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パリ五輪で『金』を。フランス、男子セブンズ代表の長き進化の旅路
グランドファイナルで頂点に立った男子セブンズ フランス代表。(PHOTO/Mike Lee-KLC fotos for World Rugby)

パリ五輪で『金』を。フランス、男子セブンズ代表の長き進化の旅路

福本美由紀


「11年、11年だよ。夢にも思わなかった。あまりにも遠かったから。でも今日、優勝カップが僕の手の中にある。すごいことだよ」
 HSBC SVNS グランドファイナル(5月31日〜6月2日/マドリード)で優勝カップを手にしたフランス男子7人制代表のステファン・パレーズが感動を噛み締める。2013年に初めて7人制代表のジャージーを着た時、彼はまだ18歳の時だった。

 翌年、東京セブンズで来日した。
 15人制U20のシックスネーションズで全勝優勝した直後で、先輩チームメイトから「チャンピオンだよー」といじられていた。その彼が今では最古参となり、新しくチームに加わる若い選手をサポートしている。

「とても嬉しい。でも僕たちはそれだけの努力をしてきた。難しい時代を過ごしてきた。7年前は13位だった。そして今日はチャンピオンだ!」と2017年にこのチームに加わったチボー・マゾレニは感激する。
 マゾレニは試合終了のホイッスルを聞くと、マドリードの地面に跪いていた。涙をこらえきれなかった。

「クラブと協力して、僕たちが存分にプレーできるようにしてくれたスタッフを誇りに思う」とスタッフの努力を称えたのは、キャプテンのポーラン・リヴァだ。

 2016年12月に7人制のマネージャーにクリストフ・ライトが就任し、翌年5月にヘッドコーチ(以下、HC)のジェローム・ダレットが就任した。

 その1年後、「女子は世界ランキング3位に入っており、順調に強化が進んでいる。男子は再建中だ。今の男子のレベルでは大衆はチームに親しみを感じてくれない。女子がフランスでの7人制ラグビーを牽引してくれている」とライトがフィガロ紙のインタビューで述べるような状態だった。

 しかし、「2024年にはすべてのフランス国民が一つになって応援してくれるような、そして強豪国と対抗できるようなチームになっている」とも言っていた。

 ライトは若い選手を育てる環境を作ることから着手した。7人制をプレーする機会が少なく、高いレベルで7人制の試合を経験できる選手はほとんどいなかったから、大会を増やして、まず若い選手がこのスポーツの楽しさを発見できるようにした。

 LNR(プロリーグの運営団体)にも掛け合った。そうして創設された大会が、トップ14のクラブで競われる「スーパーセブンズ」だ。

「フランスには7人制の文化がないからね」とライトは話していた。

 また、ダレットHCとプロクラブに出向いて、選手をリリースしてもらえるよう説得した。その結果、協会とリーグの間に協定が結ばれ、12人の選手が1年に12週間までリリースしてもらえるようになり、安定したチーム作りができるようになった。

 それまではファーストチョイスの選手をクラブからリリースしてもらえず、大会直前までメンバーが決まらないこともあった。大会ごとにメンバーが大きく変わることもあった。
 アントワンヌ・デュポンも過去に7人制代表候補に挙がっていたが、所属していたカストルがリリースしてくれなかったのだと、当時のHCだったティエリー・ジャネクゼクが明かしている。

 ジャネクゼクは1999年から2010年まで男子代表のヘッドコーチを務め、7人制ラグビーの土台を作った人物だ。フランスにおける『7人制ラグビーの父』と呼ばれている。
 現役時代はFLで15人制代表キャップも持っているが、1986年に香港セブンズに参加し、7人制の魅力にハマった。

 ダレットをHCに選んだのもジャネクゼクだ。ダレットは、ダックスでSHとしてプレーしながら、ジャネクゼクが率いる7人制代表でもプレーしていた。

『7人制ラグビーの父』の選択は正しかった。

 ダレットHCは7人制で活かせる選手を集めた。今回マドリッドの大会に参加した選手で、ダレットHCの着任前にすでに代表メンバーになっていたのはパレーズと、難しい角度のGKを成功させていたジャン=パスカル・バラクだけ。ちょうど世代交代の時期でもあった。

 クラブから集まってくる選手も固定できるようになり、安定したチーム作りが可能になった。
 一方、以前は協会と契約している選手は、大会前の合宿がない期間もパリ郊外の国立ラグビーセンターで練習があった。選手の大半はフランス南西部の出身にもかかわらず、その近辺に引っ越さなければならなかった。

「家に滞在できる日数と、家から離れる日数を計算してみると、シーズンを通じて50日しか家にいることができないことがわかった。これでは心理的にネガティブな影響を及ぼす。心身ともにリフレッシュして、次の集合時にはまたチームで活動する意欲を持って戻ってきてほしかった」

 ダレットHCは、合宿期間外の練習を個々が好きな場所で、自主責任のもとおこなうことにした。もちろん、練習メニューはスタッフから与えられるし、GPSのデータはスタッフに届く。そうすることによって選手はより自らを律することを余儀なくされる。

