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なにもかも人生の糧。髙野恭二[日野レッドドルフィンズ]
1996年10月25日生まれの28歳。174センチ、84キロ。鞘ヶ谷ラグビースクール→東福岡高校→青山学院大学→宗像サニックスブルース→ルリーロ福岡→日野レッドドルフィンズ。写真は3月23日のグリーンロケッツ戦。(撮影/松本かおり)
2025.03.27
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なにもかも人生の糧。髙野恭二[日野レッドドルフィンズ]

田村一博

 ブルーと白のジャージーを着たのは2019年春からの3シーズン。2022年度は鳥のエンブレムを胸につけた。
 そして2023年度からは、赤いジャージー+イルカのエンブレムで芝の上を駆けている。

 青山学院大を卒業してから6年が経ち、髙野恭二はいま、3つ目のクラブでプレーしている。
 宗像サニックスブルース、ルリーロ福岡を経て、日野レッドドルフィンズでのプレーは2024-25シーズンが2季目となる。今季、開幕からの全9試合に出場している。

 3月23日に群馬・太田でおこなわれたNECグリーンロケッツ東葛戦(リーグワン/ディビジョン2)ではゲームキャプテンを務めた。
 6人いるバイスキャプテンのひとりである髙野にこの試合を任せた理由を苑田右二ヘッドコーチは、「いいキャラクターで、明るいし、ポジティブ。チームをいい方向に導いてくれると思っています。練習への取り組みも素晴らしいので、その姿を見ている選手たちはサポートしてくれるはずです」と話す。

 そのグリーンロケッツ戦、髙野はいつものように背番号15をつけてピッチに立った。
 チームが立ち上がりに見せた集中力は素晴らしかった。前半8分にはスクラムからの仕掛けをきっかけにトライを挙げ、前半を14-19と粘った。髙野自身も積極的にボールタッチし、最後尾からよく声を出し続けた。

今季は開幕からの9戦すべてにFBで先発し、全試合80分プレーしている。写真は3月23日のグリーンロケッツ戦。(撮影/松本かおり)


 しかし後半は、相手のプレッシャーと強い風を受けてハンドリングエラ―が目立った。4トライの追加を許し、大きく差をつけられて敗れた。

 髙野はこの試合でも80分ピッチに立った。今季は出場した9戦すべて、フルタイマーとしてプレーしている。昨季も今季も怪我なく過ごせている。
 28歳になった。しかし、「自分に若いと言い聞かせてやっています」と笑う。

 毎日19時過ぎまでには夕食を終え(揚げ物は控える)、消化の時間を考慮し、22時半までには就寝する。
 朝は6時には起床。八王子の温泉施設に行ってリラックスすることもある。

 現在は社員選手としてラグビーと仕事の両方に全力で取り組む。
「こんな人生を歩むとは思ってもいませんでした」
 東福岡高校時代は日本一となり、大学時代は主将を務めた。卒業後は故郷の福岡に戻り、ブルースで、プロ選手としてやれるところまでやろうと考えていた。

 しかし、3シーズン所属したところでブルースは休部となる。新天地を探し、複数のチームにアプローチした結果、声をかけてくれたところもあった。
 リーグワンでプレーを続けたかったがルリーロ福岡(当時トップキュウシュウ)に所属することになったのは、条件面などで折り合わなかったからだ。
 ルリーロではワインを作る会社に勤務し、葡萄の仕入れなどをおこないながら夜に練習を積んだ。

 思い描いていたようなベストの環境ではなかったが、常に全力でプレーしていたら、その姿を見てくれている人がいた。
 レッドドルフィンズ関係者の目に止まる。2023年から人事部で働きながら楕円球を追っている。

 仕事とラグビーを両輪とした生活は、慣れるまできつかった。しかしチームメートには社員選手も多くいる。その中で弱音を吐くわけにはいかない。
「日野はチャンスを与えてくれた。このチームに貢献したい。みんなと一緒に強くなっていきたい」気持ちが、自分を走らせるエナジーとなっている。

 人生を振り返るにはまだ早いけれど、休部を経験したこと、ワインの会社での勤務と、すべてのことが現在の自分を支えていると言う。
「人間的に成長させてもらえたし、なにもかも人生の糧となっています。若い頃は、ただガムシャラでした。でも、いまは周りを見られるようになったし、気に掛けられるようになっています」
 人の縁に恵まれていてしあわせだ。

座右の銘は「Take It Easy」。(撮影/松本かおり)


 レッドドルフィンズの魅力を、選手、スタッフを問わず、「それぞれの人との距離感が近いところ」と言う。
 現在チームは2勝6敗1引き分けの7位(全8チーム)と苦しんでいるが、残りの試合に全力を尽くす。グリーンロケッツ戦の後半37分に全員で動き、攻め切ったトライについて、「あれが自分たちのスタイル」と話し、次戦以降につながると前を向いた。

 高校王者として栄光を得た(3年時の花園での決勝は御所実に57-5)日々から、毎年敗戦の数の方が多い大学に入り、そこで主将を任された。
「最初は負けを受け入れることが難しかった」という大学時代の逡巡について、以前、こう話したことがある。

「最初は、自己中心的な考えがあったと思います。でも、自分が、自分が、ではうまくいかなかった。それまでの考えがぶち壊された。当たり前ですが、周囲の意見をひとつにまとめることの大切さを学びました」
 結果、「大学でも仲間に恵まれたな、と思うようになりました」と、晴々とした気持ちで卒業できた。

 負けることには決して慣れない。それはレッドドルフィンズでも同じことだ。
 背番号15はチームが勝つため、いつも最後尾からみんなが一緒に動けるように声を出し続ける。





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