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何度もタックルしたのに、ただの一度も膝より上に刺さったものはなかった。
相手を押し戻すようなビッグタックルはなかったけれど、キックレシーブ後に走り出そうとする相手の足首にまとわりついて前進を許さなかったり、ブレイクダウンのボールセキュリティーにも何度も入った。
日本製鉄釜石シーウェイブスのWTB、14番のジャージーを着た川上剛右(ごうすけ)は、1月25日に福島・いわきでおこなわれた花園近鉄ライナーズ戦でチームへの貢献度が高いパフォーマンスを見せた。
チームは長い時間リードを奪いながら、最終的に33-36で敗れて今季の成績を1勝3敗とする。
須田康夫ヘッドコーチをはじめ選手たちは、惜敗に悔しさを滲ませながらも昨季ディビジョン1だった相手に食らいついた手応えは感じたようだった。
試合を終えて川上は、「勝ち切りたかった。それがすべてですが、個人的にはレッドカードで(2試合)出場停止処分を受けていたところから先発で使ってもらったので、恩返しをしなきゃと思った」と話した。
開幕の九州電力キューデンヴォルテクス戦、前半13分にヘッドコンタクトのジャッジを受けていた。
気持ちの入った復帰戦を、「気負いなく、自分でやるべきことだけにフォーカスしようと思っていましたし、そうできました」と振り返る。
「この試合ではチームとして、一人目が下に(タックルに)いこうとフォーカスしていたので、自分も徹底しました」
後半4分のプレーは個人スキルの高さを感じさせた。
右タッチライン沿いでパスを受けるとショートパントを防御裏に巧みに上げる。それを拾ったSH村上陽平主将からのパスを受けてトライも挙げた。
以前はアタックに強みがある選手として鳴らした。タックルはどんな時でも膝下に入るタイプではない。「シチュエーションによって(タックルを)使いわけています」。
この日対戦した近鉄は、一人ひとりの才能では自分たちより上だと思ったから、「(全員で)ひたむきさでカバーしようと。それは遂行できました」と80分を振り返る。
シーウェイブスは今季が1年目。昨年8月に契約した。それまではオーストラリアにいた。
東福岡、関西学院大を経て7シーズン、三菱重工相模原ダイナボアーズに所属。同チームをリーグワン2022のシーズンを最後に離れた。
長年プレーしたチームを出たのはプレータイムを求めてのものだ。選手起用はヘッドコーチの権限のひとつ。選手には「コントロールできないものがある」とし、試合出場のなかったラストシーズンは苦悩した。
オーストラリアに行ったのは、同地の人々のライフスタイルが好きで、クラブチームには出場機会があると思ったからだ。
大学時代の先輩がいるパースに向かい、シーズン途中からネドランズというクラブで6試合に出場した。次のシーズンはシドニーへ移り、マンリー・マーリンズでプレーしながら地元のカフェでアルバイトをした。
そうやって充電の1年を過ごし、釜石に加わる。
「皆さん、何もない場所と言いますが、人が優しい、食べ物もおいしい、雪もある。楽しめています」
大好きなサーフィンにも最高の場所。「ラグビーに支障がない程度に楽しんでいます」と目尻を下げる。
釜石とは不思議な縁を感じている。
父・智以(ともゆき)さんは宮崎・高鍋高校、明大でラグビーに打ち込んだ人。卒業後、若いうちに地元に帰ったこともあり、プレーは続けなかった。
しかし、楕円球への思いはずっとあったのだろう。自分が幼い頃、「お風呂の中で、いつも釜石という強いチームがあったんだぞ、と話してくれていました」。
優しかった父は東福岡高校1年生時の花園前に癌で他界した。
「子どもながらに、父が釜石のことを強く思っているのは分かっていたので、このチームでプレーできることになって、いろんなことを考えました。明治には行けなかったけど、伝統あるこのチームでプレーできてよかった」
白いヘッドギアは、「試合後に映像を見るときに自分の動きがわかりやすいから」と笑う。
「髪が長いので、それもまとめられますし。なら、切れよって話なんですけどね」
故郷は宮崎の海岸近く。そんな環境もあり、サーフィンは人生の一部。相模原時代、茅ヶ崎に住んでいたのもそのためだ。
「人生はラグビーだけではない、という感覚が昔からあります」と言い、オンとオフのバランスを取りながら生きている。
風貌、思考から、チャラい感じも受けるが、試合前の表情やプレーぶり、自分の強みを「前に出る力とひたむきさ。体が小さいからこそできることがある」とするなど実は熱い。
ラグビーは、その人が見た目と違ったプレーをするのも魅力。その典型的な選手のひとりのような気がする。