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9月9日、南アフリカ代表キャプテンのシヤ・コリシが、2年の契約期間を残して所属していたラシン92との契約を解除することが発表された(南アフリカのシャークスへ復帰)。
8月から流れていた噂が確実なものとなった。
昨年のワールドカップ(以下、W杯)で2連覇を果たしたチームを率いたリーダーシップや人格を評価し、クラブの若い選手を牽引する新たなリーダーになってくれると期待されての入団だったのだが。
同日、『レキップ』紙はコリシへの単独インタビューを掲載した。
「ラシン92に入団した時、自分の代表キャリアがどうなるのか分からなかった。その後、代表活動を再開する時にラシン92と話し合い、『代表活動に参加してもいい』と言われた。でも、そうすると自分の身体を休める時がないことに気づいた。さらに、代表に参加すると、3か月もトップ14の試合に出ることができない。とてもいいお給料をもらっているから、ラシン92から盗んでいるような気持ちになった。自分にとって、自分の身体にとって、そしてラシン92にとって正しいことをしたいと思った。中途半端なことはしたくない。彼らが僕をリクルートした時、シヤ・コリシはフルタイムでラシン92にいると思っていた。そして僕は南アフリカのためにプレーしたい。僕は競技者なのだから、スプリングボクスを続けたい。僕もラシンに来ることができて嬉しかった。続けたかった。でも状況が変わった」と早期退団に至った経緯を述べている。
また、「代表で再びプレーした時に、僕はまだ代表チームの役に立てることが分かった。でも、ハードで長期間続くトップ14でプレーしながらだと、それは難しい。だから今回の決断に至った」と答えている。
「もちろん、ラシン92側はハッピーではなかった。でも彼らは僕の言い分を理解してくれた。クラブと代表の両方でプレーすると、彼らは僕の能力を最大限引き出すことができないし、僕の身体やキャリアにとっても良いことではない」
コリシはトップ14の厳しさにも触れている。
「トップ14は僕がプレーした中で最もハード。そして長期間にわたる。最初は良いプレーができた。親指を負傷し手術をした(3月)。そして足首を傷めた(4月)。復帰まで時間がかかった。シーズン終盤に復帰できるように戦った。100%でなくてもピッチに立ちたかった。ベストを尽くしたが、怪我のせいで本来のレベルに戻せなかった。それでも後悔はない」
コリシはラシン92のジャージーを着て、トップ14で13試合、チャンピオンズカップで5試合に出場し、そのうち12試合で80分プレーしている。
昨年4月に膝を負傷し、前十字靭帯部分断裂と診断され手術を受けた後、奇跡的なはやさで復帰してW杯に出場したが、彼の代表での1試合のプレー時間は60分前後。W杯ほどの強度はないとしても、80分出場で連戦するのは厳しかっただろう。
でも、これがトップ14の現実なのだ。
本人が言うように、本来の彼のレベルでないままピッチに立ち、スプリングボクスで見せているようなオーラでチームを牽引することもなく、クラブの期待に応えることができなかった。
一方『レキップ』紙は、ラシンのロラン・トラヴェール会長のインタビューも同時に掲載している。
「彼が退団を希望したのは、南アフリカ代表から招集を受け、それに応えたいという気持ちがより強かったから。彼はフランスに来て、トップ14に挑戦することを選んだ。その後、ラシー・エラスムスがヘッドコーチ(HC)として代表に残ることになったことが大きかった。シヤ(コリシ)は代表活動を続ける上での困難に気づいた。彼はこのクラブでプレーし、クラブを築いていく手助けをするために来た。でも代表に参加するということは、クラブを留守にし、彼が本来クラブのためにできるはずだったことができなくなるということ。これじゃ契約時の話と違ってくる」
「昨シーズン末に話し合いを持ったが、彼の頭にはもっと早くからあったのだろう。エラスムスから話があったに違いない。ザ・ラグビーチャンピオンシップのメンバー発表が近づいてきて、彼も悩み始めた。このグループが2027年のW杯に向けての準備のスタートになるのだから、自ずとシヤの選択は2027年まで代表として続けることになり、ラシン92で続けることは考えられなくなった」
コリシから代表に参加したいと告げられたときは驚いたと言う。
「契約時の話では、2度世界チャンピオンになり、今度はトップ14を選ぶという話だった。代表を辞めることに納得していた。しかし母国、国民、そしてエラスムスからのコールが状況を一変させた」
