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ラグビーの多様性。
ポルトガルとのテストマッチでキャプテンを務めたサルマーン・モーラット(写真中央)。ナチュラルボーン・リーダー。(Getty Images)

ラグビーの多様性。

杉谷健一郎


◆Los Lobosの挑戦

 南アフリカ代表スプリングボックスにとって『本番』ともいえるザ・ラグビーチャンピオンシップを前に、最後の調整試合としてポルトガルとのテストマッチが7月20日、ブルームフォンテーンのフリーステイト・スタジアム(※現在はTOYOTA SOUTH AFRICA MOTORSとのスポンサーシップ契約によりトヨタ・スタジアム)で行われた。

 フリーステイト・スタジアム、オールドファンには聞き覚えがあるかもしれない。1995年のラグビーワールドカップで日本代表がオールブラックスに17-145という記録的大敗を喫した『ブルームフォンテーンの悪夢』の舞台になった場所だ。

 また、ブルームフォンテーンはラッシー・エラスムスHCにとっては第二の故郷である。彼はフリーステート大学、そして現役時代のほとんどをチーターズでプレー、引退後はコーチも務め、18年間ブルームフォンテーンで暮らした。

 そして今回、彼曰く『特別な場所』で、ポルトガルとの初顔合わせの一戦である。エラスムスHCは試合前にメディアを通じて、「ポルトガルは前回ワールドカップでフィジーに勝利し、その強さを証明した。彼らはタフな相手だ。ポルトガルを軽く見るべきではない」と自らを、そして選手たちを戒めた。

 ポルトガルは現在、ワールドラグビー・ランキングの15位と、実は14位の日本に肉薄している。その日本代表には2021年ホームで25-31と惜敗しているが、昨年のワールドカップではプールステージ(プールC)でジョージアと引き分け、そしてフィジーには24-23で勝利した。

 またエラスムスHCはアイルランドのテストマッチ最終戦終了後、先方のロッカールームに挨拶にいったところ、コーチ陣から、非公式ではあるがアイルランドがワールドカップ前の練習試合でポルトガルに敗れたという事実を伝えられ、「ポルトガルを見くびってはいけない」と忠告を受けたという。
 ポルトガル代表の愛称はLos Lobos、ポルトガル語で狼の意味だ。スプリングボックスという大きな獲物に、どこまで喰らいつくことができるのか注目された。

 エラスムスHCはアイルランド戦に出場した先発メンバーから14番のカートリー・アレンザを除く14名を入れ替えた。先発に3名、ボムスコッドに4名の初キャップ組が入った。この他にも先発メンバーには20キャップ以下の若手選手が7名起用された。
 これらの代表経験の浅い選手たちに加えて、ルカニョ・アム、コーバス・ライナー、マカゾレ・マピンピなど、アイルランドとのテストシリーズに出場機会がなかったベテラン組も要所に配置された。

「これはBチームではない」エラスムスHCは試合前に記者に聞かれた質問に強く否定した。また「例えば先週のアイルランド戦にこのメンバーが出場しても互角の戦いができただろう」とメンバーのレベルを決して落としていないと主張した。

 エラスムスHCはザ・ラグビーチャンピオンシップや2027年ワールドカップを見据えてということではなく、主力選手の高齢化、ケガやレッドカードによるアクシデントに備えて選手層をさらに厚くしたいと考えている。
 したがって、「この対戦は様々なケースを想定し、チームの戦力を試すためのものである」と説明した。

 試合はスプリングボックスにとっては最悪の幕開きとなった。
 まず開始2分に宗像サニックスブルースでも活躍していた大型CTBアンドレ・エスターハイゼンが危険なタックルでファウル・プレー・レビュー・オフィシャル(バンカーシステム)となり、その後レッドの判定を受け退場となった。
 スプリングボックスは残りの78分を14人で戦うことになった。

 そして、その判定(レッドカード)が下される直前、スプリングボックスはゴール前まで攻め込んだものの、ハンドリングミスからポルトガルにボールを手渡してしまった。その後、ポルトガルの俊足BK陣にボールをつながれる。
 合計95メートルを走るトライを奪われた。

 しかし、そこでスプリングボックスに火がついた。それ以降、数的不利にもかかわらず、フォワードはフィジカリティの差を利用してモールを押し込み、バックスは相手ディフェンスのギャップをつき縦横無尽に走りまくった。
結果、スプリングボックスは10トライの猛攻で64-21と大勝した。

 マピンピがハットトリックを、そして初キャップの4名がトライを記録し、エラスムスHCも「チームのパフォーマンスには全体的に満足している。ただ我々は自分たちの規律を見直す必要がある」と語った。
 この試合ではエスターハイゼンのレッドカードに加えて、2枚のイエローカードがスプリングボックスに提示された。

