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常に日本代表に選出されてきたわけではないが、いつもそのスポットに近い位置にいる。
ただ2018年の秋に日本代表に初選出されてから積み上げたキャップ数は、先のウルグアイ戦までに6だけだ。
そのうち4つは、今季積み上げた。梶村祐介は29歳になったこの秋、すべて途中出場ながらもサモア戦、フィジー戦、フランス戦、ウルグアイ戦に出場した。
対ウルグアイは後半39分からの出場となり、試合後、同じく出場時間が短かった藤原忍(SH)とグラウンドを走った。チームが苦しみながらも36-20と勝ったことは嬉しいけれど、不完全燃焼の胸中は察しがつく。
それでも、直近の試合で出場機会を得られている事実を前向きに受け入れる。
後半27分からピッチに出たフランス戦を終えた数日後には、「(いずれの試合も)プレータイムは短いですが、これまでは出られないことが多かった。出場できる喜びは感じています」と正直に話した。
「短い時間だけど何かしてやろう、とは思っています。それがボールを持つことなのか、ディフェンスなのかは分かりませんが、仕事をしようと常に探しています」
今季重ねた代表キャップは、2022年6月に北九州でおこなわれたウルグアイ戦に先発した時以来のものだった。
2年のブランクの間に成長した自分がいる。
「違いは結構感じています。ゲームに入った時の落ち着きというか、フィジー戦やフランス戦でも、あまりプレッシャーを感じることなく試合に入れています」
リラックスしてプレーできていることが奏功する。
「これまで自分が苦手としていたディフェンスでチームに貢献できている感覚もある。いいメンタルでプレーできています」
課題だった防御面の向上は、所属する横浜キヤノンイーグルスで主将を務めていることも理由のひとつだ。
「チームでキャプテンをやったからいまの自分がいると思うし、やっていなかったら、いまはないでしょう。イーグルスでリーダーとしてどう振る舞うか、どういうプレーをしないといけないかを考えています。そういうプレッシャーが現在の自分を形成してくれた」
イーグルスでは前週の試合のレビューを、みんなで映像を見ながらする。そこに映し出されるキャプテンのプレーがチーム全体に与える影響は小さくない。
「意識が変わりました。(いまは)自分からディフェンスしたい、と思うようになった」
「あまり喋るのは得意ではないので、キャプテンとしてうまく話せるようになるか、(主将として周囲を鼓舞するため)ラグビーをもっとうまくやるか選ぶなら、ラグビーを選ぶタイプです」
パシフィックネーションズカップ決勝のフィジー戦でも、相手をドミネートするタックルを見舞うシーンがあった。
抱えていた課題が見せ場になった。その変化は大きい。
初キャップは代表に初めて選出された2018年の欧州遠征、グロスター(英)でロシアと戦った試合だった。
その試合に後半33分から出場した。2キャップ目を手にする3年半前のことだ。
当時の所属チームであるサンゴリアスで、中村亮土らの存在もあり、試合出場があまり叶わない時期も経験している。
それでも代表に招集されることがあった。「評価してもらっている」ことを嬉しく思いながらも、ジャパンに呼ばれたからには試合に出たいのに、出られない。もどかしい時間は長かった。
だから、「自分の中では日本代表が何よりも魅力のあるチーム」を大前提としながらも、「(代表は)もういいかな」となった時期もあった。
「そんなこともありましたが、いま、少しずつ試合に出られるようになって、積み重ねてきたものが形になってきたかな、と思っています」。
桜のジャージーへの思いが強い分、選ばれた時、外れたときの心の動きも大きい。2019年のワールドカップのスコッドから最終的に外れた際は、発表時に仲間たちの前で涙をこぼした。
2022年に代表復帰し、2023年W杯を視野に入れて活動を続けていたが、リーグワン2022-23シーズンの途中、各チームを巡回していた当時の日本代表アシスタントコーチ、トニー・ブラウンと話す機会があった。
好調さを感じながらプレーしていたシーズンだったが、「(代表CTBの中では現状)3番手と考えている」と伝えられた。
ワールドカップまで半年。もっと頑張れの意味を含んだ、叱咤激励の意味もあったかもしれないが落ち込んだ。残された時間のうちに立場を逆転させるチャレンジをするのは難しいと思い、W杯出場を目指す道から自ら降りた。
そんな状況から、いま、あらためて世界の舞台へ踏み出すマインドになれている。
「W杯を見て(日本代表は)かっこいいな」と再認識したことも理由にあるが、家族の存在も大きい。
「(妻は)桜のジャージーを着ている姿を見たい、チャンスがあるなら(代表に)行ってほしいと言ってくれる。そんなプッシュもあるし、子どもが代表ジャージーを着て自分を応援してくれている姿を見ると、誇らしさを感じるというか、(その光景が)好きで、やっぱり選ばれるうちは行きたいな、と」
家族の愛や自分の熱が背中を押した。
エディー・ジョーンズ ヘッドコーチは前体制時、報徳学園高校3年だった自分を日本代表の活動に練習生として呼んでくれた人だ。
長く自分のことを気にかけてくれている。
今季の代表招集時に話した時、国内シーンの中で活躍、成長しているのは確かだが、もっと自分で自分をプッシュできたのではないか、と言われた。
否定はしない。
ただ、所属チームで控えの時期もあったし、移籍の決断もした。「自分の中ではいろいろ悩みながらも前に進み、その時のベストを出してきたつもりなので聞き流しました」と笑う。
強くなった梶村祐介は、悔しい敗戦が多いチームへ、辛辣な声も投げかけられることについて、「日本代表は結果が出なかったら言われて当たり前だと思います。自分たちの責任。ただフォーカスすべきは(終わったことに滞ることなく)、次の試合に対してしっかり準備していくことだけ」と言い切る。
悔しさや現実を受け入れて前へ進むエナジーとする術を、何度かくじけそうになったから手に入れることができた。