![台湾の若者たちへ。鄭兆毅[豊田自動織機シャトルズ愛知]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/03/KM3_2956_2.jpg)
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リーチ マイケルとエドワード・カーク。それぞれ、リーグワンのディビジョン1とディビジョン3のタックル成功数で、今季ここまでリーグトップを走る選手たちだ。
日本代表として国際舞台でも活躍を続けるリーチと、サンウルブズ(スーパーラグビー)のオリジナルメンバーとして2016年シーズンに来日して以来、ハードワーカーとして愛されるカーク。そんな2人と同じ分野で、ディビジョン2のトップに立っている。
豊田自動織機シャトルズ愛知でフランカーとして活躍する鄭兆毅(てい・ちょうぎ/185センチ、105キロ)は、今季開幕からの全7試合にすべて先発。そのうち6試合は80分ピッチに立ち続けている。
その間にタックル成功は100回。ディビジョン2でナンバーワンの数。首位を走るチームへの貢献度は高い。
鄭は昨季(2023-24シーズン)の途中に天理大からアーリーエントリーで加入。今季が実質的なルーキーイヤーと言っていい。
前シーズンも1試合の出場機会を得ている。「自分のプレーに自信はなかった」と振り返る。
成長したい意欲とトップチームのコーチングを受けて、オフシーズンに力を伸ばした。ベーシックなことを繰り返した。そして、コーチの言葉に耳を傾け、自分に求められているものが何かを理解した。素直さが奏功した。
首脳陣から、「試合の流れを変えるプレーをしてほしい」と求められた。タックル、ディフェンスが自分の強みだ。プレシーズンマッチでもそこに注力した。
「その時期に成長できた手応えはあります。まだまだ成長しないといけないところはありますが、チームが私のプレーを信じてくれているのが嬉しいです」

7戦を終えて6勝1敗で首位。好調に走るシャトルズだから、どの試合でも相手より攻撃時間が長いと想像がつく。
実際、得点、トライ数はディビジョン2の8チームの中で最多。トライ数やボールキャリー、ラインブレイクの個人スタッツでも、同チームの選手たちが何人もランキングに顔を出している。
攻める時間が長いチームの中で、リーグトップのタックル成功数を記録しているのだから、鄭のハードワークぶりが分かる。例えば開幕戦の花園近鉄ライナーズ戦(24-20)では20回を大きく超えるタックルを決め、試合後にチームメートから「エグかったな」と声をかけられた。
「タックルしても、すぐに立ち上がる。それしか考えていません」と、技術的に特別なものはないと話す。「できるだけ前に出て止めたいのですが、そうするだけでなく、状況によっては、ウェイティングして守っています」と話す判断力も安定したパフォーマンスを支えているのかもしれない。
天理大時代、全体練習後に先輩や同期と練習を積んだ。向上心は尽きない。シャトルズでも、周囲の外国人選手たちにいろんなことを教わる。
しかし、「まだうまくスキルを使えない」と話す。
「天理でもシャトルズでも、周りにいいアタッカーがたくさんいたので攻撃面を任せがちにはなっていました。でも、やはり15人全員で攻めた方がいい。なので、もっとボールに絡んでいこうとは思っています。アタック役は他の選手、自分はディフェンス役と、そんなふうに決めてはいけないですね」
バスケットボール好きだった少年がラグビーを始めたのは、台湾の正徳中に入学した時だった。同中学にはラグビー部、柔道部とレスリング部しかなかった。
体育を教えてくれる先生がラグビー部のコーチだった。体の大きさを見込まれて誘われ、一度練習に参加。その結果、競技の楽しさに触れて入部を決めた。
中学卒業後はラグビー部のある新北市にある竹圍(たけい)高校に進学した。
中学時代のラグビー部も、高校ラグビー部も、夏に日本へ。天理で合宿をおこなっていたからこの国には親しみを感じていた。
台湾師範大学に進学し、将来は学校の先生かラグビーコーチとなり、母国で競技普及に力を注ごうと思っていた。
そんな少年が日本を目指すことにしたのは、天理で合宿していた高校時代、日本の指導者に「きみは大きいし、頑張ってみたらいいのに」と声をかけられたことがきっかけだった。
その言葉が頭に残ったからチームの李建霖(リ・チェンリン)コーチに話すと、留学の費用やラグビー部での活動や合宿にかかる費用などを尋ねてくれた。そして、夢を実現させるには奨学金を利用する手もあるとアドバイスもくれた。背中を押してくれた。

李コーチを「恩人」と呼び、いまも連絡を取り合う。チャンスがあること。そして、それをつかむ方法まで提案してくれたからいまがある。
将来、自分も台湾のラグビーを愛する若者たちに、自分の経験や歩んできた道をシェアしたい。そう思うのは、自分も人に導かれたからだ。
試合間隔が開いた2月、台湾に戻った。家族、友人、お世話になった方々が喜んでくれた。後輩のもとを訪ね、いろんなことを伝えた。
「将来、もっといい選手になって、日本代表にもなりたい。そうすれば、もっといろんなことをシェアできると思います」
天理大時代は副将を務めた。自分ではうまく話せないと思っていたし、喋ることも得意とはいえなかったからあまりリーダーシップを発揮できずにいたら、同期の仲間たちが「大丈夫。上手だよ」と言ってくれたから勇気が出た。
「最初は恥ずかしかったけど、みんなが間違っていても聞いてくれたから嬉しかった。いい経験になりました」と微笑む。
そんな話ひとつでも、台湾の若者が聞けばきっと勇気づけられる。そう考えて行動を続けていくつもりでいる。
現在台湾出身のリーグワン選手は、静岡ブルーレヴズの郭玟慶(プロップ)と鄭の2人だけ。
「台湾にいる頃、将来の自分がここにいて、日本語を話し、ラグビーをしているなんて、想像もしていませんでした。いまの台湾の高校生たちも同じでしょう」
自分の姿を見て、話を聞いて、「チャレンジしたいと思えば、誰にでもチャンスはある」のだと知ってほしい。
国境や言葉の壁があろうと、生き方に制限はない。