール戦でも当たり、そこでのスコアは7-33なのだから惜敗すなわち進歩と結束の証明であった。

 数行前に「力尽きて」と記した。本当なのかはわからない。でも、そう書きたかった。開幕以来、尽きてよいほど活力を発散してきたからだ。

 率先したのは、もちろん、あのキャプテンである。オリビア・アップス。最初だけ髪のない頭が印象に残り、すぐに人間発電機のごとき活発な攻守のみが見る者の胸を支配した。

 やや猫背。大きなストライド。166㎝、70kgの体幹は樫の木のごとし。ひじから下のパワーに凄みがあって、きっと握力が強いので、接近しようが衝突しようが、しかと握られたボールは死なない。パスの質は繊細だ。しっかりつかむので柔らかく放れる。優れたプレースキッカーでもある。

 いま25歳。7歳のときに毛髪が抜け落ち、自己免疫疾患と診断された。最初はウィグを装着したが、ほどなくやめた。

「まだ7歳なのに、こう言い切るのは力強いことだと思いました。ヘイ、これが私なんだ。だれがどう思おうと気にしない」(トロント・スター)

 自分らしくある。それが生きること。ここのところの大義が揺るがないので、パリの大舞台の緊迫にも心身は乱れず、重圧はこの人をよけた。

 2022年、統括機関のワールドラグビーの映像で本人は語っている。

「美しくありたい、受け容れられたい、愛されたい、仲間でありたい。そのために特定の容姿である必要なんてない。そのことを若い女性に示す者たちがもっと求められている」 
 銀色のメダルは、そんな使命に照らせば、黄金よりもまぶしかった。

価値ある銀メダル。大きな拍手を浴びた女子カナダ代表。(撮影/松本かおり)

 カナダには女子ラグビーが根付いている。パリで銅メダルの米国(オーストラリアに劇的白星!)ともども1970年代に大学を礎に広まった。83年にはカルガリーで第1回西カナダ女子選手権が開かれている。

「女性解放運動の影響と男女平等法可決に刺激されて、カナダとアメリカ合衆国の女性たちがラグビーを始めた。(略)この二か国では男子ラグビーが軽視されていたために、女子はそれほど強い組織的偏見には出会わなかった」(『ラグビーの世界史』)

 ラグビーがメジャーでないので、じゃまする勢力も薄い。女がスクラムを組めるか。そうした保守派の保守したい対象がもろかった。

 リオデジャネイロのカナダ人を思い出す。2016年。同地の五輪において銅のメダルを首にさげた7人制代表の猛将、ジェン・キッシュである。全身20カ所にタトゥー。キックオフ前には芥子、マスタードですね、そいつを小袋ふたつ分、飲み込んでピッチへ飛び出す。かつて語った。

「フィジオセラピストかコンディション担当コーチに声をかけます。マスタード! 彼らはちゃんと用意してくれています」(カナディアン・プレス)

 なんでも「脚のけいれんを防止できる」そうだ。医学的根拠は定かではない。そういえばジェンの好きな動物は「ライオン」だった。なるほど百獣の王のほかに考えられない。

 現在のリーダー、オリビア・アップスも引けはとらない。なにしろクーガー、すなわちピューマと一戦を交えたのだ。アルゼンチン代表と試合をしたわけではない。本物の哺乳綱食肉目とのバトル。

 パリ五輪開幕の6週間前。アップスは、友人およびリードを外した複数の犬とともにブリティッシュ・コロンビアの雄大なストラスコーナ自然公園を歩いていた。なんとピューマがそこに出現する。熊よけスプレーで立ち向かい追い払うも、噛みつかれ、キャンベル・リバー病院までヘリコプターで搬送された。

 6月10日付の現地メディアの見出しは「クーガー、女性を噛み、犬を襲う」(CHEK news)。記事には「命に別条はない」とあって、かえってドキッとする。さいわい軽傷、ほどなくカナダ協会は「ラグビーのキャンプに復帰できた」と明かした。

 さてクーガーより素早いタックルは五輪会場のスタッド・ド・フランスにあったのか。たぶん、ない。どのみちオリビア・アップスは倒れたら、もう立っていた。「待て」は人生の語彙に存在しないのだ。

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