パリに桜の花を咲かせたい。
平野優芽キャプテンが率いる女子セブンズ日本代表、サクラセブンズの選手たちは、皆、そう言って日本を発った。
チームは7月14日に羽田を出てフランスへ。バイヨンヌでの合宿を経てパリに入った。そして、同26日におこなわれた開会式にも参加し、元気な姿を見せている。
男子が競技を終えた翌日の7月28日から、女子セブンズが始まる。プールステージでは、アメリカ、フランス(初日)、ブラジル(2日目)の順で戦う。
東京五輪では全敗に終わり、参加12チーム中最下位に終わった。
しかし、今回は違う。HSBCワールドラグビー・セブンズシリーズの舞台で揉まれ、2022-23シーズンには5位(仏・トゥールーズ大会)、2023-2024シーズンは6位(シンガポール大会)という成績を残してきた。
平野主将は以前から、「オリンピックの時だけ勝てる、ということはない」と言い続けてきた。
しかし、上位が視野に入った経験をワールドシリーズで経験してきたことは大きい。メダル獲得は夢ではなく、ターゲットだ。
個性的な選手が揃った中で、チームに勢いを与える存在と期待されるのが大谷芽生(めい)だ。
東京五輪に続き2度目の大舞台出場となる24歳は、思い切りのいいランニングと迷いのないタックルが持ち味。試合の流れをつかむプレーをするキーマンの一人と言っていい。
京都出身。小学生の時にタグラグビーを通して楕円球と出会った。中学時代は陸上部で800メートル、1500メートル走に取り組みながら、週末はラグビーにも参加。
石見智翠館高校、立正大、アルカス熊谷を経て、現在ながとブルーエンジェルスに所属している。
初めて代表キャップを得る舞台となった東京五輪の思い出は、悔しさしかない。「世界との壁を感じました」と素直に言う。
そこからいろんな経験を積んで、いまここにいる。
「フィジカルでかなわない。まずそれが原因で何もできませんでした。なので、全体練習後にもウエート、タックルと個人練習も重ねてきました」
努力は嘘をつかない。世界の舞台で、何度もビッグランを見せ、猛タックルで相手をひっくり返してきた。
自信のタックルの秘訣を、「気持ち」と話す。
「いく、と決めたら迷いなく出る。練習でも同じようにしています。失敗もします。ただ、それを繰り返し、周囲が、私が思い切って前に出るタイミングを理解してくれるようになってカバーしてくれる」
仲間との信頼関係の中で動けている。
パリ五輪へのメンバー入りを知らされたのは、6月におこなわれたオーストラリア遠征から帰国したタイミングだった。
パリ行きの切符を掴んだ者、思いが届かなかった者。それぞれの気持ちが交錯した空間だった。
仲のいい永田花菜の名前は、そこにはなかった。
その親友から、「一緒に行きたかった。悔しいけれど、(あなたは)頑張ってきてね」と思いを託され、気持ちが昂った。
「パリで桜を咲かせるためにメダルを取りたいです。チームが勝つために、勢いがでるようなプレーをしてチャンスを作ります」
自分に求められていることは分かっている。迷いなく動いた先に、ほしい結果は待っている。
東京五輪で初キャップ。悔しさにまみれ、パリで「今度こそ」と誓う、大谷と同じ道を歩んでいる選手がいる。
梶木真凜(かじき・まりん/自衛隊体育学校PTS)も24歳。2度目の大舞台では、持てる力を出し切るつもりでいる。
試合前に緊張を払拭するため、泣き、大声を出して自身を鼓舞するという梶木は、「チームがやっているシステムも違えば、ワールドシリーズで戦ってきた経験もあります。チームも自分も、東京の時とは変わっています」と話す。
前回大会を思い出して言う。
「国際経験がない中でのオリンピックだったので不安だらけでした。相手はYouTubeで見てきた選手ばかり。相手を大きく見ていたと思います」
当時の自分のプレーを後日見返すと、ディフェンスこそ力強く、ひたむきにやれていると感じたけれど、アタックには思い切りがないと感じた。
手探りの中での大会だった。
そこから大きく変わった。
「東京五輪の時のチームが、自分たちで決めた枠組みの中でプレーしていたのに比べ、パリに臨むチームは、自分の強みや仲間の強みを生かして戦うチームになっています」
