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高校ラグビーの指導から学ぶ。吉上耕平[元九電、早大]
現在は『KEYS Bunkering West Japan株式会社』のCEOを務める吉上耕平さん。1975年9月13日生まれの49歳。小1の時に春日リトルラガーズに入り、筑紫丘→早大→九電でラグビーを続けた。九電では16シーズンプレー(LO/FL)。会社のある門司港を訪ねた。(撮影/松本かおり)

高校ラグビーの指導から学ぶ。吉上耕平[元九電、早大]

田村一博

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 力で圧倒しようとしない。しかし、パワーでも相手を上回る。スピード、スキル、判断と、すべての局面でレベルが高い。
 大会を通じて、高校ラグビーの最高到達点をあらためて更新したといっていいレベルのパフォーマンスを見せた桐蔭学園(神奈川)が1月7日、東海大大阪仰星を40-17と破り、2年連続5回目の優勝をつかんだ。

 頂点を目指し、指導者、選手たちが真摯にトレーニングを繰り返し、考え抜いたからたどり着いた。そこは、この国の高校生ラグビーマンたち全員の憧れの場所だ。

 しかし、そこまでの距離はそれぞれ違う。指先がかかっているチームもあるだろう。フォワード強化が進めばと、具体的に頂点へのアプローチが見えているラグビー部も。
 頂点など遠すぎるから、もっと近くを見て、日々を過ごしているラグビー部がほとんどなのも事実だろう。

 リーグワンの前身、トップリーグ2013-14シーズンまで九州電力(キューデンヴォルテクス)でプレーした吉上耕平(きちじょう・こうへい)さんは、2017年から福岡県立筑紫丘高校ラグビー部のコーチを務めている。

 同校の卒業生で、ラグビー部OB。グラウンドや試合に足を運べるのは週末に限られるものの、監督の中村総一郎先生をヘッドコーチとして支えている。

『KEYS Bunkering West Japan株式会社』は九州電力、日本郵船、伊藤忠エネクス、西部ガスが株主の合弁会社。船舶に燃料を届ける新規事業だ。2023年10月より門司港に事務所を開設し、2024年4月から事業を開始した。「トライ&エラーの連続ですが、脱炭素社会に貢献でき、社会的意義も高い事業です。現場と人を大切に、まずは基盤(土台)を作りたい」。(撮影/松本かおり)


 同ラグビー部は1946年の創部。花園出場3回の歴史を持つ。ただ、東大阪の聖地に足を踏み入れたのは1989年が最後。今回の全国大会福岡県予選では北筑高校に35-21と勝つも、小倉高校に43-7と敗れ、3年生たちの高校ラグビーは終わった。

 もう何年も後輩たちの指導にあたっている吉上さんは、自分も現役時代、OBの角(旧姓・矢ケ部)博コーチに教わった。
 現役を退いた後、先輩であり恩師の角さんから手伝ってほしいと打診され、同じように愛情を注ぎたいと思った。中村監督がバックス、自分はフォワードにアドバイスを送っている。

 吉上さんは現役引退後、東京勤務になった際、母校の早大でもコーチを務めた。福岡に戻ってからは、九電のコーチも。
 前者は常に大学日本一を目指している集団だ。後者は、プロフェッショナルな意識を持ってラグビーに取り組んでいる。目指しているのは明確に勝利。その両チームでコーチがすべきことは、目標に届くための技術や駆け引き。選手たちもそれを求めていた。

 選手たちが必要としていることに対応するのは、どのカテゴリーでもコーチに求められるものではあるけれど、筑紫丘高校では、早大や九電でのコーチングとは違うものが必要とされている。
 部員たちの中にはラグビースクール出身者もいれば、高校で初めて楕円球に触れる者も少なくない。状況は、それまで経験してきたチームとは違った。

 高校生たちと接し、若者が秘める可能性の大きさを感じる。コーチを務める自分たちの役目は、それを引き出すこと、さらに伸ばすこと。
 そして、高校卒業後もプレーを続けたくなるように、このスポーツを好きになるようにすること。高いレベルを目指したくなる時もあるだろう。そういう時のためにも、しっかりした土台を作っておいてあげたい。

 監督の意向もあり、選手たちの主体性を尊重するチームだ。2023年度は、ディフェンスからチームを作ろうとみんなで決めた年だった。
 その年の春の県大会だった。福岡工に19-10。ロースコアの試合を制したのは、目指してきたものが出た成果だった。部員は、そんな成功体験を得て成長していく。