「自由が与えられているけれど、スタッフからの信頼に応えなければならない。7人制はごまかしがきかない。集合した時にすぐにバレちゃうからね」とリバが言う。

 練習メニューも見直した。ランニングやレスリングの専門家の指導を受けている。オリンピック選手のトレーニング施設を使用し、オリンピックのカルチャーに触れる。

 また、ダンスを導入して、ステップやプレーのテンポの緩急をつける。練習前のウォーミングアップでも、選手が全員で歌いながら踊るように体を慣らしているのが微笑ましい。一緒に歌って踊ることで一体感も生まれている。
「歌やダンスを取り入れてパフォーマンスの向上に取り組んでいる。テンポをコントロールすることはとても重要」とダレットHCは説明する。

チームを率いるポーラン・リヴァ主将。(PHOTO/Mike Lee-KLC fotos for World Rugby)

このチームならやれる。そう信じての決断。

 アントワンヌ・デュポンの導入にも見事に対処した。
 15人制と異なり、7人制の選手にスポットライトが当たることはなかった。そんな所に15人制の中でも世界最大級に光を集める選手が入ってきたのだ。彼らが見たことのない数のメディアが練習や大会の取材に駆けつけた。

 ミックスゾーンでインタビューされても、記者から投げかけられるのはデュポンについての質問だ。チーム内のバランスが崩れるリスクもあった。しかし、選手は笑顔で記者に答え、デュポンはすんなりチームの輪の中に入っている。
「オリンピックではさらにメディアの数は増えるだろう。選手にも私たちにもいいトレーニングになった」

 バンクーバー大会2日目まではデュポンをメディアから遠ざけ、プレッシャーから守ることも忘れなかった。
 初戦からデュポン出場の期待が高かったが、最初はベンチで観戦させ、会場の空気に慣れさせた。試合を観察させてからデビューさせた。

 マドリードでは、初日はデュポンをスタンドから観戦させた。2日目、3日目も後半からインパクトプレイヤーのように起用した。「欧州チャンピオンズカップの決勝戦の疲労が残っていたからか?」という問いには、こう答えた。

「あまり無理をさせたくなかった。賢く使いたかった。彼が入れば敵にプレッシャーをかけてくれるし、味方にとってプラスになることは分かっているが、それよりも他の選手にもしっかり貢献してもらいたかった。7人制はチェスのゲームだ。キング、クイーン、ルーク、それぞれの駒をしかるべき時に動かして、試合に勝たなければならない。テンポやプレーのように、選手交代も上手くコントロールしないとね」

「アントワンヌは規格外の選手だ。でも他の選手も素晴らしい選手ばかりなんだ。彼らは責任感もあり自律していている。アントワンヌも彼らと一緒にプレーすることを楽しんでいると思うね。このグループのポテンシャルを信じて、彼らとプレーすることを望んだのだから」

 そうなのだ。デュポンがこのチームならメダルを狙いにいけると信じて、参加することを強く希望した。
 リヴァ、パレーズの他にも優れたアスリートが揃っている。ジョーダン・セフォ(背番号12)、ジェファーソン=リー・ジョゼフ(47)、アンディ・ティモ(88)、ライアン・レバジ(26)、ネルソン・エペ(7)。挙げていくと全員になる。それぐらい均一なグループができている。今季は21人の選手を起用して選手層も厚くした。

「この2年で他のチームの僕たちを見る目が変わった。分析されているのを感じる」とリヴァは言う。

 マドリードのグランドファイナルで優勝して、オリンピック優勝候補のグループに入るという目標があった。

「優勝候補のルーキーと言うところかな。この立ち位置は初めてだからね」と笑う。「警戒され、チャレンジされる立場になる。さらに成長していかなければならない。たとえば、プレッシャーのかかった状態での判断にまだムラがある。集団で賢く判断する能力と、常に冷静でいることができるメンタルの強さを鍛えなければいけない。セブンズは心理戦争だから」

 すでに準備合宿が始まっている。これから1か月でどう仕上げのか楽しみだ。

 ダレットHCは『7人制の父』と呼ばれているジャネクゼクをメンターと仰いでいる。
「彼はセブンズの世界のことをすべて知っている。セブンズワールドシリーズのどこに行っても、彼のことを知らない人はいない。私たちにとって大切な人」と常に連絡を取り合っているそうだ。
 ジャネクゼクもダレットHCのこれまでの功績を称え、喜んでいる。

 1999年に体育教師だったジャネクゼクに「7人制代表のコーチをしないか」と声をかけたのは、当時のフランス協会会長で、のちにワールドラグビー会長となりラグビーをオリンピック競技に復活させたベルナール・ラパセである。
 ここにもこの人の足跡が残っているのか。

 ラパセの最後の仕事は、パリオリンピックの誘致だった。自身が誘致したパリで開かれるオリンピックで、自身が再びオリンピック競技として復活させたラグビーが実施され、自身が種をまいたフランス7人制代表の活躍が見られそうだ。
 パリの空の上でニコニコしているのではないだろうか。いや、彼のことだから、15人制のワールドカップでは見られない男子のケニヤや、女子のブラジルの参加に目を細めるのではないだろうか。
 それこそ彼が望んでいたことだと思う。



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