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【PASSION! HANAZONO】みんな待っていた。隈江隆希(宮崎・高鍋)、負けていない60分の先へ。
前半21分、FB隈江隆希が50メートル以上を走り切った。(撮影/松本かおり)

【PASSION! HANAZONO】みんな待っていた。隈江隆希(宮崎・高鍋)、負けていない60分の先へ。

田村一博

 その言葉は、これからの人生のいろんな場面で支えになるだろう。
 12月30日におこなわれた全国高校ラグビー大会の2回戦、高鍋(宮崎)×大分東明は26-26の引き分けに終わった。

 3回戦へ進めるかどうかは抽選を経て決まった。
 その結果をフルバックの隈江隆希は、取材を受けるテントの中で聞いた。檜室秀幸監督の口から出た言葉は、「残念だった」。それに続けて、「(でも自分たちは)負けていないぞ」と労いの声がかけられた。

 この試合、チームは0-19と先行される苦しい展開から追い上げた。前半17分から3連続トライを奪い、ハーフタイムまでに21-19と逆転した。

 チーム2つ目のトライを奪ったのが隈江だった(前半21分)。
 右のラインアウトから左に攻め、中央でラック。右に振り戻し、ボールを受けたFL河野遼太郎がラック横に走り込んだ背番号15に内返しのパスを送った。準備してきたサインプレーだ。

 防御裏に出た隈江は、右に味方のランナーを確認した後、2人のディフェンスがいることを見て、巧みなパスダミー。加速して抜き切り、50メートル以上を走った。
 セブンズユースアカデミーにテスト生として呼ばれた経験もある好ランナーが実力通りの走りを見せた。

隈江のトライ後、仲間たちが祝福に駆け寄った。チームに勢いが出た。(撮影/松本かおり)


 勢いの出た白×緑×オレンジのジャージーは、後半17分にもトライを追加し、26-19とリードを広げた。
 体を張り、動き続けたFWと、俊敏に動くBKが噛み合ってシード校を追い詰めた。
 しかし後半22分、大分東明の189センチ、105キロ、ガロビィ イオセフォにインゴールに入られた。ゴールキックも決められて26-26となり、そのままのスコアで試合は終わった。

 負けなかった。勝てなかった。よく追い上げた。でも、序盤にもう少し失点を抑えられていれば。小さいのに頑張った。大きな相手を最後は止め切れなかった。
 いろんな思いが交錯する60分だった。

 31-5と快勝した1回戦の札幌山の手戦でもトライを奪った隈江は、次戦に進めぬ思いを「悔しいです」と短い言葉に込めた。
 ただ、強豪と引き分ける結果に、「自分たちがやってきたことは間違いではなかった」と言った。

 ビハインドだった時間帯、チームを元気づけようと思った。でも、「言葉で盛り上げるのは苦手です」。
「だからプレーで、と思いました。(1トライを返した後の)自分のトライでチームものったと思います。よかった」

 後半17分のトライ時も、隈江の働きはよかった。
 相手キックを自陣22メートルラインエリア内でマーク。相手の動きが止まった瞬間、すぐにロングキックを蹴り込んだ。それが50/22メートルキックとなり、マイボールのラインアウトを得た。

 その直後、チームはFW、BKが一体となって攻め続けて敵陣深くに攻め入り、最終的にはCTB甲斐瑛心がインゴールに入って勝ち越した。

 貢献度の高いプレーを見せた隈江は、しかし、後半22分のプレーを悔やんだ。相手キックを受けてカウンターアタックを仕掛けた際にノックオン。自陣で相手にボールを渡してしまったのだ。
 そのボールを使い、フェーズを重ねた大分東明はトライ、ゴールを決めて同点に追いついた。

 そのシーンを振り返り、「詰めが甘かった」と奥歯を噛む。「いいプレーも出せた試合でしたが、高校では、もう取り戻せません。大学(流通経済大)でも続けるので、もっと練習して甘さをなくし、大舞台で活躍できるようになりたい」と前を向いた。

 歩んできた道を振り返ると、苦しんだ時期が長い。
 周囲に励まされて力を伸ばしてきた。小学生の頃は走るのが嫌いで、長距離走からいつも逃げていた。

 でも、常に仲間に恵まれた。みんながかけてくれる声に励まされ、やってみたら自信が出てきた。YouTubeでステップなどを研究するようになる。やがて、同じようにできたら格好いいなと思うようになった。
 高校に入り、連日のフィットネストレーニングで走力もスピードも上がり、次第に土台が整っていった。

 アクシデントはさらに続いた。
 高校1年生時、県の花園予選準決勝で右膝の前十字靭帯を断裂した。2年の夏に復帰も、9月には再断裂。グラウンドに戻ったのは3年の夏となかなか完調にはならなかったが、入院中にプレー集などの映像を見て研究。頭の中では目指すプレースタイルを築きあげていった。
 チームは今回で14回連続で花園に出場も、本人にとっては初めての大舞台だった。

写真左上から時計回りに。大きな相手に高鍋伝統のタックルが何度も刺さった。共同主将のひとり、LO田村武士のヘッドギア。大きなFWを相手に立ち向かった高鍋のパック。涙を浮かべ高校時代を振り香った隈江。(撮影/松本かおり)


 長いリハビリ期間、そして復帰しては受傷する不運に、檜室監督も本人のモチベーションを心配した。「2回目の靭帯断裂の時は、戻ってくるのは難しいかも」と思った。
「でも、本当に周囲が優しかった。彼の(持つ才能の)素晴らしさを、みんな知っていたから、ということもあるでしょう。本人も、お陰で頑張れたと、いつも言っています」

 隈江が言う。
「みんな励ましてくれました。キャプテンたち(LO田村武士、CTB河野剛大)も、ゆっくり治せばいい、焦らんでいい、と。それで辛抱強くやれました。母をはじめ、サポートしてくれた方々にも感謝しています」

 初めて踏んだ花園の地。それも、最後は第1グラウンドでプレーし、シード校を追い詰めた。勝てなかったのは悔しいけれど、憧れの舞台で仲間とプレーできて幸せだった。

「うしろからFWやみんなの頑張りを見ていて、自分のところに相手が走ってきたら、絶対に止めようと思っていました」
 50/22キックは、同じようなシチュエーションで県予選でも蹴り、成功していた。スーパープレーを再現できたのも、高い集中力で試合にコミットしていたからだ。

 大分東明とは、今年2月の全九州高校新人大会では19-52と大敗も、8月の国民スポーツ大会の九州ブロック大会では、7-19と近づいていた(ともにチームの選手が主力の宮崎、大分で対戦)。

「自分自身は、その両方の試合には出ていませんでしたが、みんな、今回は勝つつもりで臨んでいました」
 隈江はアップセットを狙うチャレンジャーにとって、秘密兵器のような存在だったと言っていい。

 負けないまま花園を去ることになった高鍋には、いくつもの賞賛の声が届けられた。
 12月31日、選手たちはバスで宮崎へ戻る。チームのことを誇らしく思う多くの人たちが、笑顔で待ってくれている。


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