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母校ラグビー部復活へOB結束。流大が、荒尾ラグビークリニックで伝えたこと
終始笑顔で子どもたちとコミュニケーションをとった流大。(撮影/松本かおり)

母校ラグビー部復活へOB結束。流大が、荒尾ラグビークリニックで伝えたこと

田村一博


 校門へと続く坂道で渋滞が発生した。
 6月16日(日)、熊本県荒尾市。県立岱志(たいし)高校に大勢の人たちがやって来た。
 午後2時。『荒尾ラグビークリニック』が始まる。初めての試みだった。

 この日集まったのは80人超。熊本県内の中学生ラグビー少年、少女たちに基本プレーを教える講師となったのは、東京サントリーサンゴリアスの流大、中村亮土の日本代表経験者のほか4人。計6人が2時間にわたり、パス、キック、タックルなどをレクチャーした。

 岱志高校のある場所は、以前は荒尾高校だった。花園出場は計8回。流の母校だ。
 2015年、荒尾高校と南関高校が統合して開校した。同年に花園出場。しかし、その2年連続8回目の花園出場を最後に、黄色シャツ×青パンツが躍動する姿は見られなくなった。

 部の活動は年々パワーを失っていった。学校の中心だったラグビー部の元気がなくなるのと同様に、学内の活気もなくなる。生徒数は減り、ラグビー部員は昨年度ついに1人となり、今年からゼロになった。

 自分たちが青春時代に愛した部の灯が消えるなんて寂しいではないか。OBたちはいてもたってもいられなくなった。
 そんな思いが、今回のイベントの原点になった。

校内には、流大が贈ったジャージーが飾られている。

 活動の先頭になって尽力したのが、流の1歳上、帝京大で中村亮土と同期の杉泰成さんだ。
 流は、りんどうヤングラガーズ、荒尾高校、帝京大で、ずーっと後輩。気心が知れている。今回は同志として動いた。

 大学卒業後、東京、海外で働いたのち、地元に戻った。杉さんは、母校のラグビー部が陥っている状況を知り、愕然とした。
 恩師の徳井清明先生と話し、自分たちに何かできることはないか考えた。

 結果、熊本でラグビーをプレーしている子どもたちにトッププレーヤ―と触れあえる機会を提供し、その先に、母校ラグビー部の復活があるのが理想と考えた。

 2023年のワールドカップが終わった後、流が帰省した。その際、本人に相談すると協力を快諾してくれた。一緒にいた中村の協力も得た。
 リーグワンのチームに所属するOBたちにも声をかけよう、となった。さらに年代を遡ったOBたちも賛同してくれた。全員でスクラムを組んだ。

キックを担当した中村亮土。「きょうが岱志高校の復活のきっかけになればいいし、子どもたちが垣根を越えて集まってくれたのも嬉しかった」(撮影/松本かおり)

 クリニック当日、学校にはいい空気が流れていた。
 笑顔の中学生たち。保護者もうきうきしていた。そして、ラグビー部のOBたちが大勢集まった。家族を連れて、お互いに再会の挨拶や近況報告。さながら同窓会のようだった。

 みんなの胸をよぎったのは懐かしさだけだったか。
 違うだろう。高校時代に仲間とひとつの目標に向かった日々があるから、何年経ってもすぐに気持ちが通じ合える。
 あらためて、そう感じた。

 この熱い感情を、いまの若者たちにも知ってほしい。できることなら、自分たちに新たな後輩が誕生し、その想いを共有できたらどんなに幸せか。
 その実現のために力を合わせよう。言葉に出さずとも、気持ちはひとつになった。

 今年、熊本の梅雨入りは遅い。この日も薄曇りの空がやがて晴れ渡り、暑い中で子どもたちが汗を流した。
 流がパス。中村がキック。九州電力キューデンヴォルテクスの猿渡康雄がタックルを担当し、レッドハリケーンズ大阪の西浦洋祐、ヴォルテクスの木付丈博、ルリーロ福岡の町野泰司らがラインアウトを教えた。

 セッションは約75分。その後のお楽しみ抽選会では、リーグワンチームのシャツやグッズに加え、日本代表のレアものも賞品として出された。
 ジャンケン大会で盛り上がる。和やかな時間だった。

 一日の最後におこなわれたのは、流からの参加者たちへの挨拶だった。
 全員が耳を傾ける中、リトルビッグマンは、心の中の思いを、真摯に、自分の言葉で話した。

「小さくても、どこからでもやれる」、「不可能なことなんてない」とメッセージを送った。(撮影/松本かおり)

