![再び青いジャージにつつまれて。高田和輝[横河武蔵野アトラスターズ]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/02/aba1dd9afd994bc383f5259806be7bb4.jpg)
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リーグワン創設後4季目の開幕から約2か月。国内シーンが盛り上がっている中で社会人ラグビー(トップイースト)にも日本のラグビーを盛り上げている選手の熱い物語が存在する。
2024年4月4日、横河武蔵野アトラスターズの高田和輝(たかだ・かずき)は現役復帰を果たした。
多くのことを犠牲にするのは承知の上での復帰だった。
業務優先、フルタイムで働きながら活動するチーム状況も含め簡単な決断ではなかった。
2014年に入団。8シーズンもの間、プロップ(主に3番)として戦い続けた。
167センチ、104キロの小兵力士のような体格を活かし、低いスクラムでFWを前に出してきた。出場試合数は66。在籍時のチーム最高成績は2019年のトップイーストリーグ2位だった。
明大中野中1年時にラグビーを始め、明大中野高→帝京大を経て横河武蔵野に入団した。
大学時代の同級生には東京サントリーサンゴリアスで活躍する中村亮土がいる。いま33歳。

2022年シーズンで現役選手を引退し、2023年シーズンからスクラムコーチとしてチームに残った。
そのシーズン横河武蔵野は開幕2連勝後に6連敗。入替戦でも敗れた。Bグループ降格となった。しかし、セコム(現 狭山セコムラガッツ)とヤクルト(現 ヤクルトレビンズ戸田)のリーグワン昇格が決まる。Aグループ残留となった。
「自分の経験を伝えて選手が育っていく事が嬉しかった、けど、勝てなかったから悔しい1年だった」
責任を感じた。入替戦敗北後、コーチをやめようと考えた。
しかし、同期入団のPR古澤陸や昔の戦友から思わぬ誘いを受けた。現役への復帰提案だった。
「家庭や仕事もあるから、最後に、もう一度(だけ)このチーム、このメンバーでやりたい」
そんな気持ちが湧いた。そして、家族とも相談し現役復帰を決意した。
2024年4月4日、選手として再びグラウンドに戻った。
分かっていたことではあるが、グラウンドで戦うことは簡単ではなかった。
スクラムコーチをしていたとはいえ、現役を引退して一般的なサラリーマンの食事や生活をしていた体は思うように動かない。度重なる怪我によりチームが求めていることに応えられていない日々が続いた。

「選手としては無理なのかなって思う事もあった。でも、選手をやると決めたのは自分。もう一回グラウンドに立ちたい」
チームスポーツにおいて怪我でプレーできない状況に陥った際、チームや競技から離れてしまうか、チームのために少しでもコミットするか。その2択に分かれることが多い。高田は後者だ。
自身のトレーニングをしつつ、今までの経験を若い選手に伝えた。チームにコミットし続けた。
焦る気持ちを消し、リハビリを継続した。
スクラム職人は若手へ、「焦って、バインドのコールで前のめりになりすぎない(ように)」とアドバイスする。
それはリハビリでも同じ。心は熱く頭は冷静、を実践した。
2024年シーズンの横河武蔵野は開幕戦勝利後、2連敗した。
4戦目の10月20日、 日立SUN NEXUS茨城との試合で高田は、青いジャージを着て途中出場を果たした。2年ぶりの公式戦だった。
後半23分、10-17と7点ビハインドの場面で3番の山本渓太に代わってピッチに入る。ブレイクダウンでプレッシャーをかけ続けた。

結果は10-20。チームはシーソーゲームを落とす。高田は劣勢だったスクラムでも応戦した。
しかし、本人は満足しない。
「グラウンドに戻ってこられて嬉しい気持ちはあったけど、久しぶりに味わった悔しい気持ちのほうが大きい」
チームはその後も連敗し、リーグ最終戦で1勝をもぎ取るも、その後の入替戦で敗れる。またもやBグループ降格となった。
負けたくない気持ちがなくなったら終わりと口にする。
グラウンドで得られる高揚感。勝つか負けるか、手に汗握る感覚。それを直に感じられる唯一無二の存在が現役プレーヤーだ。
その気持ちは明大中野中、明大中野高や帝京大の時と変わらない。年齢も関係ない。
朴訥。内に熱さを秘める。飾らない謙虚な性格も、「チームが勝てばなんでもいい」と勝利にはどん欲。
高田のポジションは『チームマン』としてもいい。
