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【Just TALK】「覆そうと思っていた」。飯沼蓮[浦安D-Rocks]
2000年2月8日生まれの24歳。リーダーシップあり。(撮影/向 風見也)
2024.11.10
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【Just TALK】「覆そうと思っていた」。飯沼蓮[浦安D-Rocks]

向 風見也

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 うずうずしていた。

「試合がしたかった。月曜から(チームに)入っています」

 浦安D-Rocksの飯沼蓮主将は11月2日の土曜、千葉県内の浦安Dパークでクボタスピアーズ船橋・東京ベイとの練習試合に出た。チーム合流からわずか1週間ほどで、久々の実戦機会を得た。

 グレイグ・レイドロー新ヘッドコーチとの事前のやりとりを明かす。

「G(レイドロー)は、もともと『ジャパン、どうなの?』と連絡してくれていました。そこで、『試合勘がなくなっちゃうので(ゲームには出たい)』と(伝えた)。あとは、ジャパンのラグビーとD-Rocksのそれは少し違うので(慣れておきたかった)」

 この言葉通り、10月13日から27日までは日本代表にいた。10月26日の神奈川・日産スタジアムでのニュージーランド代表戦には出場できず、仲間が19-64で敗れるのを見届けた。翌27日の一時解散を受け、28日にクラブに戻った。

 身長170センチ、体重75キロの24歳。リーグワンの1部に昇格して1年目のD-Rocksの主将として、一昨季の王者、スピアーズにぶつかった。

 スクラムハーフとして先発。19-0とリードしてハーフタイムを迎え、交代した。40-17で勝った。

——ゲームのことから伺います。前半のD-Rocksは、自陣ゴール前でのピンチを何度もしのいでいました。

「前半はディフェンスの時間が長かったものの我慢ができました。結構、粘ることができた。ただ、テーマにしていたディシプリン(規律)では苦戦したところがあった。そこは次への課題です。

 個人的には久々の試合で、特に考えすぎずに感覚で楽しもうと思っていました。10番(スタンドオフ)の(田村)煕さんとコミュニケーション取って、D-Rocksのラグビーを思い出しつつ、落ち着いて楽しんでプレーできたと思います。もっとオーガナイズできるところもあったし、(細かい動きや感触を)『あ、そうだったと』と思い出すところもありましたけど、悪くはなかった」

——あらためて、代表活動について伺います。

「ジャパンでファーストキャップ(代表戦デビューの証)を獲ることを目標にしていました……」

日本代表の合宿では、あらためてコミュニケーションの重要性などを学んだ。(撮影/松本かおり)


 飯沼が初めて日本代表に呼ばれたのは7月15日。6月からのサマーキャンペーンの終盤にあたる。

 次に招かれたのは9月9日。8月下旬からのパシフィック・ネーションズカップに挑むチームへ、追加招集の形で混ざっていた。

 すでに一定のまとまりができた集団へ加わり、新しいプレースタイルの習得に努めた。

「合流してすぐにフィットするのは難しかった。エディーさんからは、コミュニケーションの部分で指摘をもらいました。特にブレイクダウンで——これをネーム・アンド・アクションと呼んでいますが——(動いてほしい選手の)名前を出して、細かいコミュニケーションを(取るべきと教わった)。ゲームをコントロールするポジションなので、常に喋り続けて、エナジーを与えて、80 分、細かい具体的なコミュニケーションを取り続けることを意識する(のが必要)。

 僕自身、もともとコミュニケーションを取れているほうだと思っていたんですけど、特に最初の合宿で細かいコミュニケーションについて指摘をもらった。ここはチームに還元したいし、自分の強みにするために継続して意識していきたいです」

 望んでいたキャップを獲得できなかったにせよ、進歩を実感できた。その流れで10月の活動にも臨んだが、その立場は複雑なものだった。

 日本ラグビーフットボール協会が発表したスコッドのリストにおいて、飯沼の名前の脇には「※2」と記された。表の下部には「※2. 関東・宮崎合宿まで参加」。10月30日からの欧州遠征には行かないことを意味する。

 同じスクラムハーフで、フランスはトップ14のトゥールーズで戦う齋藤直人についたのは「※1」。別途、「※1. ヨーロッパ遠征から合流」と書かれている。

 飯沼が今度のキャンペーンに絡めるのは、同じポジションで2学年上の海外組が旅先で落ち合うまでの間と予め決まっていたのだ。齋藤は11月4日から日本代表に帯同した。

 飯沼は続ける。

「オールブラックス(ニュージーランド代表)戦に出るために、もともと指摘をもらっていた(ことを踏まえて)一番、声を出そうと思っていました。オールブラックス戦に出ることで(当初の予定を)覆そうとも。先に(離脱予定を)言われたことで心境的には厳しかったですけど、チャンスがあればと思って初日からエナジーを持って(臨んだ)。エディーさんには合宿を重ねるうちに褒められることもありましたが、スクラムハーフって、信頼のポジションなので簡単には…。ジャパンに行って出られなかったという悔しさを、僕は持っている。それを次のシーズンにぶつけて、一番、活躍して、次のジャパンでは最初から選ばれて一番手で出られるようになる…という気持ちです」

 ひとまずD-Rocksでの準備に集中する。
「本当に待ちに待ったスタートが切れます。僕たちはチャレンジャー。いま、悪くないので、プレシーズンを通して課題を克服して、全員で成長して、リーグワンでトップ 6に入れるようにしていきたいです」と話した。


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