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仲間や恩師、両親が見守る中で一歩目を踏み出せた幸せ。東海大PR小柳竜晟(3年)
後半12分、ピッチに入る。178センチ、107キロ。食べて、鍛えて、強靭な体躯を作った。(撮影/松本かおり)

仲間や恩師、両親が見守る中で一歩目を踏み出せた幸せ。東海大PR小柳竜晟(3年)

田村一博

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 この春にバックローからフロントローへ。簡単な決断ではなかっただろう。だからこそ嬉しさは大きかった。
 そして、新しいポジションでの初めての関東大学リーグ戦への出場機会は、青春の地で巡ってきた。

 東海大の3年生、小柳竜晟(りゅうせい)が9月22日におこなわれた立正大戦に後半12分から出場した。
 60-5と完勝した試合で、チームの勝利に貢献。力強くスクラムを組み、タックルした。

 試合がおこなわれた熊谷ラグビー場は、熊谷高校時代にプレーしたことがあるスタジアムだ。
 埼玉県では、花園予選で8強に入るとワールドカップでも使用された巨大スタジアムでプレーできる。小柳も高校時代、その芝の上に立った。

 木村季由監督は、起用の理由について、「地元なので」と冗談を口にしたあと、成長を認めた。
「春から本格的にプロップになりました。体が非常に強い選手。それを生かしています。夏を経て、スクラム、セットプレーも安定してきた。バックローなので、もともとフィールドプレーはいい。(一般的なフロントローにはない)ギアをグッと上げるプレーも期待しています」と話した。

 この日は両親や恩師、友人たちがスタンドで応援してくれた。
 小3の時に上尾ラグビースクールで始めたラグビーを、同スクールの中学部、熊谷高校で続けた。
 高校時代はNO8(時々CTB)。東海大進学後、3年時からFWの一番前に移った。

 高いステージでのプレーを望んで東海大に進学した。整ったジムでのトレーニングに集中した結果、体がどんどん大きくなった。
 入学時は80キロ台後半だった体重は、どんどん大きくなり、いま107キロ。サイズアップしたことと、将来を考えてプロップへの転向を決めた。卒業後はリーグワンでのプレーを望む。

東海大体育学部に学ぶ3年生。2年時に関東大学リーグ戦への出場は1試合ある。(撮影/松本かおり)

 環境が向上心と好奇心の高まりを呼んでいる。
 ラグビー強豪校ではない高校から、全国から腕自慢が集まる大学に進学した。最初は、気後れすることもあった。
 しかし、「憧れるばかりではダメだ」と奮い立ち、自分から考えを発信し、行動するようになった。

「東海には、強いチームだし、ここで試合に出られたら名誉なことだな、と思い進学を決めました。(関東大学)対抗戦のチームや、もともと、プロなんて頭になかったけど、先輩たちがリーグワンのチームに進むのを見て、自分も上のレベルで続けたくなりました」

 プロップ転向は、次ステージに進むための一手でもある。現在はまだ1番での経験値を積み重ねている段階ではあるが、大きな伸び代が残されている。
 体の強さとバックロー仕込みの機動力を強みとする。

 転向直後はボロボロだった。しかしそこから、できることを一つひとつ増やし、「夏ぐらいからなんとかやれるようになってきた」と話す。
 春季交流大会にも2試合に出場しているが、当時の感覚を「フィジカル(の強さ)で持っていった感じです」と振り返る。

 春から踏み出したスクラムの道。春シーズンを終えて7月から強化のギアは上がった。バインドが強くなり、8月にはセットアップの精度が増す。いま、ヒットをより鋭くすることに取り組む。
 そして、一つひとつの技術が強みになるまで高めたい。「組んだ後にフィジカルで組み負けないスクラムを組んでいきたい」と力強い。

 スクラム担当の志村英明コーチや、同じポジションで切磋琢磨する仲間たちに感謝する。高いレベルのユニット練習やポジション争いは、上達のスピードをはやめてくれた。

 特に同期の3年生は優しい。同じ1番の星田知裕はライバルながらいろいろ教えてくれる。3番の原口慎太郎から学ぶこともたくさん。
「セットアップからしっかりまとまり、個でも、チームでも勝つことを常に意識しています」。そして「勝利に貢献したい」と、チーム愛を口にする。

 高校時代の恩師、横田典之監督に教わったことがある。
「チームプランの中で自分のベストパフォーマンスを出す。相手や周囲に惑わされることなく、自分でコントロールできることについて100パーセント集中する。それが大事、と」

 熊谷の地に刻んだのは、まだ一歩目。スクラムの世界は、深いから面白い。
 毎日、毎試合、ベストを尽くして前へ進む。

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