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小さいけれど、私の中で大きな「9」。
涙もろくて熱い人。多くの人たちに影響を与えてきた田中史朗。(撮影/松本かおり)

小さいけれど、私の中で大きな「9」。

中矢健太


 6月22日、国立競技場で行われた日本×イングランド。昨年のW杯以来の代表戦だった。
 千駄ヶ谷からスタジアムに入るまで、視界はジャパンのジャージを着たファンで埋め尽くされていた。

 15年前、こんな景色は想像できなかった。

 当時の私は、兵庫県の芦屋ラグビースクールに通うラグビー少年だった。内気で泣き虫な性格だったが、知り合いに誘われて初めてグラウンドに行ったとき、みんなが拍手で迎えてくれた。それが嬉しくて、翌週もなんとなくグラウンドに行った。

 その時は、まだリーグワンの前身、トップリーグの時代。平均観客動員数は3000~4000人前後を上下するくらいで、ラグビーの認知、集客に苦しんでいた時代だった。代表戦でも、例えば2010年11月ロシア戦の観客数は、晴天で6274人。1万人にも満たない時代だった。そんな最中で、私はラグビーを始めた。

 今でも覚えていることがある。

 小学生の頃、神戸の御崎公園球技場にトップリーグの試合を見にいった。対戦カードは三洋電機と神戸製鋼。三洋電機には、日本代表選手が多く所属していた。
 試合後、私はサインをもらうためにスタンドの一番前まで降りた。

 クールダウンを終えた三洋電機の選手たちは、アウェーにもかかわらずピッチサイドに残ってサインを書き、写真撮影に応じていた。
 15分も経つと、だんだんと多くの選手はロッカールームに引き上げていく。その中で1人だけ、ずっと残っている選手がいた。

「一緒に写真撮ってください」
 そう言うと、スタンドに上がってきてくれた。
 そんなことは滅多にないから驚いた。横に並ぶと、想像以上に小柄だった。あんなに大きな人たちと一歩も引かずにやり合うなんて、この人はすごいなぁ。

 そして、メインスタンドでのサインや撮影を終えると、今度はバックスタンドのファンからの呼びかけに応じ、対岸へ駆けていった。

 80分、身体を張った直後。きっと身も心も疲れていただろう。その後、チームスタッフから早くバスに乗るよう急かされていたはずだ。シャワーを浴びる間もなく着替えていたのだろう。

 実家には、その時にもらったサインが今でも残っている。
「田中ふみ」。
 私にとって何にも変えがたい宝物だった。

 先日、39歳で引退を表明した田中史朗。当時は24歳か25歳だった。
 その後、日本代表75キャップを獲得し、日本人として初めてスーパーラグビーの門を開いた。そこで優勝を体験した選手にもなった。
 2015年のW杯で南アフリカを撃破した試合では、マンオブザマッチに選出された。

 一方で、2011年のW杯では1勝も挙げることができなかった。
 自著「負けるぐらいなら嫌われる」では、当時のことを「ファンに対して『申し訳ない』としか言いようがなかった」と語っている。

 サンウルブズでは、何千キロ、時には1万キロ以上離れた遠征先の試合でコテンパンにされることも少なくなかった。遠征時のディナーがハンバーガー1個だったこともあったという。
 苦境を一つずつ乗り超えたことの積み重ねは、間違いなく今日のラグビーに繋がっている。

 決して私は優れた選手ではなかったし、ラグビーを始めた頃は練習が苦手だった。それでも、その距離で憧れに会えたことが、ラグビーを続けられた理由の一つになっていた。

 その後、私は大学までラグビーを続けた。ラグビー部が強い大学ではなかったが、強豪校の出身者から初心者、時にはフランスやアメリカから来た留学生と一緒にチームを作り上げたのは、人生観に大きな影響を与えた。今でも、母校にはコーチとして関わっている。卒業後は在阪テレビ局に入社し、幸運にも高校ラグビーの現場中継に少し携わることができた。

 今や、ラグビーは人生に欠かせないものになった。こうして書き手としてラグビーに関わり続けているなんて、小学生の頃は想像もしていなかった。

 ラグビーは、人生で大切なことを教えてくれる。一生懸命にやっていれば、導いてくれる。そう分かったのは、幼いときに憧れと出会ってラグビーを続けられたからだ。
 そうやって選手に巡り会える機会を今の子どもたちに創ることができていれば、5年後、10年後のラグビーに繋がっていくだろう。

【プロフィール】
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。4年2か月の在阪テレビ局での勤務を経て、現在は履正社国際医療スポーツ専門学校・外国語学科に通いながら、執筆活動と上智大学ラグビー部のコーチを務める。一人旅が趣味で、最近は野村訓市のラジオ『TRAVELLING WITHOUT MOVING』(J-WAVE)を聴きながら、次の旅先を考え中。



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