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190センチの巨体が少し細くなって迷彩服に包まれていた。
2024年12月4日に秩父宮ラグビー場で実施された全自衛隊大会決勝。福坪龍一郎はスタンドから、かつて自分が戦っていた聖地のピッチを見守っていた。
宗像サニックスブルースと豊田自動織機シャトルズ愛知で約9年半、プロラグビー選手として活動してきた。その名前を記憶している人は多くいるだろう。
リーグワンの2022-23シーズンを最後に第一線から退いた。
2024年の10月から練馬駐屯地に勤務する3等陸曹。プロ選手になる前も自衛官だった。再任用制度を利用しての復帰だ。
プロアスリートとしての生活を終えて1年と数か月後のことだった。
今回の全自衛隊大会では、練馬・朝霞・松戸駐屯地の選手たちで編成されたチームの一員として戦った。
Bグループへのエントリーも決勝には進出できず、秩父宮ラグビー場の芝には立てなかった。
実は、シャトルズでの生活を終えてから1年以上、ラグビーをプレーすることはおろか、テレビでの観戦もしていなかった。
できなかったと言う方が正しいだろうか。
本人は「うまく言葉にできませんが」と前置きをして、「不完全燃焼というか、まだプレーしたい、やれると思っていたのに(契約もうまくいかず)できない悔しさがあったからだと思います」と説明する。
ラグビーへの思いの強さで道を切り開いてきた人だ。「プロ生活の期間は夢のようでした」と言う。
充実していた世界から外に出ることを余儀なくされて、かつての仲間が活躍する姿も、ワールドカップの中継も避ける自分がいた。
「契約が終わった頃、子どもたちは6歳、5歳、3歳でした。それからしばらくして、いちばん下の子が「なんでラグビーやんないの」と。すると、上の2人が『シー。そんなこと聞かないの』と言うんです。子どもたちに気をつかわせて申し訳ない気持ちでした」
鹿児島県出身。鹿屋工業高校卒業後に自衛隊に入隊した。
長崎の相浦駐屯地勤務となった。高校時代はラグビー部だったから、競技を続けたくて習志野行きを望む。そこには、通常より厳しい身体検査などをクリアしなければならない空挺団と関東社会人リーグを戦いの舞台とする(当時)ラグビーチームがあったからだ。
しかし、向上心はそれではおさまらなかった。
自衛隊に所属したままクラブ化した日本IBM(当時)にプレーの場を移す。そして、トップリーグの合同トライアウトの存在を知り、今度はそこにチャレンジ。思い切ってプレーした結果、ブルースの採用担当者の目にとまった。
宗像サニックスブルースで2014年度からプレー。初年度から出場機会を多く得ると、2016-2017年シーズンは充実の日々を過ごした。
同年のブルースは東芝やトヨタに勝ち、福坪自身、全15試合すべてに先発。キヤノン戦の後半27分にピッチの外へ出た以外はフルタイムでの出場だった。
入団6年目の2019度にはキャプテンに就任。トップリーグ最終年の2020年度(トップリーグ2021)まで宗像の地で体を張った愚直な男は、ブルースが強化縮小を打ち出したこともあり、リーグワン発足とともにシャトルズへ移籍した。
しかし2シーズンプレーした後、契約の満了とともにプレーの場はなくなった。
もっとプレーを続けたかった。しかし、思うようにはいかなかった。
新しい事業を始めようと思ったこともある。妻と3人の子どもたちもいる。「家族と生きていくためならなんでもする」と決めていた。
描いていたような未来をつかめない36歳に、自衛隊ラグビー時代にお世話になった方が声をかけてくれた。
「お疲れ様でした。お前の活躍は、自分たちの誇りだったよ。そう言っていただきました。そして、困ったら戻ってこいよ、と」
あたたかい言葉に感謝した。それでも逡巡したのは、自ら出ていったところに戻ることに躊躇があった。
「(以前のことは関係なく、立派なことを成し遂げてきた)福坪龍一郎というひとりの人間として戻ってくればいい」との言葉をもらって、やっと胸のつかえがとれた気がした。
「自衛隊ラグビーに育ててもらい、プロに飛び出しました。そして、プロの間も元自衛官といつも言われ、紹介されることが、自分のモチベーションであり、誇りだった。それがあったから戦ってこられたと思っています」と話す。
これからは恩返しの時間だ。ラグビーや仕事で貢献していくことが感謝の気持ちを伝えることになる。
「先のことは分かりませんが、自分がプロ生活の中で見てきた景色や経験を、お世話になった自衛隊ラグビーに伝えることができたらいいな、と思っています」
ラグビー以外にも意欲的だ。
かつては空挺団に所属して落下傘を使っての降下訓練歴19回を持つ。その経験があるから今回、降下できる資格を再付与された。
航空隊員は災害も含め、何かが起きれば最前線に真っ先に送り込まれる存在。だから自分も有事に備えようと思う。20キャップ目を目指して、予備員降下訓練への参加も予定している。
この数年を振り返れば、いろんなことがあった。
ブルースのキャプテンを務めていたときに強化縮小が伝えられた。チームの先頭に立つ自分がやれることがあるのではないかと思い悩んだ。
しかしチームが揺れる中で、自分は新しい契約を他のチームと結んだ。その先のチームで、自分を育ててくれた宗像の愛すべき集団が休部すると知る。
「移籍を決めた時、そして休部決定。もやもやした気持ちがずっと胸の中にありました」と正直に思いを吐露する。
「悩んでいた時、サニックスに入る時にお世話になった方に、『誰もがいろいろな思いを持っているだろうけど、いつかみんなで、笑って集まれたらいいな』と言ってもらいました」
一人ひとり強く生きていこう。誰ひとり悪くないと、みんな分かっている。言葉はなくとも、仲間は仲間。
そんなメッセージが込められていたのだろう。
毎日悩んだこと。そして、何度も繰り返してきた人生の決断。それらは、ピッチの上で脚光を浴びた自信や思い出とともに、自分の人生を支えていく。
人の痛みを知った経験は、困難な状況に立つことも多い自衛官として頼りになる。