◆女性レフリーとイスラム教


 個人的にこの試合でラグビーの多様性を感じたことが2つある。
 一つはこの試合ではスコットランド人の女性レフリー、ホリー・ダビッドソンが笛を吹いた。女性がスプリングボックスのテストマッチのレフリーを務めたのは133年の歴史において初めてのことだった。
 終始、毅然とした態度で試合をコントロールしており、彼女のレフリングは両チームからも概ね好評だった。

 ダビッドソンがレフリーを務めたことは海外メディアには意外にも大きくは取り上げられなかった。すでにスーパーラグビーなどでは女性レフリーが活躍しており、目新しさがなかったからだろう。
 日本でも女性レフリーは増えているようだが、トップレベルで笛を吹ける人はまだまだ少ない。日本も早く海外のように女性レフリーだからといって特に注目されることがない状況になってほしいと願う。

着実に力を蓄え、南アフリカ×ポルトガルのレフリーを務めたホリー・ダビッドソン氏。スコットランド協会所属の31歳。写真はユナイテッド・ラグビーチャンピオンシップ時のもの。(Getty Images)

 もう一つはこの試合でスプリングボックス第66代目のキャプテンに指名されたサルマーン・モーラットのことである。
 日本での知名度が低いのでまずモーラットの紹介をする。
 身長200センチ、体重116キロの巨漢ロックで生まれも育ちもウェスタン・ケープ州。地元ストーマーズで育成された選手だ。

 現在26歳。代表キャップは4にとどまる。スプリングボックスのロック陣はエベン・エツベス、フランコ・モスタート、RG・スナイマン等、多士済々で層が厚いため、なかなかそこに入り込めないでいる。
 しかし、所属するストーマーズではユナイテッドラグビーチャンピオンシップにおいて、主戦力として2022及び2024年の決勝トーナメント進出の原動力となっている(※2023年はケガのため大部分の試合を欠場)。

 またモーラットは、これまでSAスクール、ジュニア・スプリングボックスなどの年代別代表チーム、そして現在はストーマーズでもキャプテンを務めており、いわゆるナチュラルボーン・リーダーである。
 エラスムスHCも次代を担うポスト シヤ・コリシの候補と期待しての今回の起用である。

 前置きが長くなったが、モーラットのプロフィールで目をひくのは、彼がスプリングボックスのキャプテンとしては初めてのイスラム教徒だということだ。
 南アフリカでもイスラム教は宗教全体の1.7パーセント(Community Survey 2016)を占めるだけ。かなりの少数派だ。

 しかし、彼の出身地であるウェスタン・ケープ州には国内最大のイスラム教徒(ムスリム)コミュニティがある。これまでムスリムでスプリングボックスに登り詰めたニザーム・カー(現ブルズ)とウザイア・カセム(現アヴィロン・バイヨネ)の2人も、ケープタウンやその近郊の街の出身だ。

 南アフリカの選手以外でも元オールブラックスのソニー・ビル・ウィリアムズが2008年に救いを求めてイスラム教に改宗したのは有名な話だ。他にも現役オールブラックスの巨漢プロップ、オファ・トゥウンガファシも2019年にイスラム教に改宗している。

 極めてプライベートなことでもあるので、彼らのようなスター選手でないと、信仰している宗教を問われることはまずないだろう。
 しかし、各国のプロラグビー選手の中でもムスリムの選手は確実に存在し、また増える傾向にある。

 ラグビーにおいてあまり宗教が話題になることはない。それはラグビー強豪国をはじめ、ラグビーがスポーツとして認識されている国々のほとんどはキリスト教徒がマジョリティを占めており、ラグビーをするにあたり宗教が何の障害にもならないからだろう。

 実際、ワールドラグビーのランキング上位20位内の国をみると日本以外は、プロテスタントとカトリックの違いはあるが、キリスト教徒が全人口の中で大きな割合を占めている。
 つまりイギリスで生まれ、世界中のキリスト教徒が多い国に拡がったラグビーは、その形成の過程で、当然キリスト教徒にとり不便かつ不都合なルールや習慣は取り入れられることはなかったし、あっても排除されてきたと考えられる。

 たまたま日本は何の宗教も信仰していないという人が62パーセントも占める国(2018年、NHKの「宗教」に関する世論調査より)であり、もちろん、仏教や神道を信仰している人は多いが、仏教系の大学がラグビーに力を入れているぐらいで、ラグビーは何の問題もなく受け入れられている。