最終的にそれぞれの利益になる結末を選んだ。
◆ダン・カーターのような役割を期待していた。
ラシン92は、2016年にクラブをトップ14優勝に導いてくれたダン・カーターのような役割をコリシに期待していた。
「6か月ではなく、2季目、3季目でシヤが100%の力を発揮してくれると想定していたから、10か月で終えるのは残念なところ。彼もそれは認めている。母国や南アフリカ代表チームでシヤがどれだけ重要な存在かを見て、ラシン92でも徐々にそうなってくれると思っていた。私たちは彼の人として、またラグビー選手として、そしてリーダーとしての資質を知っている。私たちのクラブにもマッチするはずだった」と本音も漏らしている。
昨季、ラシン92は開幕から6勝2敗で首位になり、その後13節まで維持したが、SHノラン・ルガレック、SOアントワンヌ・ジベールがセットでフランス代表に召集されたシックスネーションズ期間中に5連敗。その後も序盤の勢いを取り戻すことができず、プレーオフにはなんとか進出したものの、準々決勝でボルドーに敗れた。
その試合の翌日、オーナーのジャッキー・ロレンゼッティ氏の例の発言があった。
「(コリシは)最初は素晴らしかった。ピッチ外で選手を団結させていた。しかし、シックスネーションズの休暇中に体重を増やし、コンディションを崩した。昨日の試合(準々決勝)では存在感がなかった」
これについて、コリシは、「ジャッキー(ロレンゼッティ)とロラン(トラヴェール会長)と3人で話し合った。僕はビッグプレイヤーで、ジャッキーは僕に大きな期待をしていた。批判はかまわない。正直な気持ちなのだから。彼がその時どういう気持ちだったのかも聞いた。『OK、問題ない』と僕は答え、その件は終了した」
ロレンゼッティ氏も、「この発言が理由でシヤが退団すると考えるのは稚拙すぎる」と一蹴し、「彼はとても素晴らしい人間なんだ。彼が入団した時に、彼についてたくさん良いことを言った。今、去っていく彼にも同じぐらい良いことを言いたい。彼のようなマインドセットの持ち主には、この状況は耐えられなかったのだ」と『パリジャン』紙に語っている。
ところで、ラシン92はもう一人、重要な選手を失う。ノラン・ルガレック(22歳)が来季ラ・ロシェルへ移籍することがシーズン早々発表された。15歳からラシン92で育った『クラブの子』で、ラシン92が未来を描く時に、必ず中心に彼がいたはずだ。
さらにもう一つ悩ましい問題がある。
オリンピックでフランスのレオン・マルシャンが’4つの金メダルを獲って盛り上がった競泳だが、会場になっていたのはパリのラ・デファンス・アリーナで、ラシン92のホームだ。オリンピック、パラリンピックの競泳会場になったため、ラシン92は3月30日を最後に使用できていない。
昨季は2試合をパリから約180km離れたブルゴーニュ地方のオセールに移してホームゲームをおこなった。今季はラ・デファンス・アリーナとパリを挟んで反対側にあるクレテイルで行う。プールの取り壊し工事が終わって、ホームに帰ることができるのは早くて10月末だと言われている。
今季、ラシン92はイングランド代表SOのオーウェン・ファレルを獲得して注目を集めている。
NZのアンドリュー・マーテンズ、ダン・カーター、アルゼンチンのファン・マルティン・エルナンデス、南アフリカのパトリック・ランビー、アイルランドのジョナサン・セクストン、そしてスコットランドのフィン・ラッセルと、各国の花形SOをこれまで獲得してきたラシン92の既定路線だ。
2012年に20歳のファレルをイングランド代表でデビューさせたのはランカスターHC。「オーウェンは私たちがしようとしているラグビーにフィットする」と確信している。
フレデリック・ミシャラクBKコーチは「イングランドのプラグマティズムとフレンチフレアーを上手く繋げてくれるだろう」と期待する。
ファレルも、代表活動を中断してラシン92との2年契約にサインした。
「今度は大丈夫なの?」と出演していたラジオ番組の司会者に聞かれると、「何が起こるかわからないけどね」と笑いながらも、「新鮮な環境に身を置いて、クラブと家族にもっと時間を割きたいと言うのが彼の希望。チームに合流する前からトップ14でプレーしたイングランドの選手や、セクストンから時間をかけて情報収集していた。そういうところを見ても、成功し、ラシン92に貢献したいという気持ちが感じられる」とトラヴェール会長は信じる。