 2024年度のチームは新人戦で嘉穂に10-17と敗れてスタートを切った。同校とは春の九州大会予選でも対戦し14-14。抽選の結果、次戦へ進むことはできなかった。
 花園予選では嘉穂と対戦することはなく、3年生はリベンジできないまま3年間を終えた。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなしと言います。人生も仕事も同じで、準備によって結果は大きく変わってくると実感しています」。(撮影/松本かおり)


 部員たちは相手校から学ぶことがあっただろう。それは、コーチたちも同じだ。
 吉上さんは、嘉穂の様子を見ていて、田村一就監督と部員たちの近さを感じたという。
「先生は選手たちを信頼していて、選手たちは先生を頼りにしている。いい関係だな、と」

 プレーヤーとしてもコーチとしても、トップレベルでの経験を持つ人でも、高校ラグビーの現場、そして選手たちから学ぶことはたくさんある。
 それが、仕事の合間を縫ってグラウンドに出る理由になっているし、なにより選手たちの成長が嬉しくてたまらない。

「みんなに違う景色(今がベスト16ならベスト8へ、ベスト8なら4へと)を見せてあげたい」と話す。
 まずは、福岡の県立高校で一番になれたらいいと思う。そうすればまた、その先の景色も視野に入ってくる。

 2024年度のチームに1年生が入ってきた時、数名から「東福岡に勝ちたい」との声が挙がった。果たしてそれは夢物語なのだろうか。
 9月、遠征で石見智翠館と練習試合を戦った。試合には敗れたけれど、通用したことも少なくなかった。花園のAシード校に挑んで感じてほしかったのは、「やってやれないことはない」の感覚だ。
 常にそんな前向きな体感を得てほしい。「不可能はない」の信念は、その先にある。

 ラグビーが自分のベースになっていると吉上さんは話す。「いろんなことを教えてくれる先生で、一緒に歩いてくれる友だち」という。
 教え子たちにも、そんな人生を歩んでほしい。花園出場の夢は叶わなくとも、「高校3年間、筑紫丘でラグビーができてよかった。成長できた」と思って次のステージへ。
 最近の卒業生も、九大や東京海洋大、信州大などでラグビーを続けている。楕円球の魅力をより深く知ってくれたら、コーチとして、それ以上嬉しいことはない。

現役時代の強く印象に残る試合のひとつが2012年2月11日のキヤノン戦(トップチャレンジ1)。トップリーグへの自動昇格には39点差での勝利が条件という中で68-17と勝った。「目の前のことを一つひとつ積み上げていけば、最後は高みに達するということを身を持って体験できた試合でした」。(撮影/松本かおり)
門司港は明治初期に開港した歴史を持ち、見どころいっぱい。写真左上から時計回りに。煉瓦造りの建物と、目の前は関門海峡。駅前にある「バナナの叩き売り発祥の地」。名物の焼きカレー。オフィスのエントランス。(撮影/松本かおり)


◆吉上耕平のラグビー的視点
 ラグビーは陣取り合戦とフィジカルバトル(格闘技)が混ざったスポーツ。また、相手を少しでも「コントロールできれば」勝利に近づくことができる。

 キックチャージの鬼だった同コーチは、「キッカーに少しでもプレッシャーをかけ、キックを『蹴られる』のではなく『蹴らせる』ことを意識していました」という。

「ブレイクダウンの50センチや1メートルはよく意識されますが、私は『タッチキックの1メートルにこだわりを持ち、プレッシャーをかけ続け、少しでも次の起点が有利となる状況を作る』ことを意識していました」
 キックチャージの極意は、跳ぶのではなく、『走り抜ける』とのこと。「そうしたら顔やお腹など、体のどこかに当たります」。

 ラインアウトも相手に「取られる」のではなく、相手の強みを分析し、そこだけは「競り→取らせない」ところを作る。また、違う場所(例えば前の方)で「あえて取らせてあげて」、次のラインディフェンスでプレッシャーをかけることを意識していた。

 プレーヤー時代は、「対戦相手にまたこのチーム、この人たちと試合をしたいと思ってもらえるプレーを心がけていた」そうだ。
 駆け引きも含め、ラグビーのおもしろさを表現したいと考えていた。

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