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「フェニックス最高です」と3連覇を喜んだキャプテン佐藤優奈、次は世界での勝利を。
歓喜の涙を流した佐藤優奈主将。サクラセブンズが1月にパースでおこなわれた『HSBC SVNS』で5位となったことを受け、「戦い方次第で日本も戦えると、刺激になりました。私たちも」と話した。(撮影/松本かおり)

「フェニックス最高です」と3連覇を喜んだキャプテン佐藤優奈、次は世界での勝利を。

田村一博

 3連覇。
 文字にすればたった3文字も、そこに詰まっている努力と熱、関わった人の数はとても多い。
 3年続けて日本一になろうと、毎回嬉しい。毎年思いは違う。

 2月2日(日)に秩父宮ラグビー場でおこなわれた全国女子ラグビー選手権大会決勝で、東京山九フェニックスが歓喜の輪を作った。1447人のファンが見つめる中、PEARLS(三重)を13-5と破った。3年続けて栄冠を手にした。
 赤いジャージーを着た選手たちは長い時間、応援でエナジーを与えてくれたスタンドのサポーターの方を向いて手を振り続けていた。

 試合直後、ピッチサイドでマイクを向けられた佐藤優奈主将は、「東京山九フェニックス、最高のチームです。嬉しいです」と涙をにじませながら、大きな声を出した。
 チーム在籍最長も、今季初めてキャプテンを務めた。喜びの大きさは格別だった。

決勝には明大LOの弟・大地さんも応援に駆けつけた。「ロックとしてのアドバイスをもらいます」。(撮影/松本かおり)


 時間を少しおいて開かれた記者会見であらためて、「今シーズン、初めてのキャプテンということで悩んだこともあったし、うまくいかないことも多く感じたのですが、多くの人たちが支えてくれた。一つひとつの試合を重ねて成長した結果、きょう最高の試合ができたと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。本当に嬉しい。ありがとうございます」とあふれる思いを吐露した。

 普段は主将としてチームを、ロックとしてスクラムを支えている人だ。サポートしてくれる人への感謝を真っ先に口にした。
 試合を振り返り、「まず楽しむこと、試合の入りを集中して戦うことを意識しました。自陣でプレーするときつくなると予測していたので、キックを使い、敵陣で戦おうと話しました」という。

 試合の数日前から雪の予報が出ていた。しかし当日は小雨のち曇天。スタジアムは冷気に包まれていた。
「もっと天気が悪いと思って準備してきたので、堅いプレーを意識していました。しかし思ったより天気が良かったのでそこは気にせず、 ラインアウトとかセットプレーは、いつも通り、相手を見て判断し、プレーすることができた」

 ボールを多く動かせたのは自分たちの方だった。「それぞれが判断して、パスしてもつなげられるというみんなの気持ちがあった。チャンスを逃さず、外に振るところは振れた」とチームメートを愛でた。

 前半18分、FB松田凜日がトライを奪ったシーンを話す。ラストパスを放ったのは、その直前に比較的簡単な位置からのPGを外していたSO西亜利沙だった。

 PEARLSの蹴ったドロップアウトのボールを受け、西は鋭くカウンターアタック。防御を突破した後、トップスピードで走り込んだ松田にパスをしてトライは生まれた。
「亜利沙本人が(PG失敗の)悔しい気持ちをしっかりプレーに出し、トライを取り切ってくれたので本当に嬉しかった」と話す表情からは、深いチーム愛が感じられた。

3連覇の東京山九フェニックス。「最高のチームメート」と佐藤主将。(撮影/松本かおり)


 新ヘッドコーチの就任も含め、チームの体制が大きく変わったシーズンだった。その中で主将を務めた。大好きなこのチームのカルチャーを引き継ぎ、より強固にするため、スタッフや仲間と何度も話し、自分が先頭に立って動いた。

 さらにシーズンクライマックス直前、吉田永昊ヘッドコーチがコンディションを崩した。この日の決勝、指揮を執ったのは大隈隆明ヘッドコーチ代行だった。
 それでもフェニックスは乱れなかった。シーズンを通して全員で話し、自分たちで考え、動く集団になったからだ。

 主将は、OTOWAカップ(関東女子大会)で戦った相手チームにも、「その6戦で、一試合、一試合強くなっていけました」と感謝した。
 自分たちのベストを出さないと勝ち続けられないと感じさせてくれた、すべてのライバルたちをリスペクトした。

 佐藤優奈は1998年9月11日生まれ。宮城県大崎市出身。古川ラグビースクールで楕円球を追い始め、石見智翠館、慶大に進学した。
 女子日本代表でのテストマッチデビューは2019年11月16日のイタリア戦。2024年10月に南アフリカで開催されたWXV(女子の国際大会)までに20キャップを積み上げている。

 ダイナソー(恐竜)と表現される、力強く、激しいプレーが強みだ。
 そのプレースタイルから怪我もついてまわる。2023年にはオーストラリアの女子スーパーラグビー、スーパーWのウェスタン・フォースでもプレーしたが負傷し、同年のテストマッチには出場できなかった。

 しかし、手術後の地道なリハビリとトレーニングを経て復活。2024年2月3日におこなわれた全国女子選手権大会決勝の舞台にも立った(フェニックス2連覇)。同年はサクラフィフティーンにも復帰し、全10試合に出場した。
 2025年は女子ワールドカップが8月、9月にイングランドで開催される。3連覇を達成し、「フェニックスで優勝できたことで、納得した気持ちで次へ進めます」と言う。

写真左上から時計回りに。FB松田凜日のトライシーン。SO西亜利沙。SH妹尾安南。L0塩谷結。(撮影/松本かおり)


 復活の道は簡単ではなかった。以前より強くなった自分を見せるため、人一倍走り込んだ。「日本代表FWの中でもいちばんになる」という強い気持ちをいつも胸に鍛えた。
 代表活動期間は3食すべてに1時間を費やし、サイズアップに取り組んだ。そして、82、83キロの重さでも動ける肉体作りを進め、自分の体を国際舞台仕様にした。

 しかし、代表期間外の日常生活でそのサイズを維持するのは難しいから、しばらく休んだら、ワールドカップへ向けての準備を始める。「まずは(代表に)選ばれることが大事」と話すけれど、自分がサクラのFWを引っ張る覚悟はある。

 2022年にニュージーランドで開催されたワールドカップは、全3試合に4番のジャージーを着て出場したが、勝利をつかむことはできなかった。
 国内3連覇で多くの人たちを笑顔にした26歳はワールドカップでも勝利し、日本の女子ラグビーをもっと広め、価値を高めたいと思っている。


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