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いつかサクラのエンブレムを胸にできたなら、同じように、熱いものが込み上げてくるだろう。
U15チェコ選抜に選ばれた三浦蒼真(そうま)は、U15ベルギー選抜との試合(11月3日)で心が震えた。
国を代表するデザインのジャージーを受け取った時、仲間から大きな拍手をもらった。誇らしくて、嬉しくて、涙が出そうになった。
試合前に国歌をうたった時、胸がたかぶった。
敵地での試合にはCTBで出場。5-50と大敗も、 10代のうちに、人生を豊かにしてくれる時間を過ごしている。
2010 年5月23日生まれの14歳。2023年の6月からチェコ共和国の首都、プラハに暮らす。
父の仕事の関係で数年間の現地生活。プラハ日本人学校に学んでいる(中2)。
渡航前には姫路ラグビースクールに所属していた。2019年に日本で開催されたワールドカップを見て、このスポーツに魅せられた。
自分も楕円球を追いたくなった。
姫野和樹が好きだ。
CTBをやっているから、同じポジションの中村亮土にも憧れている。
「(2人とも)タフでかっこいい」
自分も痛いことから逃げないプレーヤーになりたい。
プラハではRCタトラ・スミホフ(RC Tatra smichov)というクラブに入り、楕円球を追っている。昨年はU14のカテゴリーでプレー。チームは同じ年代のリーグ戦で優勝し、自身はU14チェコ選抜のメンバーに選ばれた。ドイツのハイデルベルクへの遠征も経験した。
日本仕込みのテクニックと恵まれた体躯を武器に1年目のシーズンから活躍するも、最初から現地でのラグビーライフを楽しめたわけではない。
クラブに加わってしばらくして参加した合宿では凹んだ。
英語でコミュニケーションは取れても、知り合って日が浅かったから、深く分かり合えているわけではなかった。同年代でラグビーをしている日本人は自分だけ。なんとなく距離があった。
合宿中のある夜だった。
「テントの中で寝袋を広げていたら、『そこ、友だちが来るから』と言われちゃいました」
悪気はないのだろうが寂しかった。すぐに逃げ出したかったけど、その術もなかった。
ただ、それも昔の話になった。
簡単なチェコ語も話せるようになったことも理由ではあるけれど、グラウンドでともに過ごす時間が長くなって絆ができた。
人付き合いに悩むより、ラグビーに熱中すれば自然と仲間になれると分かってから気がラクになったし、楽しさが増した。
チェコで人気があるスポーツは、サッカーやアイスホッケー。ラグビーはそんなに盛んではない。それでも同年代でチームを組めるクラブが国内には30ほどある。
春と秋、年に2回のシーズンがある。
所属クラブの練習は週に3回。現在は平日の夕方6時から90分ほどおこなわれる。
グラウンドは天然芝。そこで試合が実施される時は、クラブハウスでビールを飲みながら見ている人たちがいる。近隣の人たちの出入りは自由だ。
チェコの選手たちは攻めるのが好きだ。みんな性格もアグレッシブで、練習時間もアタックにほとんどの時間を割く。
「ディフェンスでも攻めている感じがします。ボールを取れない状況でもジャッカルしようとする」
育ってきた環境も考え方も違う仲間たちとプレーする時間は、きっと「いい経験」だけでは終わらない。
多様性と個性を理解することは、自分の世界をいつのまにか広げてくれる。ラグビーの自由さも知る。考える前に思ったようにプレーする環境は、日本にはなかなかない。
帰国する頃、自分がどれだけ変わっているか楽しみだ。
国を代表して戦う。言葉でなく、本当の意味で仲間たちとつながる。そんな日々を異国の地で送って、ラグビー熱は以前にも増して高まっている。
「日本に戻ってもラグビーを続けたいし、強い高校でプレーしたい気持ちも湧いています」。
「将来、ラグビー選手になりたい」と話す言葉には、いろんな思いが含まれているようだった。
トッププレーヤーになりたい熱もあれば、チェコで知った、仲間と何かを成し遂げる充実をまた味わいたい気持ちもある。
「友だちと一緒に、大きなことでなくてもいいのですが、みんなでこれやってよかったな、って思えるようなことを達成したい。あと、自分の利益のためではなく、みんなで喜びを感じられる人生にしていきたいなって思うんです」
勝つことの喜び。負けることもある難しさ。達成感。人に認められる誇らしさも、チェコとラグビーが教えてくれた。
「学校のことやラグビーがうまくいかなかったときに、お母さんに励まされたことも、よく覚えています」
将来プラハを思い出すとき、豊かな自然と芸術に恵まれた情景とともに、いろんな感情もまたよみがえる。
すぐに下を向かなくなった自分の原点がそこにある。それが、ずっと支えになるだろう。
日本を代表して国歌をうたう自分の姿を未来に見ている。
ラグビーと、日本から約9000キロ近く離れた美しい国が、少年に大志を抱かせた。