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【PASSION! HANAZONO】主将としての最後の仕事は、後輩たちに悔しさを伝えること。広川陽翔[京都工学院]
「試合に出られないメンバーも凄く応援してくれて嬉しかった。スタンドには、山口先生(山口良治総監督)、親、小中高の友だちの姿が見えました。勝って恩返しをしたかった」。(撮影/松本かおり)

【PASSION! HANAZONO】主将としての最後の仕事は、後輩たちに悔しさを伝えること。広川陽翔[京都工学院]

田村一博

 その責任感と悔しさが未来の自分を強くしてくれる。
 京都工学院の主将、広川陽翔(はると)は1月1日、花園ラグビー場の第1グラウンドでの試合を終えて泣いていた。

 同日おこなわれた全国高校ラグビー大会の3回戦でシード校の國學院栃木と対戦して5-21と敗れた。
 前身の伏見工時代の2015年度以来、9年ぶりに晴れ舞台に戻った同校、広川主将率いるチームの1年が終わった。

 1回戦で聖光学院(福島)から18トライを奪って112-0。2回戦ではシード校の中部大春日丘との接戦を15-7と制した。
 久々の花園で2勝して正月越え。シード校も倒した。胸を張っていい。

 しかしキャプテンは、「全国の壁は高くて、自分たちの代では最後まで勝ち切ることはできませんでした」と涙をこぼした。
「(仲間の)先頭に立って、このチームで第1グラウンドで試合をして、(優勝には)まだまだだけどベスト16まで進めてよかったとは思います」と言いながらも、嗚咽は止まらなかった。

京都工学院はよく攻めるも、國學院栃木の防御を崩し切れなかった。(撮影/松本かおり)

 1トライしか奪えず、「フェーズを重ねても崩れないし裏のスペースもすぐに埋める」と國學院栃木の防御力をリスペクトした。
 ただ、自分たちのアタックが通用したシーンもあった。その得点機を何度か逃した悔しさが込み上げる。

 広川主将が悔やむのが2つのシーンだ。まずは、0-21とリードされた後半10分過ぎだった。
 左ラインアウトから13フェーズ目、SO杉山祐太朗からパスを受けた。うまくディフェンダー間を抜け、インゴールに入った。しかしグラウンディングができず。

「スピードが持ち味ですが、気持ちが昂りすぎていて体がかたくなり、最後、うまく動けませんでした」

 13分過ぎのプレーもラインアウトからの攻撃だった。設計されたプレーでボールをワイドに動かし、左サイドで2対1の決定機が生まれた。
 その時はボールが手につかず、ラストパスを出せなかった。

「自分のせいで負けてしまいました」と責任を背負い込む。
 将来、「自分のプレーで勝てた、と言ってもらえる選手になりたい」と誓った。

 輝かしい伝統を持つチームの空気を吸い込んだ3年間、学んだことがたくさんある。
 入学したのは長く花園から離れていた時期。1年生の頃、自分たちの代で大舞台を踏めるとは考えていなかった。しかし、最上級生になって聖地に足を踏み入れ、3試合も戦えた。

 願いを叶えられた理由を、全員が自分たちのチームと愛し、少しでも長くこのチームで活動したいと強く思ったからだ。
 特にこの1年の成長の幅は大きかった。

 そんな道を歩いてあらためて分かったのは、「自分たちが信じてやってきたことは裏切らない、ということです」と話す。
 ただ、「足りなかった」のも事実だ。
 國學院栃木に屈し、「頑張っていたつもりでも、頑張り切れていなかったと気づきました」と言った。

180センチ、78キロ。洛西ラグビースクール、伏見中出身。右は大島淳史監督(撮影/松本かおり)


 全国優勝4回という輝かしい歴史を持つチーム。それが時には重荷になったかもしれない。
 しかし純粋に、「みんなこのチームが大好きで、全員で上を目指し、工学院としての新しい歴史を作ろう」と心をひとつにして手にした結果は宝。「もっと上を目指すチームです。自分たちができなかった優勝は、後輩たちがやってくれる」とバトンを渡す。

「この悔しさを後輩たちに伝えます。それをキャプテンとしての最後の仕事とします」と言った広川は、京産大に進学する。
「もともと、自分をいちばん必要としてくれて、一緒にチャレンジしてくれるところに行こうと思っていました。何度も足を運び、熱く思いを伝えてくれたのが京産大だった。本気で日本一を目指したいなと思いました」

 京都から頂点を目指す道を、これからも歩む。
 信は力なり、の感覚を自然に体感した経験を次のステージで生かす。


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