瞳がキラキラしていた。
試合直後は、負けたばかりで泣いていた。仲間のことや大学進学について話す時は希望に満ちていて、3年間を振り返る時は感謝の気持ちで目頭が熱くなった。
名護高校ラグビー部のキャプテン、平安山結丸は、12月28日におこなわれた全国高校ラグビー大会の1回戦で尾道(広島)に0-57と敗れた。
相手ゴール前に迫るシーンはあったが、どうしてもトライラインを越えられなかった。
背番号2のジャージーを着て60分間戦った主将は157センチと小柄も、よく鍛えられた体を使い、接点でファイトし続けていた。
平安山(へんざん)の姓は沖縄でも珍しい。結丸(ゆまる)は、沖縄の言葉「ゆいまーる」から名付けられたそうだ。「助け合い」を意味する。
今帰仁中時代は野球部に所属していた。高校に入り、同じクラスになった古堅壱真(ふるげん・いっしん/FB)は中学時代からラグビーをしていた。
「彼を通して知った」新しいスポーツは、「コンタクトスポーツとボール競技が合わさっていました。他にはない魅力を感じました」と、すぐに好きになった。
野球部時代のポジションはファーストだった。68キロだった体重は86キロに増えた。タックルなどのコンタクトプレーには最初から恐怖心はなかった。
対峙するほとんどの相手は、自分より大きい。「小さいからこそのタックル、スクラムが持ち味です。低さで相手を負かしてやろう、とプレーしてきました」。
尾道との一戦について序盤を反省した。
「小さなミスが出て、ラグビーをするエリアで負けてしまいました。相手を分析して試合に臨んだのですが、前半、相手のパスのレンジについていけなかった」
試合中に慣れ、対応していけたものの、前半に5トライを許してしまった。
11月の関西遠征で大阪朝高、京都工学院、東海大大阪仰星と試合をした。そのときも、相手にワイドに攻められた時のディフェンスに課題が残った。
改善し切れずに花園を迎えてしまった。
積み重ねてきたものを出せたシーンもあった。
「接点で前に出られたシーンもありました。自分たちの、ディフェンスからのラグビーというものも体現できたんじゃないかな、と」
ただ、沖縄県内では接点で一歩前に出られた局面で、逆に押し込まれたことは忘れてはいけない。
「ボールキャリアーがフィジカルの面で圧倒できていないので、セカンドマン、サードマンがもっとはやく寄って、サポートしないといけなかった」
相手ゴール前でのモールからボールを持ち出した後にジャッカルされたシーンも、もっと寄りが良かったらと悔やむ。
ただ試合中はリーダーとして、起きたミスを引きずるより、自分たちの原点に立ち返ることを言い続けた。
「接点で勝つ。それがやってきたこと。自分たちのしたいことを貫こう。ディフェンスで前へ出ようと声を出していました」
後輩たちに、「きょうの試合でも、接点でプレッシャーをかけられたところもあった。名護高校が大事にしているディフェンスを伝統としていってほしい」と思いを託す。
キャプテン自身、3年続けて花園の芝を踏み、2年時は2勝した。FLとしてプレーし、1回戦の松韻福島戦ではトライも挙げた。
充実した高校生活。ラストイヤーは花園での勝利をつかむことができなかったけれど、「悔いはない」と言い切れる。
「(3年間は)あっという間で、もう終わったのか、という感じです。でも、悔いはありません。きつい練習にチームでしっかり取り組んできました。いい準備をしたから、ここまで来た」
自分の歩んできた道、そして仲間との日々への思いと誇りが伝わる。
試合直後の涙の理由を、「応援してくれた親や多くの人たちの顔がフラッシュバックして」とした。
「その人たちのために勝ちたかった」と話すとまた、瞳が潤んだ。
金沢学院大学(石川)でラグビーを続ける。
仲間と力を合わせ、周囲に感謝する青春は、北陸の地でもきっとキラキラひかる。