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本当に俺でいいのか。
そんな思いが戦う気持ちを余計に奮い立たせた。
1月13日、秩父宮ラグビー場で早大を33-15と下し、全国大学選手権4連覇を果たした帝京大学。その試合で左プロップとして先発したのが梅田海星(うめだ・かいせい)だった。
秋田工出身の4年生が公式戦で1番のジャージーを着るのは、この試合が初めてだった。
大学ラグビーのラストゲームで重責を担った。
先発出場を告げられたのは決戦の1週間ほど前。相馬朋和監督から、「早稲田戦はスクラムが鍵になる。お前を使うぞ」と言われた。
自分の強みであるスクラムを監督は見ていてくれた。
嬉しかった。
その一方で、「帝京の1番は自分でいいのか、という思いも頭をよぎりました」と正直に話す。
「2日ほど、いろいろ考えました」
そして覚悟を決めた。
「1番のジャージーを着るからには、絶対に誰よりも仕事しよう、スクラムは当然、フィールドプレーでもチームを勢いづけるプレーをしよう、と。そこにフォーカスして試合に臨みました」
これまで先発出場は4年生の春、関東大学春季交流大会の早大戦で3番をつけただけだ。
今季の関東大学対抗戦には3試合出場し、すべて途中出場。大学選手権準決勝も背番号17で後半25分からピッチに立った。
早大との決勝戦では、キックオフ直後、すぐに見せ場が訪れた。
前半1分だった。自陣10メートル付近での早大ボールのスクラム。組み合った後、ホイッスルが吹かれた。
帝京大にPKが与えられた。
そのシーンを振り返る。
「ファーストスクラムは絶対に引かず、自分の力で持っていこう(押し込もう)と思っていました。(足もとが)スリッピーでした」
組み合った後、スクラムが大きく時計回りにまわった。
「ペナルティを取れはしましたが、フロントローとしては、きれいにバチ押しして(しっかり押し込んで)ペナルティを取りたかった」
格好良く押せたわけではなかった。しかし、「組み勝てた手応えがありました」と体感を話す。
その感覚を受け、「自分たちの強み、フィジカルを生かし、前へ出たら(この試合は)勝てると確信しました」。
11月3日、関東大学対抗戦での対戦時は17-48と完敗した。スクラムでも早大が優位に立った。
あの日から2か月。その間に何があったのか。
「あの敗戦がトリガーになって、4年生、チーム全体の目つきが変わりました。ハングリーさがさらに強くなって、日本一という目標に向けてあらためて取り組んだ結果がきょう出ました」
具体的に変えたものはない。
「自分たちがやってきたこと、やるべきことを変えず、それぞれの動きを明確にして、より深くやりました」
一体感が増した。
梅田はスクラムの姿勢やパワーに「絶対に誰にも負けない」自信を持っている。1番、3番の両方ができるのも強みだ。
高校でラグビーを始めた。1番でキャリアをスタートさせ、高3時に3番へ。大学1年時は1番、2年時は3番。そして3年時以降は1番も3番もこなしている。
「お陰で、相手が1番でも3番でも、やられて嫌なことが分かるようになりました」
決勝戦のグラウンドは、やや滑りやすかった。梅田はそこへの対応力も高い。試合時間が進むほど相手を押し込んだ。
「スリッピーな分、自分のグラウンドコンタクトを活かせたと思います。しっかり押せました」
日頃から自主練習に取り組んでいる。ランニングシューズでスクラムを組む。滑りやすいマットの上で押し合う。地面への足裏の接地面を鍛えてきた成果が出た。
「監督には、そういうところも見てもらえたと思います」
チームには、他にも同じような自主練習をしている選手たちがいる。
「そういうことの積み重ねで個々が磨かれ、最終的に8人で推せるスクラムを作れました」
小中学校時代はレスリングに熱中していた。
中3時の全国選抜選手権では100キロ級で優勝するほどの強さだったから、進学を控え、多くの高校から誘われた。
そんな中でラグビーを志したのは、2015年のワールドカップで日本代表が南アフリカを倒した試合を見て感動したからだ。
「ラグビーすごい! そう思いました。コンタクトスポーツで、レスリングでやってきたことを活かせるし、チームスポーツもやってみたかった。秋田工業に知り合いがいたのでラグビーを始めました」
レスリング界から惜しむ声が届く中、中学最後の大会で優勝。実力を示してから新しい道へ踏み出したのは、自分なりのけじめだった。
「僕の人生。親にも、好きなことをやればいい、と言われていました」
大学生活を最高の結末で終えられて、当時の決断は正解だったとあらためて思う。
高校時代は目立った代表歴などない。帝京大に入ると、周囲には全国からトッププレーヤーが集まっていた。
その中で177センチ、107キロと、特別大きくない体で存在感を示すことができるようになったのは、レスリング時代からしている目標設定も理由の一つだ。
「負けず嫌いの性格もありますが、いちばんになる、スタートで出たいという目標を持って、コツコツとやりました」
目指した場所へ、最後の最後にたどり着いた。
極限の集中力で試合に没頭していたことが、こんな言葉からも伝わる。
「スコアボードはまったく気になりませんでした。目の前のことに集中し、最後の笛が鳴った時に勝っていればいい、と。未来を考えると目の前のことが疎かになるので」
後半37分に平井半次郎と交代するまで夢中だった。
試合前の校歌斉唱の時、自分たちが終わり、早大の番になった。スタンドで多くの人たちが立ち上がり、歌い始めた。相手チームを応援する人たちの数がとても多かった。
カーッと体が熱くなった。
「燃えてきました。やってやるぞ、と」
ファーストスクラムは、その数分後。力のすべてを振り絞って当然だった。