「いまの僕がある。そして、ここにいる選手たち(この日コーチを務めた荒尾高校OBたち)がいるのは、このグラウンドで過ごした3年間があったから。そのお陰で、僕たちがこうやってまだラグビーをできていますし、トップでやれていると思っています。

 当時、福岡県久留米市から通っていました。僕が荒尾高校への進学を決めたのは、徳井先生のもとでラグビーをやりたい、徳井先生の指導を受けたいと思ったからです。

 福岡の高校の誘いを断って、ここに来ました。その選択は間違っていなかった。ここに来ていなかったら、日本代表になれていなかったと思います。
 それほど、ここでの3年間は、僕にとって原点となるものです。

 しかし、いま岱志高校のラグビー部員はゼロです。OBからすると、それはすごく悲しい。(自分たちが)頑張っていた場所ですから。その頃、ラグビー部は学校のシンボルのような存在でした。

 リーグワンでプレーしている多くのOBたちが集まり、こうやってラグビークリニックができるのも、岱志高校が(あった、いまも)あるからです。
 徳井先生も、まだいらっしゃいます。僕を含めOBたちは、もう一度この岱志高校ラグビー部を復活させたいと思っています。

 こういう小さな町からでも世界で戦えるし、日本代表になれる、ってことを伝えたくて、きょう来ました。みんなそれぞれ夢も、目標もあると思います。自分が成長したい、日本代表になりたい、もっともっと上にいきたいという思いがあれば、岱志高校に来てください。僕らもまた教えに来ます。一緒に荒尾市で、岱志高校のラグビー部を作ってもらえたらな、と思います。

 不可能ということは絶対にありません。田舎の町からでも、僕みたいに小柄でも、ワールドカップに出られる。弱小と言われていたこともある日本代表が、そのとき世界ランキング 1 位のアイルランドを倒すこともできた。だから絶対に不可能なんてないし、倒せない相手もいない。できない目標なんてものもない。自分次第で絶対に上がっていけます。それを伝えたくて、いま、ここにいます。

 目標を持って一日一日を大切に、一個一個の練習を大事に、これからも頑張ってください」
※挨拶の言葉から抜粋、要約。

 流は高校時代、家の自分の部屋の天井に、「日本代表になる」と書いた紙を貼った。
 毎日、その文字を見てから眠りについていた。

この日が57歳の誕生日だった恩師の徳井清明監督に花束が贈られた。(撮影/松本かおり)

 恩師の徳井先生には、些細なことを継続しておこなうことの大切さを教わった。
 それが大きな力になる。自分を支えてくれる。「人としての力をつけてもらいました」と回想する。

 OBたちが集い、イベントを企画し、やり遂げる姿を見ながら、徳井先生は目を細めた。
 今回のクリニックのようなものを、現役部員とOBたちが一緒にやれたらよかったなあ。
 そんな気持ちが湧く一方で、感謝と誇らしさを感じていた。

 あらためて、「教え子たちは宝」と言った。
 卒業し、社会のあちこちに散った者たちが再び集まって、自分たちが大事にしていたものの価値をもう一度輝かせようと力を合わせる。
「ありきたりの言葉ですが、教師冥利に尽きます」

 花園出場を重ねていた当時の荒尾高校には、いい文化があった。
 例えばOBが大学選手権で優勝する。その選手たちが、数日後には学校に来て、高校生たちの前に立ってくれた。

「流をはじめ、みんな、そういう経験をしています。自分たちがしてもらったことを忘れたらいかんよ、と言い続けていました」
 その教えを何年経っても忘れずいてくれた。

 現在の岱志高校は定員割れの状況が続いており、校内の活気もなくなっている。
 今回のクリニックを通し、ここでラグビーを、と思う者たちが出たら、多くの人たちが笑顔になる。

「意志を持って入学してくれる子どもたちが増えたら、学校自体の空気も変わっていくと思います」

 クリニックは継続的に実施される予定だ。次は秋の開催を目指している。
 流が「次の抽選会には、もっと豪華な賞品を持ってくるよ」と言うと子どもたちから歓声があがった。
「車? それは無理!」

 トッププレーヤーとの時間は、若い世代にとって一生の宝物になる。
 そして、それが岱志高校ラグビーの復活の一歩目と重なるなら、素敵なストーリーが始まる。

左から木付丈博、猿渡康雄(ともに九州KV)、流大、中村亮土(東京SG)、西浦洋祐(RH大阪)、町野泰司(ルリーロ福岡)、杉泰成さん。(撮影/松本かおり)
また秋に、ここで会おう。(撮影/松本かおり)

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