今回の五輪に向けた準備の途中、ワールドシリーズを何度も戦ってきた。その中で感じたのは、「びびっていたら何も始まらない。自信をもってプレーすればいける」ということだ。
チームのスタイルを深く理解した上で迷いなくプレーする。チームの上昇の根幹には、それがある。
梶木は福岡出身。草ケ江ヤングラガーズに4歳の時に入り、中学まで同スクールに所属。福工大城東高に進学し、試合には福岡レディースで出場した。高校卒業後、自衛隊体育学校に進んだ。
自衛隊への道を選んだのは、学校の先生でもある父の助言があった。
いまとことんラグビーをやりたいなら、目指しているところへ最短でたどり着く道を選べ。大学に行きたくなったら、あとでも可能、と。
「それで決めました。いくらでも練習ができる環境です。(大学に進学した他の人たちが)勉強している間に代表に近づこうと思いました」
日本製鉄八幡ラグビー部に所属している梶木馨太(WTB/法大OB)は、双子の弟。お互いの試合をチェックし合い、アドバイスするほど仲がいい間柄だ。
その弟をはじめ、家族や親戚など15人ほどがパリに応援に来てくれる。
「自分も含め、チームの一人ひとりが実力以上のものを出し切って、できるだけ上に行きたいですね」
チームの中で最年少は5月に20歳になったばかりの西亜利沙(東京山九フェニックス)だ。立教大学に学ぶ2年生。普段は男子部員たちと一緒に練習している(女子部員は4人)。
最年少として、「チームに明るさと勢いを与えられる存在になりたい」という西は、大阪の出身。八尾ラグビースクールに5歳の時から中学まで所属した。
高校は関東学院六浦へ。高いキックスキルとアタックの仕掛けが評価されている。
キックの基本はラグビースクール時代に培った。同スクールは、現在東京サントリーサンゴリアスで活躍する高本幹也も学んだところだ。
西もその先輩に、小中学校時代にアドバイスを受けたことがある。
左右両足でキックができる高本先輩の存在について同スクールのコーチたちは、「同じように蹴ることができたらいいぞ」といつも言ってくれていた。
その教えを受けて、西もキックのスキルを高めていった。
中学の時からラグビーノートをつけている。目標を書いたり、試合や練習で気づいたこと、嬉しかったこと、悔しかったことを書き続けてきた。自分のラグビー史と言っていいものだ。本当の気持ちが綴られている。
2021年の夏、そこに書いたことがある。東京五輪の時だった。
「3年後パリ五輪に出る、と書きました」
1年ごとの計画を書き、実行してきた結果、立ちたかった舞台へのパスポートを手にした。思い切りプレーする覚悟はできている。
チーム最年長の中村知春とは16歳違う。「いつも気さくに話しかけてくださって、楽しいです。おばちゃん、と呼ばせてもらっています」と話し、屈託なく笑う。
大舞台でも物おじせずにプレーできそうだ。
チームを率いる鈴木貴士ヘッドコーチは、日本を発つ前に選手たちに五輪を最後に退任することを告げた。
「もともと、パリまでしっかりやり切ろう、という思いでした」
残る結果によって決めたのではなく、全力でやり切ったぞ。そう伝えたくて大会前の伝達となった。
リオ五輪はプレーヤーとして目指し、東京五輪では男子のコーチを務めた。そして迎えた今回。「濃い3年間でした」と振り返る。
「立つ、動く、戦うという3つの言葉にこだわってきたチームです」
ワールドシリーズを通し、積み上げてきたものを世界との戦いの中で再現できるメンバーを選んだと胸を張って言う。
7月28日の初日に向け、「選手たちを最高の状態で送り出すことが自分の仕事」という同HCは、プールステージで戦う相手について「楽な相手はひとつもない。まず、すべてを初戦のアメリカにぶつける」と言って東京を発った。
「全員が動き続けないとサクラセブンズは成り立ちません。誰かが頑張るではなく全員。プレッシャーを感じることなく、いつもの自分たちを出してほしいと思っています」
いつも通りにやれば勝てる。そう信じられるところまで、チーム力を高めた自負はある。
そして同HCは、一人ひとりが120パーセントの力を出せるキャラクターであることも知っている。誰よりも、選手たちが残す結果を楽しみにしているかもしれない。