 しかし、モーラットが信仰するイスラム教はラグビーをするにあたり不都合なことが多いように思える。

◆日本ラグビーにも求められる、多様性への対応


 まず大前提としてイスラム教信者であっても人により敬虔度は異なるし、イスラム教徒が多い国でもアジアのような比較的緩めのイスラム教もあれば、中近東のように国を挙げて戒律を国民に守らせるところもある。一概にイスラム教だからこうだとは言えないということはリマインドしておきたい。

 イスラム教といえば、まず信仰を行動で示す『五行』と呼ばれる信仰的義務がある。
 信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼である。この中でラグビーをするにあたり問題になるのは礼拝と断食だろう。

 礼拝は1日5回、特定の時間にメッカの方角に向かいおこなわなければならない。人によっては時間にはこだわらず1日5回すればよいという人もいれば、決められた時間を守り礼拝しなければ気が済まないという人もいる。

 先述のカーは現在、所属するブルズが「自分の礼拝の時間を考慮し練習時間を調整してくれていることに感謝している」とインタビューで答えている。
 敬虔な信者は例え飛行機の中でも決められた時間に礼拝を始める人がいる。ムスリム選手を抱えるチームはブルズのように礼拝時間に配慮し練習計画を立てる必要がある。

 断食はラグビーだけではなくスポーツをする際に大きな障壁になるだろう。イスラム教のラマダンと呼ばれる断食月1か月(今年は3月10日から4月8日まで)は日の出から日没まで飲食が禁じられる。
 つまり、日の出前と日没後にだけ飲食が許される。また飲食だけではなくすべての人間の欲望を断つことにより、自身を清めてイスラム教の信仰心を強めるという目的がある。

 断食も人や国により取り組み方の強弱はあるが、基本的に日中は飲食ができないためスポーツを行うには難しい状況になる。
ただし、断食を実施することが難しい人、例えば肉体労働者や妊婦、高齢者、重病人などは免除や時期の振り替えが認められており、スポーツ選手も免除の対象になる可能性はある。
 一般的にはスポーツ選手でもよほどの重要な試合等がある場合を除いては、本人の意思により断食を決行することが多い。

 筆者はこれまでイスラム教を国教とする数か国で仕事をしてきた。その際、それぞれの国のラグビー選手にラマダン中、試合や練習はどうしているのかという質問をしたことがある。
 回答としては、まずラマダン中に試合がおこなわれることはなく、練習に関しては草の根レベルでは練習も中止、ある程度の競技レベルの選手も練習の負荷を軽減するか、練習の回数を減らすという措置を取るとのことだった。

 いずれにせよ断食のルールを厳格に守ると空腹を水で満たすこともできない。スポーツの中でも走る距離が長く、コンタクトプレーもあるラグビーは、発汗量やエネルギー消費量が多い。
 ラマダン期間中においては、特別な練習メニューにせざるを得ないだろう。

 この他にも、イスラム教の飲食に関する決まりとして豚肉とアルコールが禁止されているのはよく知られている。豚肉は置いておいても、アルコールがNGというのはアフターファンクションで杯を酌み交わす習慣があるラグビー文化とは合わない。

 また敬虔なイスラム教徒は服装にもこだわり、男女とも衣服は体を覆うことが好ましいとされている。
 つまり露出部分は極力減らさなければならない。ラグビーの場合、半そで、短パンというスタイルが定番なので、ここでもイスラム教徒はかなりの妥協が必要となる。

 さらに女性は、本来、顔全体を隠さなければならない。最近、イスラム教徒の女性ラグビー選手がヒジャブという頭髪を隠すスカーフを被って試合をしている姿をたまに見る。戒律が厳しい国では目以外を隠すニカーブやブルカの着用が奨励されている国もあり、それらを被ってラグビーはできない。

 今回、イスラム教にこだわったのは、これから日本のラグビーも多様性に対応していく必要があるからだ。今後、日本に外国人選手がますます増えてくる。その中にイスラム教や日本人には馴染みのない宗教を信仰する選手が含まれることも増えてくるだろう。

 彼らを受け入れるチームや関係者は、彼らがさまざまな障壁と対峙しながら信仰とラグビーを両立させている現実を理解し、少しでもラグビーがやりやすい環境を整えるべくサポートしなければならない。
 そうすることで、そのチームが、ひいては日本ラグビーが大きな進化を遂げることになる。

 今回はたまたま宗教を取り上げたが、多様性とはそれ以外にも各個人がもつ性別、人種、国籍、SOGI(性的指向・性自認)、信条、価値観などの属性の違いを認め尊重し合うことである。
 また、チームや組織などで多様な人材を受け入れ、異なった能力や考えを融合することで、個人や組織の競争力が高まる。つまり多様性が人と組織を強くするのである。スプリングボックスがそれを証明している。

【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了。立命館大学経営学部卒。著書に「ラグビーと南アフリカ」(ベースボール・マガジン社)などがある。

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